僕らは簡単に「神様のご計画はこうです」とか「神様のみ心はこうです」とか言い過ぎです。特に牧師とか宣教師とか、聖書を専門に勉強した人ほどちょっと言い過ぎなところがあります。僕らは神様のことを「こうだ」決めつけることはできません。神様は人間とは全然違うレベルの方です。預言者ハバククは「どうしてですか」「いつまでですか」と自分が分からないことだらけなことを認めてを訴え叫び続けています。
2 主よ。
私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。
私が「暴虐。」とあなたに叫んでいますのに、あなたは救ってくださらないのですか。
3 なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。
暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっています。
4 それゆえ、律法は眠り、さばきはいつまでも行なわれません。
悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げて行なわれています。
預言者ハバククの時代、神様の教えは無視され、国内は悪と暴力が支配していました。「なぜですか」「いつまでですか」とハバククは神様に叫び続けます。わからないことや苦しいことを正直に神様に叫ぶことは聖書が教える祈りのお手本です。僕らの周りに起こることはわからないことだらけです。苦しい心をまま神様に正直に言うことは良いことです。「私はわかってる」という人が祝福されるのではなく、「私も周りもひどい状況です。」「助けてください」「どうしてですか…」と自分の弱さ貧しさを認めて神様に求める人こそ祝福される人です。(マタイ5.3-6)
神様はハバククに答えてくださいました。それはハバククの願いと違いました。もっとひどく悪い国(バビロン)のカルデヤ人が占領しに来る、しかもメチャクチャに破壊し苦しめる、という神様の答えでした。とてもハバククには受け入れられない驚きの答えです。ますます神様のことがわからなくなってしまいます。
5 驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。
それが告げられても、あなたがたは信じまい。
6 見よ。わたしはカルデヤ人(バビロン人)を起こす。強暴で激しい国民だ。
これは、自分のものでない住まいを占領しようと、地を広く行き巡る。
7 これは、ひどく恐ろしい。自分自身でさばきを行ない、威厳を現わす。
8 その馬は、ひょうよりも速く、日暮れの狼よりも敏しょうだ。
その騎兵は遠くから来て、はね回り、鷲のように獲物を食おうと飛びかかる。
9 彼らは来て、みな暴虐をふるう。彼らの顔を東風のように向け、彼らは砂のようにとりこを集める。
10 彼らは王たちをあざけり、君主たちをあざ笑う。彼らはすべての要塞をあざ笑い、土を積み上げて、それを攻め取る。
11 それから、風のように移って来て、過ぎて行く。
自分の力を自分の神とする者は罰せられる。
神様は国を正しい方向に導いてくださるどころか、もっと悪いバビロンの国を使って滅ぼします。これが神様の答えであり、神様のご計画でした。バビロンは人間を人間扱いせず、まるで魚や虫のように扱い容赦無く殺していきます。しかも、バビロンを使っているのは神様です。
14 あなた(神様)は人を海の魚のように、治める者のないはう虫のようにされます。
15 彼(バビロン)は、このすべての者を釣り針で釣り上げ、これを網で引きずり上げ、引き網で集める。
こうして、彼(バビロン)は喜び楽しむ。
16 それゆえ、彼(バビロン)はその網にいけにえをささげ、その引き網に香をたく。
これらによって、彼の分け前が豊かになり、その食物も豊富になるからだ。
17 それゆえ、彼はいつもその網を使い続け、容赦なく、諸国の民を殺すのだろうか。
ハバククはますますわからなくなります。悪人が国を占領し暴力と略奪が行われるのはダメなはずです。だのに、どうして神様がそんなことをされるのか、ハバククは意味がわかりません。きっと、神様は聖すぎて地上の苦しみや悲しみがわからないのかもしれない、と思ったようです。
13 あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。
なぜ、裏切り者をながめておられるのですか。
悪者が自分より正しい者をのみこむとき、なぜ黙っておられるのですか。
神様のなさることは僕ら人間の理解には入りきれません。人間にとって「なぜこんなことが…」と思うことさえ神様のご計画の中です。
(イザヤ書55.8~11)
8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──主の御告げ──
9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
僕らの予想に反して、神様が悪を使って良いことをすることが聖書に沢山書かれてます。イエス様は罪はないのに逮捕され、拷問を受け、十字架で殺されたときも、神様のご計画でした。人間の不正や怒りや不当裁判や憎しみが利用されて、イエス様の赦しときよめのご計画が実現しました。十字架の上で、イエス様は完全に神様に父なる神様に見放され、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになられたのですか。」と言っています。(マルコ15.34)でも、それでも神様は全部のことを支配し、導いておられました。聖なる神様は、どんな悲惨なことの中でもおられるし、僕らの嘆き叫びを無視してないことがわかります。
最悪を通して最善をすることができるのは神様だけです。イエス様は拷問と処刑のあと、復活されました。旧約聖書エゼキエル書37章は虐殺された多くの人たちが復活することが預言されています。僕らの目には「もう終わった」と思うことでも、神様にとっては終わってません。それどころか苦しみこそが大事なプロセスだということが多くあります。
神様のことや僕らの未来を簡単に決めつけるのはやめましょう。神様は大きすぎます。神様はどんな悲惨なことがあっても見放してはいません。主のご計画は大きすぎます。
(哀歌 3:25-31)
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。(…中略…)自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。