聖書はいつも人間のことを「羊」だと言います。羊は弱くて目も鼻も悪いそうで、自分で自分を守れず、自分でエサや水のあるところも探せず、羊飼いに守られなければ生きていけない動物だそうです。同じように、人間は保護されお世話され守られ導かれる必要があります。僕らの羊飼いはもちろんイエス様です。…ですが神様は教会にリーダーを与えて羊飼いのように弱い羊を守り導くようにと言われています。リーダーのことを聖書は「長老」と言います。今でいう牧師です。牧師(長老)は人々を養い、守り、導き、安心させる役目です。
(1-4節)
私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。
長老たちは良い羊飼いのように心を込めて人々を愛し、お世話しなさい、と言われています。悪い羊飼いは羊を利用して儲けよう、とか、羊を放置して自分だけ助かろうとしますが、良い羊飼いは神様に従い心からお世話します。強制されてするのではなく、です。もちろん「卑しい利得」のためではなく、人々を利用したり支配したりするのではなく、へりくだって彼らを守り養うために仕えます。これは、大牧者であるイエス様の願いそのものです。イエス様は言われました。「主である師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」(ヨハネ13.14)牧師は給料のために教会に仕えるのではありません。神様のために、そして神様の宝の人たちが守られ養われ成長するために仕えます。
人間のことを「羊」だと言いますが、悪魔のことは「ライオン(獅子)」だと言います。羊を狙うライオンのように、悪魔はいつも羊を食い殺そうと狙っています。だから目を覚ましなさい、と聖書は勧めます。悪魔から守られるためにも、牧師は謙遜になってしもべのように自分から心から仕える必要があります。
(8-9節)
身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。
羊が守られるためには、リーダーである羊飼いの声に従うことが大事です。そのように、人々が悪魔から守られるためには牧師(長老)に従うことも大事です。神様は高ぶる人や反抗する人に敵対すると書かれています。逆に、悪魔は高ぶりや反抗、悪口や分裂が大好きです。群れが乱れると羊が食い殺しやすいからです。従う人たちも謙遜であることは悪魔に対する最大の防御です。
(5-6節)
同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。」とは、イエス様のへりくだりに従うことです。信じて従うなら悪魔は逃げ去ります。
(ヤコブ 4:7)
ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
教会にリーダーが与えられていることは宝の人々を守るための神様の方法です。だからリーダーも、従う人たちもへりくだりなさい、と聖書は言います。神様は僕らが守られ、養われ、導かれ、神様の永遠の栄光の中に入れて下さるまで、地上で導いてくださいます。教会に与えられた役目を尊重しましょう。もっともっとへりくだって仕え合い、従い合いましょう。神様はリーダーの役目を用いて悪魔から守り、導いてくださっています!
0 件のコメント:
コメントを投稿