ラベル 箴言 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 箴言 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年12月21日木曜日

箴言31章

 箴言31章


作曲の場合、仕事の成功のためには監督やクライアントに喜ばれることが重要でした。特に商用音楽の場合、そのプロジェクト全体の意図にいかに貢献するかが大事で、その結果が仕事の評価にもギャラにもなります。だから、監督やクライアントが何を願っているか、何を成し遂げたいと願っているかをいつも聞き、考え、彼らの気持ちと1つになっていくために、念入りに、ぬかりなく準備します。


同じように、それ以上に人生は神様の意図にいかに貢献するかが大事です。神様が何を願っておられるか、何を成し遂げたいと願っているか、いつも最優先事項として聞き、考え、従うことです。それが主を恐れることです。その結果は祝福です。「主を恐れることの報いは、富と誉れといのち。」(22.4)です。神様の願いを自分の願いとするときに、僕らの生活は変わります。今日の箇所にはその実例があります。模範的な妻が出てきますが、それは彼女が主を恐れ、主に注目し、いつも主に従いたいと願っている結果です。



(30節)

麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。



彼女の夫も、子供たちも、母であり妻であるこの女性を信頼しほめたたえます。プライベートも仕事も祝福されています。理由はこの女性が神様を恐れ、主に従っているからです。



(10節から11節)

しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は収益に欠けることがない。


(28節から29節)

その子たちは立ち上がって彼女をたたえ、夫も彼女をほめたたえて言う。

「力ある働きをする女は多いが、あなたは、そのすべてにまさっている」と。



彼女の仕事の素晴らしさを聖書は次々と表現します。これら全ては、神様の願いであり、神様がなさることの表れです。神様は単独で物事をなさらず、多くの場合、人間を主の使いとして、器官として、神の助けとして用いてくださいます。女性が最初に造られた時、神様は「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」とおっしゃいました。(創世記2.18)つまり、神様の助けは女性を通して表されます。この女性は主の使いとして、主の助けを具現化する人として、神様を恐れ、優先し、従いました。その結果がどんなに素晴らしいかを聖書は僕らに伝えています。



(12節から27節)

12,彼女はその一生の間、夫に良いことをし、悪いことをしない。

13,羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。

14,商人の船のように、遠い所から食糧を運んで来る。

15,夜明け前に起きて、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。

16,よく調べて畑を手に入れ、自分の稼ぎでぶどう畑を作り、

17,腰に力強く帯を締め、腕に力を入れる。

18,収入が良いのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。

19,糸取り棒に手を伸ばし、手に糸巻きをつかむ。

20,苦しむ人に手を差し出し、貧しい人に手を差し伸べる。

21,家の者のために雪を恐れることはない。家の者はみな、紅の衣服で身を包んでいるから。

22,自分のための敷き物を作り、衣服は亜麻布と紫の撚り糸でできている。

23,夫は町囲みの中で人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。

24,彼女は亜麻布の衣服を作って売り、また、帯を作って商人に渡す。

25,力と気品をまとい、ほほえみながら後の日を待つ。

26,知恵をもって口を開き、その舌には恵みのおしえがある。

27,家の者の様子をよく見守り、怠惰のパンを食べない。



主を恐れ、聞き、従うことが祝福の源です。僕らは自分のためでなく神様の愛を表す器とされています。「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」と言われています。(1コリント10.31)今日も神様に注目しましょう。自分を空っぽの器として差し出しましょう。神様の願いは僕らの判断や行動に現れますよう。ハレルヤ!



2023年12月20日水曜日

箴言30章

 箴言30章


神様のことばが与えられている僕らは本当に幸せです。背伸びして、無理して何かを言わなくて済むからです。わからないことは「分かりません」で大丈夫です。わからないことは罪でも愚かでもありません。むしろ誠実です。一方、人の知恵を遥かに超えた神様のことばもまたすぐ近くに用意されています。みことば以外の情報を必死になって検索したり集めたりする必要がありません。その日、その日「神様、今日の分を与えてください」と祈って聖書を読むときに、心の目が開かれます。その時必要な言葉が与えられます。それで充分です。わからないことはわからないままで大丈夫です。



3節から5節)

3,私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も持っていない。

4,だれが天に上り、また降りて来たのか。だれが風を両手のひらに集めたのか。だれが水を衣のうちに包んだのか。だれが地のすべての限界を堅く定めたのか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。

5,神のことばは、すべて精錬されている。神は、ご自分に身を避ける者の盾。



この世界を作り、今日も全てを支配しておられる方が、わかる範囲でことばを与えてくださいます。高ぶってああだこうだと言う必要はないし、ましてコントロールしようとしなくても大丈夫です。



6節)

神のことばに付け足しをしてはならない。神があなたを責めて、あなたが偽り者とされないために。



僕らを超えた神様の領域があります。「事を隠すのは神の誉れ」です。(箴言25.2)世界は不思議なことだらけです。神様だけが知っておられる領域です。



18節から19節)

私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。

天にある鷲の道、岩の上にある蛇の道、海の真ん中にある船の道、おとめへの男の道。



僕らに与えられている理解力もお金もちょうど良いものです。ちょっと足りない、と思いますが、それは高ぶらないように、神様に求めるための不足です。



8節と9節)

8,むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。

9,私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。



今日もわからないことは神様に求めましょう。神のことばは、僕らが身を避ける盾です。(5)自分は神ではないし、わかっていない、と言う立場を確認しましょう。「私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も持っていない。」(3)高ぶって余計なことを言ったりしたりしませんように。



(32)

もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、企んだりしたら、手を口に当てよ。




2023年12月19日火曜日

箴言29章

 箴言29章

2023年12月18日月曜日

箴言28章

 箴言28章


ちょっとのごまかしでお金が入るならそうしたい、と思うのが僕らの本性です。ところが、それは不幸への始まりです。たとえ損に見えても、誠実さを選ぶことこそが祝福への道です。



18節から20節)

18,誠実に歩む者は救われ、その道が曲がっている者はただちに倒れる。

19,自分の土地を耕す者は食糧に満ち足り、空しいものを追い求める者は貧しさに満ち足りる。

20,忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。



少しの富のため不正をし、虚しいものを求める先は滅びです。取り返しのつかない損失です。たとえ、その時にうまくいっても

「全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16.26)神様の前で永遠の命を失い苦しむなら、何の得もありません。「貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる。」とあります。(6節)小さなことに誠実であることこそ、神様が与えてくださる祝福です。たとえこの世で損しても、です。



22節)

貪欲な人は財産を得ようと焦り、欠乏が自分に来るのを知らない。



24節-25節)

父母の物をかすめていながら、「背いていない」と言う者は、滅びをもたらす者の仲間。

欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、主に拠り頼む人は豊かにされる。



今日、どんな些細なことも神様に喜ばれるようにしましょう。そこにこそ平安と喜びが満ちています。ごまかしていつまでも人の目を恐れているのは無駄なエネルギーです。悪いことをするといつも怯えてしまいます。


1節)

悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい。


ずるさ、ごまかし、不正があることを認めましょう。それを告白して捨てる人は憐れみを受けます。ちゃんと認めましょう。謝る人には謝りましょう。恥ずかしい思いをしても、悪く言われても、罪を認めて捨てるその人は幸いです。ハレルヤ!


(13-14節)

自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける。幸いなことよ、いつも恐れる心を持つ人は。しかし、心を頑なにする者はわざわいに陥る。



2023年12月14日木曜日

箴言25章

 箴言25章


「わかってます」「知ってます」「神様はこうです」聖書を勉強した人が言いがちです。実際は僕らが知っている事はほんの1部に過ぎません。神様は僕らの小さな頭では理解し尽くせない方です。全部わかっちゃうようなら神様ではありません。神様は理解を無限に超えた方です。完全に知る日は神様と直接お会いする日です。(1コリント13:12)特に、先生と呼ばれる人はわきまえる必要があります。高ぶりや傲慢さがいつも誘惑しています。



2節から3節)

事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ。

天が高く、地が深いように、王の心は測り知れない。



神様の前でも、人の前でも「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23.12)



6節から7節)

王の前で横柄にふるまってはならない。身分の高い人のいる所に立ってはならない。

高貴な人の前で下に下げられるよりは、「ここに上って来なさい」と言われるほうがよいからだ。



ちょうど良い量の理解が僕らに与えられます。「学んで確信したところにとどまっていなさい。」とも言われています。(2テモテ3.14)貪る必要はありません。神様との関係も、食べることも、隣人との関係も同じです。良いものはちょうど良い量を与えられています。むさぼる先には祝福はありません。



16節から17節)

蜜を見つけたら、必要なだけ食べよ。食べ過ぎて吐き出すことのないように。

隣人の家にあまり足を運ぶな。その人がうんざりして、あなたを憎まないように。


27節から28節)

蜜を食べ過ぎるのは良いことではない。自分の誉れを探るのは、誉れあることではない。

自分の霊を制することができない人は、城壁のない、打ち破られた町。



「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たもの」ゴミみたいなものです。(1ヨハネ2.16)大事なことはちゃんとゴミ出しをすることです。その時に僕らは良い器に変えられます。



(4-5節)

銀から金かすを除け。そうすれば細工人に、良い器ができあがる。

王の前から悪しき者を除け。そうすれば、王座は義によって堅く据えられる。



神様に喜ばれる人は与えられたことに忠実な人です。その人は神様にとって喜びです。話を盛ったり知ったかぶりをする人ではありません。



(13)

忠実な使者は、これを遣わす者にとって、刈り入れ時の冷たい雪のよう。その人は主人の心を生き返らせる。



今日も傲慢というゴミを捨てましょう。知らされている分を忠実に実行しましょう。「その人は主人の心を生き返らせ」ます。ハレルヤ!