ヨハネの手紙第三
聖書の時代の教会には「新約聖書」としてまとまった本はまだありませんでした。その代わりにイエス様と生活を一緒にした使徒たちが生きていて、手紙や口頭でイエス様のことを教え伝えていました。その記録や手紙がまとまったのが「新約聖書」です。イエス様→使徒たち→教会の皆さんへ、という順で神様のことばが伝わり、記録されて行きました。
使徒ヨハネはガイオを「私の子ども」と言い、「愛している」と何度も書いています。イエス様を信じたガイオは霊的な子どものようであり、イエス様のことを伝え教えたヨハネは霊的な親のようです。親は子どもを愛し、子どもの幸いを祈ります。
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
神様は僕らの幸いを願い、健康であることを願ってくださっています。もちろん試練も病もあり、その試練を通して教えられることも沢山ありますが、それでも神様は僕らが信仰だけでなく、生活も健康もすべてのことが幸いであり、健康であることを願っておられます。
神様を愛し、隣人を愛することは、自分を大切にすることも含みます。神様は僕らの体を「あなたがたのからだはキリストのからだの一部」「聖霊の宮(住まい)」だと言われます。(新約聖書1コリント6.15、19)僕らのからだは神様のものです。体のために必要な食事をし、運動をし、休息を取り、不健康なことを避けることは神様の願いです。神様はからだを愛しておられます。
子どもが幸いであるのは神様にとって喜びです。中でも何より嬉しいのは、子どもが真理の中を生活していることです。これは、神様にとってもヨハネにとっても「大きな喜び」です。
3 兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。4 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
イエス様を信じて歩むことは真理の中を歩むことです。そこにはごまかしたり隠したりする必要のない開放感と自由と喜びがあります。神様の願いは僕らがあらゆる点で幸いであることです。そして、自分のことだけにとどまらずさらに、他の仲間たちの幸いを願い助けるようになります。
当時、イエス様のことを伝える人の生活には何の保証もありませんでした。それは今も同じです。牧師や宣教師を生活のためにやっている人はいません。イエス様は「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」とおっしゃいます。(新約聖書マタイ10.8)
それでもイエス様は生活に必要なものを与えてくださいます。具体的には、イエス様を信じる人たち(教会の人たち)からの愛の援助と支えが、イエス様からの支えです。イエス様を信じる人たちは、伝道して生活している人たちに必要なものを与えたいと思うようになります。それは、イエス様とつながったしるしです。
4 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
5 愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たち(旅をして伝道している人たち)のために行なっているいろいろなことは、真実な行ないです。6 彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。
7 彼らは御名のために出て行きました。異邦人からは何も受けていません。8 ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。
今も宣教師や牧師は教会の仲間から必要なものが与えられて生活しています。それは神様の喜びであり、神様の愛の現れです。ですが、信者を利用して搾取し食い物にしようとする人がいるなら、ニセモノです。聖書はそれを警告しています。
(新約聖書 2ペテロ 2:1-3)
あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、(…中略…)また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。
東栄福音キリスト教会では、毎月ささげられた献金の中から牧師の生活費を支出し宣教師に送金ています。信じた人はそのようにして、牧師や宣教師と一緒にイエス様を伝えたいと思うようになります。それはイエス様の愛と真理の現れであり、神様の喜びです。「そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。」(8節)もちろん、それは強制されるものではありません。
神様の願いは信じた人たちがあらゆる点で幸いであることです。信仰はもちろん、生活も、健康もです。そして、イエス様の愛と真実は僕らが具体的に与え合い支え合うことに現れます。互いに助け合い、与え合うことは、自虐的なことではありません。自分のからだや生活を大事にすることと、互いに与え合うことは両立します。
これを読む方々が、今日もあらゆる点で幸いでありますように。健康でありますように。そしてイエス様のことばが僕らの愛し合い助け合う中でますます広がっていきますように。
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
4 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
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