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2023年10月30日月曜日

ヨハネの手紙 第三

 ヨハネの手紙 第三


僕は自分が聖書や祈りを教えた人がイエス様に従う生活をするのを見るとめっちゃ嬉しく、人生最大のご馳走だと思います。(余計かもしれないけど、教えた人がイエス様を軽んじているのを見るガッカリは相当です)聖書がそのように書いています。ヨハネの教え子ガイオは目立たなくてもイエス様に誠実な人でした。



(1-4)

1,長老から、愛するガイオへ。私はあなたを本当に愛しています。

2,愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。

3,兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。

4,私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。



ガイオは目立つ奉仕者ではないけど後方支援に徹する人でした。具体的には、出て行って福音を伝える兄弟たちのために祈り、支え、必要なものを準備して送り出す人です。今で言うなら宣教師を送り出し必要なことを一緒に準備して支える奉仕です。宣教師の方が目立つけど、宣教はチームです。送り出し支える側の人のがいなければ成り立ちません。そのように「遣わされる」ことがないとムリ、と聖書は言います。



(ローマ10.14-15)

宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。



ガイオの後方支援が忠実であることは神様の喜び、そして長老ヨハネの喜びでした。ガイオは自分の教会の宣教師だけでなく、イエス様のために働いている他から来た兄弟姉妹を助け、受け入れることで彼らと一緒にイエス様に支える同労者になっていました。



(5-8)

5,愛する者よ。あなたは、兄弟たちのための、それもよそから来た人たちのための働きを忠実に行っています。

6,彼らは教会の集まりで、あなたの愛について証ししました。あなたが彼らを、神にふさわしい仕方で送り出してくれるなら、それは立派な行いです。

7,彼らは御名のために、異邦人からは何も受けずに出て行ったのです。

8,私たちはこのような人々を受け入れるべきです。そうすれば、私たちは真理のために働く同労者となれます。



目立つ宣教師や牧師だけが尊いとか喜ばれてるのではなく、福音を伝える人を支え、彼らと同じ気持ちで祈り、彼らの状況や必要なことを聞き、受け入れ、準備し、送り出す奉仕は同じく尊く、神様にとっての大きな喜びです。「子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」(4)僕らもチームです。いわゆる献身者と言われる人が頑張って、他の人は見ているだけで何もしない、と言うのはイエス様の願いではありません。彼らの働きは僕らの働き、いや、イエス様のからだである教会の働きです。一人ひとりは器官です。全員が献身者、主のために働く人です。


(1コリント12.26-27)

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。



自分のことだけでなく、苦闘してイエス様に仕えている兄弟姉妹のために祈り、具体的に準備し、与え、支えましょう。兄弟姉妹を愛し犠牲を払うことはイエス様を愛することと同じです。たとえ右の手の奉仕が左手に知られてなくても、大丈夫です。神様は大いに喜んでくださっています。神様にとってのご馳走です。ハレルヤ!

2023年3月3日金曜日

ヨハネの手紙第三

 ヨハネの手紙第三

聖書の時代の教会には「新約聖書」としてまとまった本はまだありませんでした。その代わりにイエス様と生活を一緒にした使徒たちが生きていて、手紙や口頭でイエス様のことを教え伝えていました。その記録や手紙がまとまったのが「新約聖書」です。イエス様→使徒たち→教会の皆さんへ、という順で神様のことばが伝わり、記録されて行きました。
今日の箇所は使徒ヨハネがガイオという人に書いた手紙です。その手紙が聖書として今も伝えられ、神様の願いが現されています。
使徒ヨハネはガイオを「私の子ども」と言い、「愛している」と何度も書いています。イエス様を信じたガイオは霊的な子どものようであり、イエス様のことを伝え教えたヨハネは霊的な親のようです。親は子どもを愛し、子どもの幸いを祈ります。
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
神様は僕らの幸いを願い、健康であることを願ってくださっています。もちろん試練も病もあり、その試練を通して教えられることも沢山ありますが、それでも神様は僕らが信仰だけでなく、生活も健康もすべてのことが幸いであり、健康であることを願っておられます。
神様を愛し、隣人を愛することは、自分を大切にすることも含みます。神様は僕らの体を「あなたがたのからだはキリストのからだの一部」「聖霊の宮(住まい)」だと言われます。(新約聖書1コリント6.15、19)僕らのからだは神様のものです。体のために必要な食事をし、運動をし、休息を取り、不健康なことを避けることは神様の願いです。神様はからだを愛しておられます。
子どもが幸いであるのは神様にとって喜びです。中でも何より嬉しいのは、子どもが真理の中を生活していることです。これは、神様にとってもヨハネにとっても「大きな喜び」です。
3 兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。4 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
イエス様を信じて歩むことは真理の中を歩むことです。そこにはごまかしたり隠したりする必要のない開放感と自由と喜びがあります。神様の願いは僕らがあらゆる点で幸いであることです。そして、自分のことだけにとどまらずさらに、他の仲間たちの幸いを願い助けるようになります。
当時、イエス様のことを伝える人の生活には何の保証もありませんでした。それは今も同じです。牧師や宣教師を生活のためにやっている人はいません。イエス様は「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」とおっしゃいます。(新約聖書マタイ10.8)
それでもイエス様は生活に必要なものを与えてくださいます。具体的には、イエス様を信じる人たち(教会の人たち)からの愛の援助と支えが、イエス様からの支えです。イエス様を信じる人たちは、伝道して生活している人たちに必要なものを与えたいと思うようになります。それは、イエス様とつながったしるしです。
4 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
5 愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たち(旅をして伝道している人たち)のために行なっているいろいろなことは、真実な行ないです。6 彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。
7 彼らは御名のために出て行きました。異邦人からは何も受けていません。8 ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。
今も宣教師や牧師は教会の仲間から必要なものが与えられて生活しています。それは神様の喜びであり、神様の愛の現れです。ですが、信者を利用して搾取し食い物にしようとする人がいるなら、ニセモノです。聖書はそれを警告しています。
(新約聖書 2ペテロ 2:1-3)
あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、(…中略…)また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。
東栄福音キリスト教会では、毎月ささげられた献金の中から牧師の生活費を支出し宣教師に送金ています。信じた人はそのようにして、牧師や宣教師と一緒にイエス様を伝えたいと思うようになります。それはイエス様の愛と真理の現れであり、神様の喜びです。「そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。」(8節)もちろん、それは強制されるものではありません。
神様の願いは信じた人たちがあらゆる点で幸いであることです。信仰はもちろん、生活も、健康もです。そして、イエス様の愛と真実は僕らが具体的に与え合い支え合うことに現れます。互いに助け合い、与え合うことは、自虐的なことではありません。自分のからだや生活を大事にすることと、互いに与え合うことは両立します。
これを読む方々が、今日もあらゆる点で幸いでありますように。健康でありますように。そしてイエス様のことばが僕らの愛し合い助け合う中でますます広がっていきますように。
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
4 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。