ラベル 1テサロニケ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 1テサロニケ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年12月29日木曜日

1テサロニケ1章

 僕らの祈りはお願い事ばかりになりがちです。でも、祈りで一番大事なのは感謝することです。「すべての事について、感謝しなさい。」と聖書は繰り返します。(1テサロニケ5.18、エペソ5.20など)どんなに苦しく暗く見える状況でもその中に神様の力と恵みがあります。


使徒たちの時代にイエス様を信じる人は激しく攻撃され、時には暴力を受けることもありました。その頃テサロニケの町では「町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い」とあります。(使徒17.5)イエス様を信じることは生活が脅かされることを意味しました。


信じることは脅されることなのに、それでもイエス様を信じる人たちが起こされました。パウロたちは彼らに手紙を書いていますが、その内容は「感謝」です。迫害と苦しみの中でも信仰が与えられ、苦しくても神様と人を愛している人たちのことを思うだけでひたすら神様に感謝です。パウロは彼らの愛の忍耐を思い出していつも謝しています。


(2-4)

私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。


信じるのは心の中だけのことではなく、神様の力と聖霊を体験し、行動が変わることです迫害されても従う人は神様から力と聖霊を与えられた人たちです結果、テサロニケの教会の人々は喜んで神様に従い、みことばを伝える人たちになりました。神様には力があります。パウロたちが頑張ったのではなく、神様が福音と共に力と聖霊による確信を与えてくれます。彼らはイエス様がもう一度来られることを楽しみに待ち忍耐するようになりました。


(5-7)

私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです

あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。

その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです


パウロが書く手紙はまず感謝です。神様が与えてくださった福音、聖霊、力、そしてそれによって変えられた人たちが生き証人として用いられ、福音は広がり続けています。


(8)

主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。


僕らはお願い事や不平不満の祈りばかりになりがちですが、大事なのは神様が与えてくださった数々の恵みを感謝することです。暗く苦しく見えますが、よく見たら恵みだらけです。自分が変えられたこと、周りが変えられたこと、そしてこれからイエス様がもう一度地上に来られ、全てを支配なさること、考えたら恵みと感謝だらけです感謝しましょう。ハレルヤ!


1テサロニケ4.1-8

 神様は僕らを愛し、赦し、受け入れてくださっています。神様に受け入れられただけでなく、僕らは「神に喜ばれるためにどのように歩むべきか」(1)と願う人に変えられます。クリスチャンはあれダメ、これダメ、という人ではありません。聖霊が与えられて「もっと神様に喜ばれたい!」と思う人たちです


1

最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。


神様の願いは僕らが性的にもきよくなることです聖霊を与えられた人は「きよくなりたい!」と思うようになります。なぜならそれが神様の願いだし、喜ばれることだからです。性欲は神様が与えてくださった喜び、聖なる良いものです。食事が喜びなのと同じです性欲を自分の結婚相手以外に向けることは他人のものを盗むことです。神様の大事な宝物であるからだを汚し、罪のために使うことです他人の食事を勝手に食べるのは他人の分を汚なくし踏みつけることですだから結婚相手でない人と性交渉することは他人のものを汚し踏みつけ、自分のからだも汚し踏みつけています。いろんな人と性関係をもつ人はレストランで他人の食事を次々と食べ歩いている人のようです


(3-6)

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることですあなたがたが淫らな行いを避け、一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないことです


僕らのからだは神様のものになりました。そして僕らのからだに聖霊が住んでいます。聖書は「あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。」と言います。(1コリント6:15)性的な罪は特に厳しく警告されています。


(6-8)

私たちが前もってあなたがたに話し、厳しく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて罰を与える方だからです神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためですですから、この警告を拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたにご自分の聖霊を与えてくださる神を拒むのです


聖霊が与えられた人は「神様に喜ばれたい!」と思うようになります。あれダメ、これダメではなく、神様に喜ばれたくなります。だから「どこまでがオッケーか」と思わなくなります。「どこまでセーフか」と考える人は「どこまで神様に逆らってもいいか」と考える人です。聖書は「神に喜ばれるためにどのように歩むべきか」(1)と教えます。僕らの中に住んでおられる聖霊ご自身がそう願っています。ですから、この警告を拒む人は、聖霊を与えてくださる神を拒むのです


今日も神様に喜ばれましょう。あらゆることで「神様に喜ばれたい」と願いましょう。いや、聖霊がすでにそう願っておられます。ハレルヤ!


1テサロニケ4.16-5.11

 どんなに世界が暗くなっても、僕らには希望があります。イエス様はもう一度この世界に来られ、僕らは天に挙げられて永遠に主と共にいることになります。先に死んでも大丈夫です僕らは復活して主と永遠に一緒にいることになります。


(4章16-18節)

すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのですこうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。


イエス様が来られるのは今日かもしれないし、明日かもしれないです。「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24.36)信じない人にとっては神の怒りの日であり破滅の日です。が、イエス様を信じる僕らにとっては主とお会いする喜びの日です


(1-4)

兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。


(9-10)

神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです


迷ったり、悩んだり、悲観的になったりすることはあります。そんな僕らには励ましが必要です最後は救いと栄光が決定しています。そう言って希望と与えてくれる信仰の友が必要です聖書はいつも互いに励まし合い、愛し合い、互いを建て上げなさい、と教えます。孤独には作られていません。兄弟姉妹と一緒に愛し合い、希望を与え合うように作られています。


8

信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。


11

ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。


どんなに世界が暗くなっても、僕らには希望があります。僕らがお互いに信仰と希望で満たす仲間でありますように。

1テサロニケ5.16-18

 僕らは悩みます。AかBか、神様の御心はどっちだろう?と考えたり、なぜこんなことが起こるのか…と悲しみます。そんな僕らに聖書は「あなたがたは暗闇の中にいない」(4)「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。」(5)「主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださった」(9)「目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになる」(10)と希望を繰り返しています。目先は暗く難しく見えても僕らの将来は勝利と栄光が決まっています。一つ一つの出来事には悲しみや忍耐が必要だけども、心の中にもいつも希望があります。その問題の先には解決があるし、忍耐すること自体が神様に喜ばれています。


(16-18)

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです


僕らが経験するすべての出来事は神様から与えられたものです人間の目には辛く苦しいことに見えても、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と聖書は言います。(ローマ78.28)だら「いつも喜んでいなさい」ですどんな出来事も神様と祈りながら歩むためのものです会社でよく言われるホウレンソウ(報告、連絡、相談)ですいつも神様にホウレンソウしながら生きるのが「絶えず祈りなさい」です相手からのボールを受けたらすぐに神様にパスです。急いで相談、報告です。祈りと生活は一つです人生すべては僕らが神様と親しくなるためのものです。だから「べてのことにおいて感謝しなさい。」と聖書はいます。嬉しいことは神様に感謝です悲しいことも神様が良いことのために与えてくださったものですだから感謝です


これが「神があなたがたに望んでおられることです。」(18)神様の御心とはAかBどちらが正解か、ではなくどんな状況でも喜び、祈り、感謝すること、これが神様の御心です。喜び、祈り、感謝を略して「よいか」です

今日も全ての出来事が神様がくださる良いものです喜びましょう。祈りましょう。感謝しましょう。主は良いものを与えてくださっています。ハレルヤ!!