カイロスコース(宣教訓練コース)で学んだことのメモ
神様の目的は何か?
1. 神様の目的を理解することの大切さ
神様の目的は、「すべての国々から救われる人々を神のもとに集める」こと。つまり、福音を世界中に伝えることです。マタイ28章にある「大宣教命令」は有名ですが、この目的は創世記の時代からすでに示されています。
2. 聖書全体を貫く神様の計画
旧約聖書では創世記12章3節に、アブラム(後のイスラエル)を通して「地のすべての部族が祝福される」と書かれています。これは民族や国家を超えて、全ての人々に祝福が及ぶことを指しています。
よくある誤解として、「旧約はユダヤ人、新約は異邦人向け」と考えられることがありますが、聖書全体のメッセージは一貫して「すべての民の救いと祝福」を語っています。
3. 具体的な聖書箇所
- イザヤ書11章9節: 「主を知ることが地に満ちる」
- ハバクク2章14節: 「地は主の栄光を知ることで満たされる」
- ダニエル書2章35節: 神の王国が地全体を覆う象徴
4. バベルの塔と神の計画
創世記11章では、神がバベルの塔で人々を散らし、それぞれのグループに分けられました。これは裁きであると同時に、救いの計画の一部としても用いられています。人々を多様な民族に分けたことは、後にそれぞれのグループに福音を届ける基盤となっています。
5. 神の未来: 多様性の中の一致
神様の究極の目的は、多様性を尊重しながらも、すべての人々を一致させることです。「主を知ること」「主の栄光を知りほめたたえること」が地全体を満たす時、神の目的は完成に近づきます。
ここまでのまとめ
聖書は、初めから終わりまで「世界中のすべての人々への祝福と救い」を中心テーマとしています。私たちは日々、この大きな目的を思い起こし、どのように関わるかを考えていくことが大切です。
私の目的は何か?
1. 神の目的を私たちに委ねられている理由
神様の目的は特定の人だけに託されたものではありません。それは宣教師や牧師だけでなく、すべてのクリスチャン、つまり「アブラハムの子孫」である私たち一人ひとりに委ねられています。
2. 全世界に出て行くのが難しいと感じるなら
全員が実際に海外へ行く必要はありません。宣教活動には「行く人」だけでなく、「送り出す側」の役割も重要です。そのエネルギーの割合は、行く人1割、送り出す側9割と言われています。祈ることは誰にでもできることですが、その任務の大切さに気づいていないことが多いのです。
興味深いデータ
- 教会全体の支出
87%が教会内活動に使われ、宣教活動にはわずか13%(一般宣教12%、開拓宣教1%)しか割かれていません。 - クリスチャン個人の支出
98.1%が自己使用に使われ、国外宣教のために使われるのは0.1%にすぎません。
これらの中で、神様の目的と一致している部分はどのくらいあるでしょうか?自分のための祈りがメインになっていないか、神様のために祈る時間がどれだけあるかを見直すことが求められます。
ピリピ2章21節には、「みな自分のことを求め、イエス・キリストのことを求めてはいない」とあります。これは私たち自身に対する問いかけでもあります。
マタイ28章での「全世界に福音を伝えよ」という大宣教命令は、単なる提案ではなく、「命令」です。私たちはこれをどのように受け止めているでしょうか?
3. 全世界はすでに身近に来ている
外国から来た人々が増え続けています。例えば、ミャンマー人など異文化背景を持つ人々が地域社会に存在しています。これこそが、世界への福音宣教のチャンスです。
自分中心の神観で考えていた私たちが、神様中心へと視点を変える必要があります。
どうやって伝えるのか?
その1: 祈ることが最優先(9割)
神様に頼り祈ることを最初の行動にします。以下のようなポイントで祈ります:
- 自分の目的を神様の目的に合わせられるように
- 福音を聞けない民族の救いのために
- 福音の素晴らしさを日々実感し表すように
祈りは宣教の最強の武器であり、送る側の主な役割です。行く人を祈りとサポートで支えます。
その2: 伝える内容の核は「十字架の救い」
伝えるべきは文化や教会の形式ではなく、福音そのもの、つまり「十字架の救い」です。枝葉の部分ではなく、核心を伝えることが大切です。
4. 宣教のために祈る教会になる
教会が内向きではなく、もっと外へ目を向け、宣教のために祈る存在となることが重要です。
これは神様の御心であり、その結果として教会も成長し、多くの人が祝福されます。
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