2026年8月19日水曜日

使徒24.24-25

 使徒24.24-25


病院に行って「重症です。以上。」なら怖いと思います。悪い診断の後には、素晴らしい治療について聞く必要があります。同じように、「裁きがあります。以上」なら怖いです。

大事なのは、「悪い知らせ」の後に「良い知らせ」があることです。

死後の裁きはあることと、イエス様による愛があり赦しがあることの両方が大切です。


逆に、「良い知らせ」だけでもダメです。

「イエス様の愛があるよー」だけでは足りません。ちゃんと「罪に対する神の怒りと裁き」があります。

それをイエス様が身代わりに受けてくださいました。神様の怒りと裁きがあるからこそ、それを引き受けてくださったイエス様の犠牲の愛がわかります。

「悪い知らせ」と「良い知らせ」両方が大事です。

総督フェリクスは「悪い知らせ」だけを聞いて恐ろしくなったようです。



"しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。"

使徒の働き 24章25節



まず、パウロは「正義について」語りました。神様の正義と僕らの現実にはだいぶギャップがあります。「正しい人はいない」という悪い知らせです。「義人はいない。一人もいない。」と聖書は言います。(ローマ3.10)

神様から見たら、すべての人に罪があります。まるで汚れた服を着ているかのようです。

聖書は「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい」と言います。(エレミヤ書17章9節)努力したりカウンセリングを受けたりしたら、ちょっとは改善するかもしれません。でも、基本的に神様の正しさレベルに到達する事はありません。

やはり神様の怒りと裁きはあります。


ここまで聞いて、フェリクスは「もうそれ以上聞きたくない」と思ったようです。「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」(25)です。


確かに、神様の裁きはあります。聖書がそう言っています。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」(ヘブル9.27)

とあります。でも大切なのはその続きです。

裁きがあるからこそ、イエス様は十字架でその裁きを受けてくださいました。

「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」(ヘブル9.28)僕らの罪をイエス様が背負ってくださり、ご自分を十字架の呪いにささげてくださいました。僕らが受けるべき神の裁きと怒りはイエス様が受けてくださいました。

だからイエス様は言われます。


"まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。"

ヨハネの福音書 5章24節


これが良い知らせです。でも、フェリクスは自分の罪と裁きの現実を突きつけられて怖くなってしまったようです。そこで終わってしまってしまいました。



"悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。"

ヨハネの福音書 3章20節



罪とか悪は暗闇にいたがります。暗い方バレないからです。

ナメクジとかわらじ虫は暗くてジメジメしたところが大好きです。

同じように罪は光のもとに出したくありません。暗闇に隠しておきたいものです。光に照らされると罪がはっきり見えてしまいます。


病院のMRIとかCTに照らされると悪いところがハッキリわかります。

これ、実は良いことです。悪いとわかるからこそ治療ができます。

僕らに罪があります。神様の怒りの裁きもあります。光に照らされるとそれがわかります。

それがわかるのは脅すためではありません。イエス様の元に導くためです。

イエス様の血はすべての罪から私たちをきよめくださいます。


このように「悪い知らせ」と「良い知らせ」はセットで大切です。

今日も照らされて罪が見えたなら、それは救いのため、赦しのためです。

イエス様の愛と赦しは完全です。ハレルヤ!


使徒25.1-12

 使徒25.1-12


憎まれたり、誤解されたり、トラブルに巻き込まれたりすることがあります。でも、そんなゴタゴタを超えて神様の目的は達成されます。イエス様からの語りかけを聞いて、イエス様の目的がわかっている人は強いです。トラブルの中でもゴールを見ています。

パウロははっきりとイエス様のことばを聞いて「この先どうなるか」がわかっていました。

 


"その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。"

使徒の働き 23章11節



パウロはこの先ローマ皇帝カエサルの前に行って、イエス・キリストが神であり、救い主であり、世界の王です、と証言することになります。イエス様が「わたしのことをローマでも証しをしなければならない」とおっしゃるからです。

でも、目の前の現実は問題だらけです。

カイサリアに幽閉されて2年たっても、パウロに対する憎しみと暗殺計画は続きます。新しく総督になったフェストゥスにユダヤ人指導者たちは「彼をエルサレムに呼び寄せていただきたい」と言います。途中で殺すためです。



"フェストゥスは、属州に到着すると、三日後にカイサリアからエルサレムに上った。

すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを告訴した。

そして、パウロの件で自分たちに好意を示し、彼をエルサレムに呼び寄せていただきたいと、フェストゥスに懇願した。待ち伏せして、途中でパウロを殺そうとしていたのである。"

使徒の働き 25章1~3節


フェストゥスは訴えたいなら「おまえたちの中の有力者たちが私と一緒に(カエサリヤに)下って行って、彼を訴えればよい」と言います。その通りに、ユダヤ人たちはカエサリヤに出かけます。彼らの憎しみと執念は相当なものです。



"しかしフェストゥスは、パウロはカイサリアに監禁されているし、自分も間もなく出発する予定であると答え、

「その男に何か問題があるなら、おまえたちの中の有力者たちが私と一緒に下って行って、彼を訴えればよい」と言った。

フェストゥスは、彼らのところに八日か十日ほど滞在しただけで、カイサリアに下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。

パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。"

使徒の働き 25章4~7節



パウロは自分を訴えている敵や問題だけを見ていません。悪い状況を嘆くよりも、与えられたイエス様のことばを考え、イエス様の目的に向かうことを考えています。イエス様のことばは「あなたはローマでも証しなければならない」(23章11節)です。



"すると、パウロは言った。「私はカエサルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。閣下もよくご存じのとおり、私はユダヤ人たちに何も悪いことをしていません。

もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」

そこで、フェストゥスは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」"

使徒の働き 25章10~12節



訴えられる悪い状況を通してパウロはローマ皇帝カエサルに上訴することができました。憎まれたり訴えられたりすることさえも、イエス様のおっしゃった通りにローマに行く機会と変えられました。神様はどんなトラブルも神様の目的のために用いることができます。


僕らの人生も同じです。

人生の目的はイエス・キリストが神様であり王であることが証され、父なる神がほめたたえられるためです。


パウロは自分の目的ではなくて、イエス様からの目的で生きていました。それはイエス様が神であり王の王であることをローマで証しし、すべての人たちがほめ讃えるようになることです。


僕たちの人生も同じです。問題やトラブルはあるけど、「どうしてこんなことが…」と思うより、この状況の中でどうすれば神様の栄光を現すか、神様を愛することができるか、多くの人たちにイエス様を現すか、そこに向かっていけば大丈夫です。

トラブルがなくなることが目的ではありません。

トラブルを通して、神様のご栄光に向かっていくことができます。

自分の野望ではなくて、神様からのビジョンです。

全ての人たちが神様を知り、愛し、賛美しますように。ハレルヤ!



2026年8月18日火曜日

使徒24.1-9

 使徒24.1-9


僕らは誰に気に入られようとしているのか問われます。人に気に入られたくて媚びたり、口だけで持ち上げたり…身近なことです。そうするのが「自分の欲望のため」「自分の利益のため」であることがあります。



"彼らは…自らの欲望のままに生きています。その口は大げさなことを語り、利益のために人にへつらいます。"

ユダの手紙 1章16節 



「利益のために人にへつらう」まさに、自分の利益のために人のご機嫌を取ることです。

もし、それで相手に気に入られたとしても、それが神様の前で正しくなければ意味がありません。


テルティロという弁護士は、パウロを有罪にするために大祭司や長老からの委託を受けました。たぶん高額な報酬を受けて雇われた弁護士です。彼の目的は祭司長たちの願いをかなえ、パウロを有罪にすることです。彼はまず、裁判官のフェリックス閣下をめちゃくちゃ持ち上げます。



"五日後、大祭司アナニアは、数人の長老たち、およびテルティロという弁護士と一緒に下って来て、パウロを総督に告訴した。

パウロが呼び出され、テルティロが訴えを述べ始めた。「フェリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を享受しております。また、閣下のご配慮により、この国に改革が進行しております。

私たちは、あらゆる面で、また、いたるところでこのことを認め、心から感謝しております。"

使徒の働き 24章1~3節



実は、この総督は残忍でかなり問題のある人でした。とてもじゃないけど、「閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を享受」とは言えない人です。それでも持ち上げ、ほめちぎり、気に入られようとします。それがこの弁護士のやり方です。目的は依頼人の願い通りにすることです。

テルティオ自身がパウロを知っていたわけではないし、パウロのことを本当に悪人だと思っていたわけでもありません。自信満々にひどいことを断言します。



"実は、この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人の一派の首謀者であります。

この男は宮さえも汚そうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。閣下ご自身で彼をお調べくだされば、私たちが彼を訴えております事柄のすべてについて、よくお分かりいただけると思います。」

ユダヤ人たちもこの訴えに同調し、そのとおりだと主張した。"

使徒の働き 24章5~9節



いくら裁判官を持ち上げて勝訴したとしても、最終的な神様の裁きに耐えられないなら、これは敗北です。

これと真逆の態度をとるのがパウロです。目の前の総督の気に入る話ではなく、むしろ死後に裁きがあることを語ります。



"数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。

しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。"

使徒の働き 24章24~25節



僕らは誰に気に入られようとしているのか問われます。

弁護士テルティロは権力者に気に入られようとしてへつらいました。

パウロはただ神様の前で正しくありたいと願い、真実を語りました。

もしも周りに気に入られたとしても、神様の裁きの前に正しくなければ意味がありません。


人にどう思われるか、ではなく神様に喜ばれるものでありますように。僕らの心が、発言が、行動がいつも神様の前でありますように。



2026年8月16日日曜日

使徒23.11-35 「みことばこそわたしの助け」礼拝メッセージ

 使徒23.11-35

「みことばこそわたしの助け」


質問です。

皆さんの最近の悩みとか苦しみどうでしょう。みんなあると思います。

そのことに神様はなんとおっしゃってるでしょうか。

僕らはいろんな解決を求めるけど、やっぱり神様はその問題について語ってくださいます。


パウロも悩みました。悩んだ、というより何度も殺されかけ、拷問、ムチ、監禁、ひどい目にあって、落ち込んだと思います。パウロも人間です。悲しいし、疲れるし、落ち込みます。


今日の箇所もそうです。エルサレムで人々に捕まり、暴力を受け、最高法院でもひどいことを言われた後、へとへとになっていた夜のことです。


(11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。 


「勇気を出しなさい」って言われるってことは、勇気がなかったってことです。

安心しなさい、って翻訳もあるし、しっかりしなさい、って訳もあります。

「しっかりできなかった夜」です。不安だった夜です。力が出ない日です。


当たり前だけど、僕らはラクしたいし安全な道を歩きたいです。

でも、そんな日だけではありません。

「勇気を出しなさい」って言葉。

問題だらけ、悲しいこと、落ち込む人におっしゃる言葉です。


(11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。 


今日、神様が皆さんに「しっかりしなさい、勇気を出しなさい」って語りかけてくださいますように。

そう信じます。


皆さんが今置かれている試練の中で、不安の中で、悪い状況の中で、その中でも、確かな神様のご計画があるから、イエス様が確かに生きて働いてくださるから、それをあなたが体験するし、それを証するようになるから、とおっしゃいます。


このメッセージが皆さんが勇気が与えられ、力が平安が与えられるメッセージとされますように。


⚫︎文脈の説明 あらすじ。


パウロがここエルサレムにきたのは、御霊の導きです。

神様に導かれてきました。でも、「苦しみも受ける」とあらかじめ教えてくれていました。


"ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。
ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。"
使徒の働き 20章22~23節


みことばの通りになりました。

エルサレムに着くと、ユダヤ人たちはパウロが神殿を汚している、と根拠のないでっち上げの訴えで群衆が焚き付けられて大騒ぎになり、パウロは捕まえられました。


"そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。すると、ただちに宮の門が閉じられた。
彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。"
使徒の働き 21章30~31節

「彼らがパウロを殺そうとしていた」とあります。引きずり出し、人々が殺到しています。

パウロは無抵抗なまま、人々から殴る蹴るの暴力を受け殺されかかっています。

町中が大混乱だったので治安を維持するローマ軍が出動しました。パウロは傷だらけでローマ兵たちに救出されました。それでも大勢の民衆は、「殺してしまえ」と叫びながら、ついてきます。

歩くだけで殴りかかってくる人が大勢いるので、暴行を避けるために兵士たちはパウロを担ぎ上げるほどでした。


※イメージ画像




パウロは暴行を受けながらも、階段の上でイエス様のことを話します。

群衆は最初だけ聞いてたけどすぐにわめきだします。


"人々は彼の話をここまで聞いていたが、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」
人々がわめき立て、上着を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、
千人隊長は、パウロを兵営の中に引き入れるように命じ、なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため、むちで打って取り調べるように言った。"
使徒の働き 22章22~24節

今度はローマ軍が彼をムチで苦しめて、何か自白させようとしました。ムチは後遺症が残ったり場合によっては死んでしまったりする拷問です。囚人を人間扱いしないところがあったようです。ですが、ローマ市民は保護されていました。

ローマ市民を裁判なしで、拷問にかけることは絶対に許されないことだし、拘束したり、何か悪いことをした、とわかると、隊長が責任と問われます。この隊長はローマの権威に逆らった、となります。

途中でパウロがローマ市民だ、とわかると、突然態度が変わります。

「やばい!」と思ったようです。彼らはパウロを縛ってしまったことを恐れました。


それで、今度はユダヤ人の最高議会に裁きを委ねます。

パウロはそこでもひどい目にあいます。

何か発言した途端に、口を殴られそうになります。


(23章1-2節)

1 パウロは、最高法院の人々を見つめて言った。「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」 

2 すると、大祭司アナニアは、パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。


こういう雰囲気です。みんながパウロのことを人間扱いしない、パウロの話なんて誰も聞かない。ただ邪魔な人、死ねばいい人、という扱いです。

普通は落ち込みます。心は病みます。

そんな夜にイエス様が近くに来てくださって言われた言葉です。


(11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。 


それでも周りの状況は悪くなる一方です。

今度は四十人以上の過激派がパウロを暗殺することを誓って計画を立てます。


"夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしない、と呪いをかけて誓った。この陰謀を企てた者たちは、四十人以上いた。"
使徒の働き 23章12ー13節


彼らは祭司長たちと手を組んで、「詳しく調べるために牢屋から祭司たちのところに連れて来させてください」とお願いします。でもこれは表向きの話で、ウラではパウロが牢屋から出された途中に必ず殺します、と誓っている本気の暗殺者たちが40人以上配置されています。


"そこで、今あなたがたは、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がこの近くに来る前に殺す手はずを整えています。」"
使徒の働き 23章15節


⚫︎パウロの拠り所は神様のみことば


僕がパウロの立場だったらめちゃくちゃ恐ろしいことです。

周りは全部敵です。出会う人ほぼ全てが自分を殺そうとしています。

イメージしてください。

町を歩いていたら、取り囲まれて殴られ、蹴られ、警察が来て保護されたと思ったら、今度は警察内で拷問を受けそうになる。危うく助かったと思ったら今度は、裁判所に移送中に殺す、と言う暗殺計画がある。周りはみんな自分を殺したい人たち。


気が狂いそうになる場面です。でも、パウロはすごく落ち着いています。全然焦ったり、落ち込んだり、怖がったりしてません。どうしてそんなに安心してられるのか?

それは神様の言葉があなたはここでは殺されない、ローマで証をする、とおっしゃってるからです。


23章11節

「あなたはエルサレムで私を証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」


神様が「ここでは殺されないよ」と言っているのと同じです。

そして、神様がおっしゃった通りになります。

この暗殺計画は隊長の耳に入ります。


(17-18節)

ところが、パウロの姉妹の息子がこの待ち伏せのことを耳にしたので、兵営に来て中に入り、そのことをパウロに知らせた。
そこで、パウロは百人隊長の一人を呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。何か知らせたいことがあるそうです」と言った。

隊長はこれを聞いて、その夜のうちに、暗殺されないうちに彼をエルサレムから脱出させます。

神様がおっしゃったら、その通りになります。

ここでは死にません。

「ここで証ししたように、ローマでもあなたは証しするようになる」と、神様がおっしゃったんです。

神様がおっしゃったら、その通りになります。


⚫︎恐れで動くこの世の力とは。


①ローマの隊長の場合。 ②ユダヤ人たちの場合。


①ローマの隊長の場合。

隊長は、最初この囚人パウロを縛って、ムチで苦しめようとしました。

でも、ローマ市民だった、とわかって、隊長は慌てます。

このローマ市民パウロを傷つけたり殺すようなことがあったら自分の立場が危うくなります。

相手は本気で暗殺しようとしてる40人以上の人たちです。

自分の立場を守りたい。パウロを守らなければ、というより、自分がヤバイという状況です。

それで必死で、パウロが殺されないように、ものすごい数の軍隊をつけてカイサリアまで夜のうちに護送します。保護します。


"それから千人隊長は二人の百人隊長を呼び、「今夜九時、カイサリアに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を用意せよ」と命じた。
また、パウロを乗せて無事に総督フェリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。"
使徒の働き 23章23~24節

後で、ローマの総督に彼は報告します。その言い方は自己保身です。「自分が彼を救った」と報告します。


(26-27節)

26 「クラウディウス・リシア、謹んで総督フェリクス閣下にごあいさつ申し上げます。 

27 この男がユダヤ人たちに捕らえられ、まさに殺されようとしていたときに、私は兵士たちを率いて行って彼を救い出しました。ローマ市民であることが分かったからです。


パウロをカイサリアまで護送するために、歩兵200人、騎兵70人、槍兵200人、合計470人を用意してます。なぜそこまで大軍を出したのか。本気の40人の暗殺者が近づけないように、隊長が必死で守っています。これはパウロを守るよりも自分の立場がなくなることへの恐れです。神様を知らない人は、不安になると、武力とか力とか、人間の知恵で乗り越えるしかないんです。


②ユダヤ人たちの場合。


パウロを殺そうとした40人以上の者たちは、「パウロさえ消してしまえば、自分たちは安心できる」と考えました。ユダヤ教の中にイエスがキリストだとか、神の子だとか、そんな教えが入ってこられては困ります。あいつさえいなければ自分たちは安泰です。

彼らはローマ軍のような武力を持っているわけじゃないけど、でも、40人以上が結束して「パウロを殺すまで飲み食いしない」と誓います。指導者たちを巻き込み、偽の口実を作ります。

自分たちが持っているものを全部動員して、邪魔なパウロを消そうとします。


ローマの隊長も、ユダヤ人の過激派も「強い人」だからやっているというより、「恐れているから」です。「自分を守りたいから」です。神様を知らない人は必死で自分の力、自分の計画、作戦にすがります。


聖書は、この世界は、悪魔の支配下にある、と言います。エペソ2.1-3にそうあります。

神様の支配、神様の愛と守り、主権を知らない人はやっぱり恐れます。怖いから動きます。

悪魔も怖がらせて人をコントロールします。怖いから暗殺する、怖いから武力を持つ、というふうにです。僕らも例外ではありません。この世界も、不安なことがあると、嫌なことがあると、それを乗り越えるために、いろんな力を求めます。


ところが、パウロの唯一の武器は「御言葉」です。

そして、パウロを守る盾は「信仰」です。


一番弱いのは、人から見たらパウロです。

いつ殺されても、消されてもおかしくないパウロです。

でも、彼には保証がありました。「神様の言葉」という保証です。


だから、神様が「勇気を出しなさい」と言った言葉は、その通りになりました。

僕らも頼るべきは、神様の御言葉です。なぜなら、神様の言葉は私たちを見捨てることはないし、必ず実現する言葉だからです。


悪魔は不安を材料にして人をコントロールします。

逆に、神様はみことばと愛で人を動かします。


AかBか

AかBに行くか僕らが迷う時、神様のみことばはどちらか考えればわかります。

不安だから、おっかないから、というのは実はコントロールされ動かされて、縛られていることがあります。神様から「私は共にいる」「勇気を出しなさい」「私の栄光を見る」そういうみことばに聞いて、判断して動くのが正解です。


怖いと自分の力を欲しがります。安心したいからです。

お金、地位、肩書き、人脈、権力、判断力、知力、体力…です。でも本当の安心は、自分が強くなったところにあるんじゃなくて、神様が私たちを愛し、守り、導いいてくださるみことばです。ローマ隊長は「力」でパウロを守ります。神様は「みことば」でパウロを守ります。


ローマ側は、「これだけ兵士をつければ大丈夫」「これだけ武装していれば大丈夫」という世界です。

逆に、パウロはパウロは主から、「勇気を出しなさい。あなたは……ローマでも証ししなければならない。」という言葉が守ります。パウロを本当に守っていたのは、470人の兵士ではなく、神様の約束です。


⚫︎実現したみことば


「パウロ、安心しなさい。あなたはここで殺されて終わるのではない。あなたにはまだ、わたしを証しする使命がある、それを聞いて、パウロはカイサリアへ護送されます。


カイサリアに着いてもユダヤ人たちは何度もやって来て、パウロを訴えます。

カイサリアでは総督フェリクスの前で弁明し、総督フェストの前で弁明します。

そしてアグリッパ王の前でもキリストを証しします。

普通なら、「自分が無実であることを説明して、早く釈放されたい」と思うけど、パウロは囚人として、「イエス・キリストは生きておられる」と証しします。

そして、パウロの目はその先にあるローマを見ています。「私はローマでも証ししなければならない」と言っています。なぜそう言えるのか?イエス様がそう言われたからです。


※証

カイザリヤに行きました。ここで本当にパウロがフェリクスに、アグリッパにしていたんだ、と思うと心が震えました。


その時のビデオ、1分半のがあるので見てください。




聖書の話は単なる昔話ではありません。


⚫︎適用


「勇気を出しなさい」は、昔パウロに語られた言葉であると同時に、聖霊によって僕らにも力を与えます。神様は生きておられます。僕らも苦しみの中で、自分の力ではなく神様の言葉と神様の力を求めましょう。イエス様は本当に一緒におられます。そして神様の言葉は実現します。

僕らはキリストを証しすることが目的です。

週に一時間礼拝室に座っているだけでなく、人生全部が「イエス・キリストが生きておられる」という体験をするため、証するためにあります。


「自分が無事であること」が人生のゴールではありません。「自分の人生を通して、イエス・キリストが本当に生きておられることが現されること」がゴールです。


僕らは安全な道を行きたいです。

時間の使い方、お金の使い方、人生の使い方、どちらが楽か、安全か、で考えます。

当然だと思います。

ですが、イエス様に繋がった人は、自分にとって安全、とかラクとか、どちらが好きか、よりも、イエス様の願いは何か、イエス様が語っておられるのは何か、です。


主の栄光が表されますように。しっかりしなさい。勇気を出しなさい!