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2022年12月19日月曜日

エズラ1章

 神様がおっしゃったことは、必ず実現します。僕らに予想もつかない方法を用いて、それを実現させる方です

エルサレムが崩壊し、人々はバビロンに捕囚として連れ去られた後、神様はあらかじめ預言者エレミヤを通して「70年後に帰らせる」とおっしゃっていました。


(エレミヤ29章10節)

まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。


そして、この約束はその通りに実現します。


(1-3)

ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。


神様の言葉が実現するために用いられたのは、ペルシャの王様キュロスでした。彼は異教の王ですそれでも神様は彼の「霊を奮い立たせ」て、エルサレムの宮を建てるように命令させます。神さまはどんな人も用いることができます。それを聞いたユダヤ人のリーダーたちも立ち上がり、エルサレムを再建することを目指します。これらすべての人は「神が彼ら全員の霊を奮い立たせた」と書かれています。(5)


(5-6)

そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた。


神様のことばは実現します。そして、神様によって霊を動かされた人たちが行動します。すべての計画、そして実現する力は神様から与えられます。やる気は神様からのものです


ピリピ2:13

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです


神様がおっしゃったことは、必ず実現します。すべては神様から出て、神様によって成ります。


(ローマ11:36

というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。


今日も神様を求めましょう。すべての計画が神様のみこころの通りになされますように。ハレルヤ!

エズラ2.1-58

 神様はユダヤ人たちに「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」(創世記12.7)とおっしゃり、その通りに彼らに土地が与えられました。彼らがどんなに堕落しても、「この地を与える」という約束はなくなりません。神様のことばだからですユダとエルサレムは70年間土地を奪われ、踏みにじられ、人々は捕囚として連れ去られましたが、それでも彼らは「それぞれ自分の町に」帰ってきます。


(1-2)

バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと一緒に帰って来た。


神様が与えてくださったリーダーたちの役目も70年間たってから復活しました。神様が与えてくださる役目は失われていませんでした。祭司も、歌い手も、門衛も、それぞれの役目が70年経って復活しました。


(36)

祭司は、ヨシュアの家系のエダヤ族、九百七十三人。


(41-42)

歌い手は、アサフ族、百二十八人。門衛の人々は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、合計百三十九人。


聖書は「神の賜物と召命は、取り消されることがない」と言います。(ローマ11:29神様が選んだユダヤ人たちは一人も忘れられていませんでした。そして、神様が与えてくださった役割や秩序も神様は忘れてはいませんでした。

僕らもいるべき所に神様が帰してくださいます。ユダヤ人たちが70年も捕囚になったのは彼らの罪のせいですそして僕らも自分の罪ゆえに役割や居場所を失ったかに見えることがあります。


それでも神様は見放していません。必ずいるべき所に戻してくださいます。

一人も失われていません。主は回復させてくださいます。大丈夫です。主は約束を覚えていてくださいます。

エズラ3章

僕らの命も力も神様のものであり、神様は僕らの人生を僕らが思う以上に栄光に満ちた素晴らしいものにしようとしておられます。神様の力と栄光が表されるためには、僕らが自分の小さなプライドや計画を手放し、神様に明け渡すことです。言い換えるなら自分に死ぬことであり、自分の体を神様に委ね切ることです


ユダヤ人たちはエルサレムに帰ってきて、まず決まった通りに「全焼のささげ物」をささげるようになりました。しかもそれは朝ごと夕ごとに毎日でした。「全焼のささげ物」とは、自分自身を完全に神様にささげ切ることを表すために、自分の代わりに動物を殺して完全に灰になるまで焼き尽くすものです。


(2-4)

そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおりに全焼のささげ物を献げるため、イスラエルの神の祭壇を築いた。(…中略…)彼らはその上で主に全焼のささげ物、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のささげ物を献げた。彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のささげ物を献げた。


「全焼のささげ物」とは献身の表明です僕らはいつも自分の優先したいことがあります。でも、一旦それを手放し、神様のご計画や神様が願っておられる優先順位に自分を委ね切ることに、僕らも朝ごと夕ごとに立ち帰ることが必要です

僕ら自身をささげるのが「全焼のささげ物」です


ユダヤ人たちがどんなに罪深く、神様に背いても、それでも神様はエルサレムに連れ戻してくださいました。

廃墟となった神殿を彼らはもう一度イチから作ろうとします。どんなに人間が神様から離れようとも神様はいつくしみ深く回復させてくださいました。彼らは神殿の礎を据えた時、主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と互いに歌い交わしました。


(10-11)

建築する者たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。そして彼らは主を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。


人は自分で生きているのではありません。全てが神様の恵みであり神様の愛であり、神様の力です

傲慢になって離れていたユダヤ人たちも戻ることができました。僕らも日々立ち返りましょう。神様こそが全てです

自分を捨て、神様に毎日戻り、すべての恵みを感謝することは最高の人生になります。

神様は僕らに悲しみではなく喜びを与えようとなさっています。今日も僕らが自分を捨てて神様に感謝する1日でありますように。


エズラ2.68-70

 混乱したり、失ったりして何から手をつけていいかわからない時、最初にすべきは神様との交わりのための時間と場所を作ることです。70年ぶりにエルサレムに帰ってきたユダヤ人たちは、自分たちの家よりも先に、まず神様の宮を立てる準備をしました。神様と交わることが彼らにとって最優先でした。


(68-69)

一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。彼らは自分たちの財力に応じて、工事資金として金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着を献げた。


必要な衣食住も、全ては神様から与えられるものです。なので、彼らはまずは神様を愛し、礼拝し、交わるための宮を作ります。そこから全てが始まります。イエス様もおっしゃいました。


(マタイ6:33

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(食べ物や着るもの)はすべて与えられます。


全てを失ったユダヤ人たちはもう一度自分の町に帰ることができました。70年前は神様を敬わず、国は荒れ果てていました。ですが、今は違います。まず神様です全てを与えてくださる神様との交わりを優先することは大正解です


(70)

こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだ。


僕らもまず、神様との時間、場所を確保することからスタートしますように。全てはそこから始まります。ハレルヤ!


エズラ7章

 歴史を動かしているのは神様です神様は異教の王様の心さえも動かし、王様を用いてご計画を勧められます。もちろん僕らの心が神様に向くことも神様から出たことです

神殿を作るだけでなく、ユダヤ人たちに律法を教えるために学者エズラがエルサレムに行くことになりました。もちろんエズラがそれを願い、主の律法を人々に教えたい、と思いました。…ですが、そのように思うこと自体が神様から出たことです全てのプロセスに「主の御手が」ありました。


(6)

このエズラがバビロンから上って来たのである。彼はイスラエルの神、主がお与えになったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。


(9-10)

すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。


人々が神様の律法を学び、それを実行することは神様の栄光になります。これは今も同じで、僕らが聖書を学び、それを実行することは神様の栄光になります。それら全てが人から出たことでなく神様からの恵みです人から出たことは何もありません。全てが神様のみ手から出たことです



(27-28)

私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王とその顧問と、王の有力な高官すべての前で私に恵みを得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。


僕らが神様を愛し、その教えを知りたい、と願うことの全ては神様からの恵みです

神様はあらゆる人の心を作り変える神様です僕らから出たことは何もありません。今日も感謝しましょう。自分の心が神様を求めるように変えてくださるのは神様です栄光は神様にあります。僕らから出たものは何もありません。全てを感謝しましょう。歴史は神様によって動かされています。ハレルヤ!

エズラ8.15-20

 ユダヤ人たちに律法を教えるために学者エズラがエルサレムに行くことになりましたが、これはエズラ一人ではできません。

一緒に聖書を教えるレビ人たちが必要ですエズラは人々のリーダーを集め、レビ人たちを連れてくるように言います。神様のために働く人が足りない時こそ神様に求め、祈り、行動する時です。「神の恵みの御手が私たちの上にあったので」(18)レビ人たちはエズラと一緒にエルサレムに行くことになりました。


(15-18)

私はそこに民と祭司たちを確認したが、レビ人は見つけることができなかった。それで私は、かしらのエリエゼル、アリエル、シェマヤ、エルナタン、ヤリブ、エルナタン、ナタン、ゼカリヤ、メシュラムと、教師エホヤリブ、エルナタンを呼び集め、カシフヤ地方のかしらイドについて、彼らに指示した。すなわち、イドとその同僚、またカシフヤ地方にいる宮のしもべたちに対して、私たちの神の宮に仕える者たちを送ってもらうためには何と言えばよいか、彼らにことばを授けた。私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子、レビの子、マフリの子のうちから賢明な者、シェレベヤと、その子たち、およびその兄弟たち十八人を私たちのところに連れて来てくれた。


レビ人たちはやがてエズラと一緒に人々に律法を説明する人になります。


ネヘミヤ8:7-8

レビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はそこに立っていた。彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。


神様の栄光のための働き人は神様が連れてきてくださいます。イエス様はおっしゃいました。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(ルカ10.2)主が必要な人たちを送ってくださいます。全てのことに主の御手があります。


人が足りない時、祈りましょう。そして一緒に神様のために奉仕する人が来るように呼びかけましょう。神様が必ず連れて来てくださいます。僕らの祈り、そして神様への信頼、そして行動はセットです神様は必ず必要な人を与えてくださいます。ハレルヤ!


エズラ8.21-36

 エズラは莫大なささげものを持ってエルサレムの神殿まで運んで行くことになりましたが、その道中の守りのために騎兵たちを王に求めるのを恥じました。敵からの守りは警備によるのではなく神の御手による、と信じていたし、そのように王に言っていたからです


(21-22)

私はそこ、アハワ川のほとりで断食を布告した。それは、私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちのすべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。それは私が、道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを、王に求めるのを恥じたからであった。実際、私たちは王に、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたのである。


神様を信頼することは口だけでなく行動に現れます。エズラは言った通りに神様だけに求め、断食を布告し、本気で求めました。断食することは自分の力や命の源が食べ物ではなく神様にだけあります、という表明です


(23)

そのため私たちはこのことのために断食して、自分たちの神に願い求めた。すると、神は私たちの願いを聞き入れてくださった。


(31)

私たちはエルサレムに行こうと、第一の月の十二日にアハワ川を出発した。私たちの神の御手が私たちの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から私たちを救い出してくださった。


神様を信頼し求める人に主は答えてくださいます。

彼らは無事にエルサレムに到着できました。莫大なささげものを届けることができた後、彼らは神様に全焼のささげものをしました。焼き尽くすささげものは、自分の全てが神様のものであることの表明です


今日も全ては神様のものです。そして安全も、力も、命も、良いものは全て神様から与えられます。信じることは行動に現れます。

僕らも神様を信頼し、信頼していることを行動で表しましょう。神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを与えてくださいます。ハレルヤ!


エズラ9章

 人は交わる仲間や友人によって感化されます。交際する相手によって良くもなるし悪くもなります。「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。」と聖書は言います。(1コリント15.33)まして、結婚することは相手の影響をまともに受けることですだから神様は言われます。


(11-12)

『あなたがたが入って行って所有しようとしている地は、異国の汚れで汚れた地、忌み嫌うべき行いによって隅々まで汚れで満ちてしまった地である。だから今、あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子の妻にしてはならない。


エルサレムが滅ぼされ、神殿が破壊された理由はユダヤ人たちが異国の偶像と交わり、淫行を行ったからでした。祝福してくださる神様から離れることは全ての良いものを捨てていくことです。でも、そんな彼らでさえも、神様は見放すことなく憐れみ、もう一度神殿を建ててくださり、町を元に戻してくださいました。


(7-9)

私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、今日あるとおりです。しかし今、しばらくの間、私たちの神、主はそのあわれみによって、私たちに逃れの者を残し、私たちのためにご自分の聖なる所に一本の杭を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちを少しでも生き延びさせてくださるためでした。事実、私たちは奴隷です。しかし私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシアの王たちによって恵みを施し、私たちを生かして、私たちの神の宮を建て直させ、その廃墟を元に戻し、ユダとエルサレムに石垣を下さいました。


神様は憐れみ、もう一度戻してくださったのに、またもやその恵みと祝福を自分から捨て、すべて台無しにしてしまいます。エルサレムに戻ったイスラエル人たちは再び神様が忌み嫌う偶像礼拝をする異国の女性たちと結婚し、その悪習慣を取り入れていました。


(1-2)

「イスラエルの民、祭司、レビ人は、カナン人、ヒッタイト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人など異国の忌み嫌うべき習慣と縁を絶つことなく、かえって、彼らも息子たちも、これらの国々の娘を妻にし、聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合ってしまいました。しかも、指導者たち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」


エズラは茫然としてしまいます。何も神様に申し上げることができません。


(3)

私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然として座り込んでしまった。


汚れた僕らを神様は見放さず、イエス様によって赦し、きよめて下さいました。僕らが赦され、きよめられ、無罪と宣言され回復したのは、イエス様の十字架の処刑によります。だのに、それを忘れてもう一度汚れに戻って行くことがあります。


(2ペテロ 2:20)

主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。


僕らはイエス様によって赦され、憐れみを受け、きよくされています。

以前の汚れに戻るのは、赦されるためにささげられたイエス様の十字架の犠牲の大きさ、恵みの大きさ、愛の大きさを忘れるからです今日も感謝しましょう。今日も神様がしてくださった一つ一つを数え上げましょう。イエス様の恵みは大きすぎます。ハレルヤ!