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2025年12月18日木曜日

1ペテロ5章

 1ペテロ5章


悪魔や悪霊はいます。クマよけよりも悪魔よけが必要です。悪魔は誰かを獲物にしようとがんばってます。…ですが、ちゃんと対処の仕方が聖書にあります。



"身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。"

ペテロの手紙 第一 5章8~9節



聖書は「逃げなさい」ではなく「この悪魔に対抗しなさい」(9)と言います。「戦うの!?」とビビりそうですが大丈夫です。戦い方は明確で、誰でもできることです。前後には、「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」「神の力強い御手の下にへりくだりなさい」(6)とあります。「がんばろう!やっつけよう!」ではなく逆に、自分の権威を捨て、計画を捨て、神様に支配権の全てをお返しすることです。その時に「悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4.7)


悪魔の作戦は、僕らを持ち上げ、力を入れさせ、王様にしようとするものです。「あなたは偉い。あなたは正しい。あなたの思い通りしてOK。」と持ち上げ、その気になって肉欲と自分の栄光や権威を求めはじめたなら悪魔の思うツボです。



"ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。"

ペテロの手紙 第一 5章6~7節



実は悪魔は神様になりたいようです。そして、僕らにも共犯になるようにそそのかします。高ぶりは破滅の入り口です。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。



"同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。"

ペテロの手紙 第一 5章5~6節



へりくだって神様に権威を明け渡すことが悪魔への対処です。「神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4章6~7節)心配ごとも全部神様におわたしすることです。これは聖書が繰り返して教えています。

イエス様が教えてくれた祈り(マタイ6章)は神様の支配を求める祈りです。そして、今日の祈りも「どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」です。(5章11節)

今日も自分の計画や思いや願いを一旦手放し、運転席を神様にお返ししましょう。がっかりするどころか、逆に神様は僕らを高くし、思う以上の栄光と勝利を与えてくださいます。



"ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。"

ペテロの手紙 第一 5章6~7節


2025年12月17日水曜日

1ペテロ4章

 1ペテロ4章

2025年12月16日火曜日

1ペテロ3.13-22

 1ペテロ3.13-22


ペテロの手紙第一の2章と3章は、苦しみを受けている人たちへの励ましです。自分に害を加える者たちを愛しなさい、忍耐しなさい、と言われても、苦しいことに変わりはありません。でも、その苦しみは栄光に変わります。お手本はイエス様の忍耐と処刑、そして復活です。イエス様は正しくない人たちに苦しめられ、殺されました。でも、その苦しみは全部ひっくり返り、イエス様は復活して全ての栄光と権威を持っています。まるでオセロの大逆転のように、黒は白、白は黒になる日が来ます。これが僕らの希望です。



"神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。

キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。"

ペテロの手紙 第一 3章17~18



イエス様は苦しめられ、それを忍耐しました。それは神様に喜ばれるものであり、勝利へのプロセスでした。今、イエス様はすべての権威と栄光を持っておられます。



"イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。"

ペテロの手紙 第一 3章22節



ノアも人々から馬鹿にされながら神様に従い続けました。この希望を信じた人はわずか8人でした。が、彼らは救われ勝利しています。



"かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。"

ペテロの手紙 第一 3章20節


苦しみと忍耐は全て勝利と栄光に変わります。だから聖書は僕らにも同じようにするようにと言います。「義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。」と言い切ります。(14)聖書は断言します。この世で思い通りになるよりも「善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。」(17)それはやがてイエス様と一緒に栄光を持つことにつながるからです。これが僕らの希望です。



"たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。

むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。"

ペテロの手紙 第一 3章14~15節



人には理解されないかもしれません。それでもこの希望があるから良いことをし、恐れず、怯えず、忍耐します。説明を求める人がいたら説明します。善を行って苦しみを受ける方がいいのです。今日も悪に対して悪で返さず、忍耐し、善を行い、神様に喜ばれましょう。ハレルヤ!

2025年12月15日月曜日

1ペテロ2.18-3.12

 1ペテロ2.18-3.12


布教とか伝道とかいうけど、神様が確かに生きて働いておられることの最高の伝え方は、口よりも行動のようです。それは「僕らの行動」ではなくて、僕らの中におられる「イエス様の行動」です。生きて働いておられるイエス様の体のように僕らを用いてくださいます。僕ら一人一人はキリストにつながる器官です。(ローマ12章、1コリント12章)


例えば、職場で意地悪な上司がいても、忍耐し、仕返しせず、善で返すことは,

イエス様の願いそのものだし、神様に喜ばれることだし、僕らを用いてそうさせてくださいます。それはイエス様が生きておられる証拠です。



"しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。

もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。

罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。"

ペテロの手紙 第一 2章18~20節



イエス様は生きています。イエス様こそ罪人を愛し、忍耐し、祝福を願い、神様の怒りと裁きを身代わりに引き受けて犠牲になってくださったお方です。そして今度は僕らもイエス様と一緒に相手のために忍耐する人にしてくださいました。



"このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。

キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。"

ペテロの手紙 第一 2章21~24節



意地悪な人のために忍耐し、赦し、祈り、犠牲を払うならそれは神様に喜ばれることです。これは結婚関係でも同じです。神様に従わない相手のために忍耐し、赦し、祈り、愛し、善を返すなら、相手はそこに神様が生きておられることを見ます。



"同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。

夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。"

ペテロの手紙 第一 3章1~2節



それは最大のそして最高に美しい飾りだと聖書は言います。キリストの美しさが僕らの行動に現れます。どんな宝石よりも価値のあるものです。



"むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。"

ペテロの手紙 第一 3章4節



僕らが追求し表したいのはイエス様の美しさです。イエス様の愛とか忍耐とか赦しとか、そのような美しさです。



"悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。

「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。

悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。"

ペテロの手紙 第一 3章9~11節



神様が確かに生きて働いておられることの最高の伝え方は、口よりも僕らの行動のようです。

生きて働いておられるイエス様が今日も僕らの心も口も手足も用いてくださり、神様の愛と忍耐を美しく表してくださいます。ハレルヤ!

2025年12月12日金曜日

1ペテロ2.1-10

 1ペテロ2.1-10


教会でも話し合いがあります。目標は「神様の御心を求めて」の話し合いなんだけど、僕らは弱くてどうしても悪意やねたみや悪口などが混ざり込んでしまいます。汚い心のままで意見が通って「これが主の御心でした」なんて恥ずかしく虚しいものです。聖書は悪意もウソも偽善もねたみも悪口も入り込むことを認めて、捨てるように、と教えます。


"ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"

ペテロの手紙 第一 2章1~2節



自分に聞いてみるとわかります。「あなたは自分のプライド求めていますか?それとも神様の栄光を求めてますか?」「あなたは神様の真理と主権を求めてますか?それとも自分の意見と計画ですか?」「あなたは相手を下げようとしてますか?それとも相手を愛して神様に喜ばれようとしてますか?」つまり、「関心は神様にありますか?人ですか?」です。神様の前では全てが明らかだし、心の中のつぶやきも全部聞かれています。「その発言、神様の前でも言えますか?」と問われると恥ずかしくなります。「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイ12.34)


だからまず認めるべきことは「醜い、恥ずかしい悪意があること」です。そして、それをちゃんと神様に告白して、ちゃんと恥ずかしい悪意があることを神様に報告して手放す祈りをすることです。


次に求めるのは、神様の純粋な神様のことばです。神様のことばは混ざりものがありません。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(2)僕らの意見は神様のことばを濁らせすぎです。


僕らは神様のものとされ、祭司として任命されました。祭司は口で「神に喜ばれる霊のいけにえを」ささげます。霊のいけにえとは「祈り」であり「賛美」です。



"あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。"

ペテロの手紙 第一 2章5節


心も口もすぐに汚れます。「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。」(ヤコブ3章9~10節)



汚い部屋を掃除するのに大事ことは、ゴミやヨゴレが見えるように明るくすることです。薄暗い部屋だと目立ちません。

神様のことばは光です。神様の真理のことばが入ると、逆に汚いことばが落ちていることがわかります。悪意や妬みや嘘を発見したら、目を背けずに、認めましょう。そしてちゃんとそれを拾って、神様に告白して捨てましょう。


教会の中にも入り込んでくる悪意のあるウワサとか、議論とか、暴露ネタとか、そういうものは神様にとっては不要ゴミです。

純粋な神様のみことばから与えられる祈り、賛美、感謝が僕らの心と口をいつも満たしますように。ハレルヤ!


2025年12月11日木曜日

1ペテロ1.13-25

 1ペテロ1.13-25


いつも僕らの目の前には2つの道があるようです。自分の欲望や計画やに従うか、聖なる神様に従うかです。放っておくとラクな方、自分のメンツや計画、欲や妬みに流れるのは当然です。「肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らう」(ガラテヤ5.17)だからこそ聖書は「心を引き締め」「欲望に従わず」「聖なる者となりなさい」といいます。(13-15)



"従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、

むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。"

ペテロの手紙 第一 1章14~16節



「聖なる者」とは、神様専用になった人のことです。24時間365日いつも神様と合体した人です。会社員みたいに「今は勤務外だから」とかの区切りはありません。「今はオフで肉欲の時間だから」はありません。ずっと神様の子どもであり、神様の種によって新しく生まれた人です。…でも、そのように生きるためには神様からの「ことば」が必要です。肉に流れていく僕らのために「心を引き締め、身を慎み」なさい、(13)「従順な子どもとなり」なさい、「欲望に従わず、聖なる者となりなさい」と言われます。(14-15)神様からの「ことば」がないとズレていきます。

自動的に兄弟姉妹を愛せるものではありません。「真理に従うことによって」(22)はじめてそれができるようになります。僕らから出たものではなく、神様からみことばを通して与えられた聖なる愛です。


"あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。"

ペテロの手紙 第一 1章22節


神様のことば以外の知恵も力も消えていきます。どんなにスゴいことをしても、美しくても、賢くても、消えます。残るのは、ただ聖なる神様のことばと栄光、それだけです。


"「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。

しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。"

ペテロの手紙 第一 1章24~25節


僕らの目の前には今日も2つの道があるようです。自分の欲望と栄光を求める道と、神様のことばと栄光を求める道です。放っておくと自分に流れます。だからこそ、みことばが必要です。真理に従うことによって僕らは聖められていきます。(22)神様のことばは毎日必要です。真理のことばが僕らには必要です。放置しても大丈夫な赤ちゃんはいません。みことばはミルクです。(1ペテロ2.2)毎日聞きましょう。求めましょう。僕らには神様の「ことば」が必要です。