お祈りするとき、僕らは自分のことばかり祈りがちです。他の人よりも自分の幸せ、自分の願いが叶うように、困ったことが起きないようになどなど、いつも自己中心になりがちです。
他の人のために祈ることは自然にはできません。が、神様はそんな僕らを放っておきません。聖霊によって他の人のことを祈るように変えられます。敵対していた相手の祝福を祈るなんて、聖霊様以外にはできません。でも、神様はそのように僕らを変えてくださいます。「とりなしの祈り」とは自分以外のために祈ることです。
(14-15節)
こういうわけで、私は膝をかがめて、天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。
神様が導いてくださる祈りは信仰の家族が御霊によって強められ、キリストが住んでくださり、一緒に神様の愛をますます知っていくことを願う祈りです。パウロは兄弟姉妹のための祈りのお手本を与えてくれています。
(16-19節)
どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
僕らも祈りましょう。ぜひ、「あなたがた」のところに隣人の名前を入れて毎日祈りましょう。祈り方のお手本です。○○のところに教会の仲間、家族、今はまだ敵対している人がいるなら、その人の名前を入れて心から祈りましょう。
「どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもって〇○さんを強めてくださいますように。信仰によって、〇〇さんの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いている〇〇さんが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、〇〇さんが満たされますように。」
聖書は個人主義を一つも教えていません。いつも「共に」「互いに」です。そのように祈る中で神様の愛は僕らの関係に現れてきます。互いの間にイエス様の愛が現れるなら、それは神様の栄光です。祈りも神様の力です。栄光が僕らの祈りを通しても現されますように。
(20-21節)
どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。
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