2026年3月19日木曜日

ローマ4.1-8

 ローマ4.1-8


ダビデは権力を使って他人の奥さんと体の関係を持ち、妊娠させ、それがバレそうになったので相手の夫を「戦死」というテイで上手に殺します。ところがそれは彼を苦しめました。罪悪感に悩み、疲れ、うめきます。



私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。

昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。

詩篇 32篇3~4節



ダビデは自分の罪を神様に告白しました。すると神様は赦してくださいました。



私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。"

詩篇 32篇5節



ダビデはうれしくて、感謝して歌います。



"「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。

幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」"

ローマ人への手紙 4章7~8節



ダビデは、結婚生活をちゃんとやり直したから赦されたのではありません。自力ではもうどうにもなりませんでした。妊娠させた赤ちゃんは病気で死にました。それでもダビデは神様に赦されます。彼は不幸になって当然、破滅して当然、神さまに呪われて当然なのに、赦されました。

「幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」とは、まるで一度も罪を犯したことがないかのように扱われる人です。それは努力して良い人になってから手にした報酬ではありません。ただ、神様の赦しを信じたことによって与えられるものです。



"働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。

しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。"

ローマ人への手紙 4章4~5節



アブラハムも同じです。ただ神様のことばを信じました。「それが彼の義と認められた」(3)とあります。努力とか報酬で手に入れたのと全然違います。



"聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。"

ローマ人への手紙 4章3節



今日も責める声がどこからか聞こえてきます。「お前はあんな失敗もした、こんな恥ずかしいこともした」と。ハッキリと口にして攻撃する人もいます。僕らも同じように他人の欠点も数え上げては攻撃します。「あの人はこうだった、ああだからダメなんだ」と。自分で自分も責めます。ところが、神様は間逆のことを言います。



"しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。"

ローマ人への手紙 4章5節



失敗し、恥をかいてきた人たちをあえて神様は選び、義と認めてくださいます。その人は「働きがない」「不敬虔な者」です。(5)まるでまっさらな、キレイな人のように扱ってくださいます。それが神様から与えられる「義」です。


敵は過去の失敗や恥を数え上げるのが大好きで「告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」です。(黙示録12.10)今日も自分を責め、周りを責める声が聞こえてきます。


だから言い返してやりましょう。「働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。」ハレルヤ!



2026年3月18日水曜日

ローマ3.21-30

 ローマ3.21-30

2026年3月17日火曜日

ローマ3.9-22

 ローマ3.9-22


ドラマや漫画で「仕返し成功!」みたいな展開があるとスッキリします。…が、前提として、「こちらが善」「あちらが悪」とか「私は正しい」「相手が間違ってる」とか、マイ判断があります。人間は「自分の善悪判断こそ正しい」と思って、(良かれと思って?)裁き合い、憎み合い、気がついたら破壊し合っている悲惨な道にはまってしまいます。これ、実は悪魔の思うツボです。悪魔は今日も「あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる…」と持ち上げて、互いに殺し合うようにしています。(創世記3.5)

その気になって裁判官のようになり、王様になり、神のように目が開かれた気になって、敵を呪い、復讐し、破壊し、殺し合うことは神様から離れた人間の姿そのものです。



(10-18節)

10,次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。一人もいない。

11,悟る者はいない。神を求める者はいない。

12,すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」

13,「彼らの喉は開いた墓。彼らはその舌で欺く。」「彼らの唇の下にはまむしの毒がある。」

14,「彼らの口は、呪いと苦みに満ちている。」

15,「彼らの足は血を流すのに速く、

16,彼らの道には破壊と悲惨がある。

17,彼らは平和の道を知らない。」

18,「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」



マイ裁判、マイ判断が飛び交う混沌とした世界に神様は明確な「律法」を与えてくださいました。モーセを通してまずイスラエルに与えられたものですが、要約すると「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」です。(ローマ13.9)「律法は聖なるものです。また戒めも聖なるものであり、正しく、また良いものです。」(ローマ7.12)

ところが、僕らはそんな愛の律法は守ることができません。ムリだと思います。律法によってわかることは「自分は神様も隣人も愛してない」ことです。律法を通して生じるのは罪の意識です。



(20節)

なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。



律法は僕らを救いませんが、罪深く病んでることは教えてくれます。

まるで、レントゲンとか、MRIとかみたいです。

「律法によらなければ、私は罪を知ることはなかったでしょう。」と聖書は言います。(ローマ7.7)

律法で罪はわかるけど、律法は救ってくれません。律法を守って神様の前に義とされることはありません。それを守る力がありません。

完璧な人になるなんて無理です。


それで聖書は言います。「律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。」(ガラテヤ3.24)

僕らの罪を正しく裁くのは神様だけです。そして、その罪を引き受けて裁かれてくださったのはイエス様です。

このイエス様を信じ、イエス様を受け入れ、イエス様につながる人は、すでに神様の怒りと呪いを終え、赦され、きよめられます。


律法は僕らを検査し、不合格にします。そして、イエス様のところに導きます。イエス様こそ僕らをきよめ、新しくし、癒し、変えてくださる方です。



(21-22)

21,しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。

22,すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。


僕らを内側から変えてくださるのはイエス様です。愛のない僕らですが、イエス様の聖霊が僕らに愛を注いでくださっています。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5.5)今日もイエス様を求めましょう。今日も聖霊を求めましょう。今日も神様から注がれる愛を求めましょう。求める人には与えられます。マイ判断、マイ裁きは手放しましょう。ハレルヤ!



2026年3月16日月曜日

ローマ2.17-3.4

 ローマ2.17-3.4


「教会に傷つけられた」「牧師につまづいた」よくある悲しい話です。…ですが、「イエス様につまづいた」「イエス様に傷付けられた」のではありません。「たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方」です。(ローマ3.4)つまづきの原因は人間の罪であり悪であり欠点です。

同じように、戦争とイスラエルの政策を見聞きして「なんでそんなこと…」「ひどい…」と思うのも悲しい話です。だからと言って「聖書は間違い」「神なんていない」のではありません。


「律法は聖なるものです。また戒めも聖なるものであり、正しく、また良いものです。」(ローマ7.12)悪いのは神様でも聖書でもなくて、人間です。聖なる教えを知りながら、実際にはヒドいことをしている人間を聖書は指摘しています。



(17-23)

17,あなたが自らユダヤ人と称し、律法を頼みとし、神を誇り、

18,みこころを知り、律法から教えられて、大切なことをわきまえているなら、

19,また、律法のうちに具体的に示された知識と真理を持っているので、目の見えない人の案内人、闇の中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だ、と自負しているなら、

21,どうして、他人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。

22,姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿の物をかすめ取るのですか。

23,律法を誇りとするあなたは、律法に違反することで、神を侮っているのです。



人は真実ではありません。正しい国はありません。真実で正しいお方は神様だけです。



(3章3-4節)

では、どうですか。彼らのうちに不真実な者がいたなら、その不真実は神の真実を無にするのでしょうか。

決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。



イエス様は聖書を教える人には特に厳しく「外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」(マタイ23.28)と言います。だから、「彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。」(マタイ23.3)


じゃあ、最初に律法を委ねられたユダヤ人指導者は全部ダメな人たちか?というと、そんなことはありません。むしろ、素晴らしい点は「大いにあります」それは「神様のことばを委ねられた」ことです。(ローマ3.2)



(ローマ3.1-2)

それでは、ユダヤ人のすぐれている点は何ですか。割礼に何の益があるのですか。

あらゆる点から見て、それは大いにあります。第一に、彼らは神のことばを委ねられました。



ユダヤ人たちに神様は最初にみことばを預けてくださいました。そして今日も彼らは神様に愛され、選ばれています。神様が手を差し伸べている人たちです。



"彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。

神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。"

ローマ人への手紙 11章28~29節



"イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」"

ローマ人への手紙 10章21節



"それでは尋ねますが、神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそんなことはありません。"

ローマ人への手紙 11章1節



悪いのはみことばではありません。神様でもありません。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。」(テモテ2章13節)誰であっても、たとえ指導者でも「すべての人が罪の下にある」と聖書は言います。(ローマ3.10)人は必ず失敗します。…が、神様は真実です。「たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。」(ローマ3.4)


信頼すべきは人でなく神様です。何年経っても人は失敗します。教会も失敗します。だからとりなしましょう。イエス様の憐れみを求めましょう。イエス様と一緒に不従順な人や反抗する人を見放さず、祈り求め続けましょう。「神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそんなことはありません。」(ローマ11.1)



2026年3月13日金曜日

ローマ1.18-32

 心が暗くなり、むなしくなり、おかしくなり、本来の自分ではなくなっていくプロセスが聖書に書いてあります。「神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。」(ローマ1.21)その人は代わりに不満や不安や妬みや争いなど、良くないものに蝕まれていきます。神様だけ永遠の力があるし、それを与えようとしてくださっています。それを知っていながら賛美せず、感謝しないことがおかしくなる原因です。

スマホ充電すればいいのに「電池がない!」と文句を言い続けるよう人になってしまいます。電源ボタン押していないのに「これ壊れている!」と怒るような愚かさです。

 


"神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。"

ローマ人への手紙 1章20~21節



神様を拒否する人は代替品で満たされようとします。何かで満たされようと、人は神様じゃないものを礼拝します。でもそれは何も良いものを生み出しません。むしろ人間を悲しみと苦しみに突き落とすルートです。



"彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、

朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。

そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。

彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。"

ローマ人への手紙 1章22~25節



ある人は偶像を作り自分をささげます。ある人は快楽に自分をささげます。本来、僕らの心と体は神様にささげるように作られています。その時に僕らは満たされ、喜び、安心するように作られています。

ところが、神様じゃないものに自分をささげていくと、心が暗くなり、悪いものしか生み出しません。そのリストが書かれています。



"彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、

人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、

浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。

彼らは、そのような行いをする者たちが死に値するという神の定めを知りながら、自らそれを行っているだけでなく、それを行う者たちに同意もしているのです。"

ローマ人への手紙 1章29~32節



神様ではなく、作られたものに礼拝をささげることは、まるでコンセントを机に挿そうとしたり、鍵を他の所の穴に入れて「変だ、おかしい!」と言うような愚かさです。結果は死です。

「造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。」神様だけが賛美される方、感謝を受ける唯一のお方です。

今日の僕らの賞賛、拍手、感謝は全部神様にささげましょう。

「彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」(25)