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2023年1月23日月曜日

ナホム1章

 「復讐はわたし(神様)のすることである」と聖書は繰り返します。イスラエルを苦しめるアッシリアという大国は、人を生きたまま串刺しにしたり、皮を剥いだりする残酷な国でした。神様はそのような悪に対して放っておく方ではありません。必ず正しく怒り復讐する方ですアッシリアが神様の怒りによって滅びることが書かれています。


(2-3節)

主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。

主は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。


(6節)

主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。


(8-9節)

しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる。

おまえたちは主に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。


アッシリヤだけでなく、この世の終わりには全ての人が裁かれ、悪は一掃されます。神様のさばきに勝てる人は誰もいません。…でも、そんな中でも裁かれずに助かる人がいます。主はいつくしみ深い方です。イエス様の福音を信じて、赦しを信じて、罪を認めて謝る人は救われます。その人は神様の赦しの福音を信頼して、身を避ける人ですその人はさばきに合うことがなく、守られます。


(7節)

主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。


僕ら全ての人類は神様の怒りを受ける罪を犯しています。

同時に神様は僕ら全ての罪を赦そうとしておられます。福音とは「良い知らせ」のことです。「良い知らせ」とはイエスさが僕らの身代わりに神様のさばきを受けて十字架の上で処刑されたことです


(15節)

見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。


唯一の救いはイエス様です。方向転換をして、イエス様を信じる人は裁かれません。


(ヨハネ 3:17-18)

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。


神様の怒りとさばきはあります。そして、救いもあります。イエス様を信頼することは「苦難の日の砦」ですイエス様は僕らをさばくのではなく、救うために来てくださいました。今日も信頼しましょう。今日もより頼みましょう。この方こそ「いつくしみ深い」方です「苦難の日の砦」です悔い改めてこの赦しの福音を信じる人は救われます。イエス様だけが唯一の救い、唯一の砦です神様は必ず世界を裁かれます。そして、イエス様を信じる人は必ず守られます。大丈夫です

ナホム2章

 僕らは強い人やお金持ちに憧れ、好みがちですところが神様はそのような力を好まない、とはっきり書かれています。神様が好む人とは、神様を恐れ、神様の恵みを待ち望む人です


(詩篇 147:10-11) 

神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。


預言者ナホムの時代のアッシリヤ(首都はニネベ)は世界最強だったし、それを自慢していました。まるで無敵のライオンのように書かれています。アッシリヤはライオンが獲物を殺し、その肉で満足するように、敵の財産を奪って満たされていました。


(12節)

獅子は、十分な獲物を子獅子のために引き裂き、雌獅子のためにかみ殺し、獲物でその穴を、かみ裂かれた物でその巣を満たす。


… が、いくら最強でも神様の裁きの時には小さく弱いものです彼らは神様に滅ぼされます。


(13節)

「見よ、わたしはおまえを敵とする。──万軍の主のことば──まえの戦車を燃やして煙にし、若い獅子を剣が食い尽くす。おまえの獲物を地から絶やし、おまえの使者たちの声はもう聞かれない。」


この世でどんなに富と名声と力があっても、全てが虚しく消えていきます。実際には神様はメディアとバビロンという国を使って滅ぼしました。どんなに自分の力を誇っても、それらは取り去られます。


(1-4節)

追い散らす者が、おまえに向かって上って来る。(…中略…)まことに、荒らす者が彼らを荒らし、彼らのぶどうの枝を損なう。

勇士の盾は赤く染まり、兵士は緋色に包まれる。戦車は、それが整えられる日、鋼の火を通され、槍は振り回される。

戦車は通りを走り狂い、広場を駆け巡る。その有様はたいまつのようで、稲妻のように走る。


最後は首都ニネベは洪水によって滅ぼされました。


(6節)

いくつもの川の水門が開かれ、宮殿は消え去る。


最強だったはずの兵士たちは怯え、逃げ出しました。まるで水が流れ出るように逃げ出し、将軍が「止まれ!」と言っても誰も振り返りません。


(8-10節)

ニネベは、水が流れ出る池のようだ。「止まれ、止まれ」と言っても、向きを変える者はいない。銀を奪え。金も奪え。その財宝には限りがない。あらゆる尊い品々があふれている。不毛、空虚、そして荒廃。心は萎え、膝は震える。どの腰もわななき、どの顔も青ざめる。



どんなに莫大な軍事力もお金も、神様の怒りの前には何も役に立ちませんでした。その日にはおびえて青ざめるだけです富も力も僕らを守りません。役に立たないの財産や力に頼る人にイエス様は言われます。



(ルカ 12:19-21)

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」


僕らは力や富に憧れて好みます。でも、神様はそれを好みません。

神様に喜ばれるのは「主を恐れる者と御恵みを待ち望む者」です(詩篇147.10-11)どんな富も名声も力も恥となり、神様の前に震え上がる日がきます。


今日から、虚しいものは捨てましょう。天で価値のあることを求めましょう。

自分の心は本当は何を求めているのか?自分に聞いてみましょう。神様に顔向けできず、裁きの時に震え上がるようなものは捨てちゃいましょう。人生のゴールは天で喜ばれることです天で恥じ入るものは今からやめましょう。