2026年7月30日木曜日

詩篇104.24-35

 詩篇104.24-35


僕らは「誰かを喜ばせたい」「応援したい」「励ましたい」という気持ちがあります。「推し」が新しい曲を発表したら嬉しいし、ライブが決まったら大喜びするし、スケジュールを全部ずらしてそのパフォーマンスを体験しにいきます。「最高だった」「ありがとう」「すごい」と何度も言いたくなるし、他の人にもそれを伝えたくなります。



神様は僕らが応援する「推し」みたいな存在ではありません。この世界の全てを創造された方です。でも、その御霊が与えられた僕らは推し活と同じように、神様に喜んでもらいたいし、「すごかったです」って伝えたいし「ありがとう」って何度も言いたいです。神様が造ったすばらしいものを僕らも体験し、味わい、喜びたいです。


神様のステージはとてつもなく大きいです。誰も知らない星も、顕微鏡でしか見えないような微生物の世界も、この世の全ての営みが神様のステージです。

太陽も月も星も海も山も森も生き物も人間も、なんと、僕ら自身も神様の作品です。全部が神様の芸術です。今も、この瞬間も神様はそれらにいのちを与え、美しく保っておられます。



"主よあなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地はあなたのもので満ちています。

そこには大きく広い海があり這うものや生き物は数えきれません。小さなものも大きなものも。

そこを船が行き交いあなたが造られたレビヤタン(当時の人たちが恐れた海の巨獣)もそこで戯れます。

彼らはみなあなたを待ち望んでいます。あなたが時にかなって食物をお与えになるのを。

あなたがお与えになると彼らは集めあなたが御手を開かれると彼らは良いもので満ち足ります。"

詩篇 104篇24~28節



生き物が誕生することも、死んで土に帰ることも全てが神様の御手の中です。たとえ人が「終わった」と思っても、神様が御霊を与えるといのち新しく創造されます。



"あなたが御顔を隠されると彼らはおじ惑い彼らの息を取り去られると彼らは息絶えて自分のちりに帰ります。

あなたが御霊を送られると彼らは創造されます。あなたは地の面を新しくされます。

主の栄光がとこしえにありますように。主がご自分のみわざを喜ばれますように。

主が地に目を注がれると地は震え山々に触れられるとそれは煙を上げます。"

詩篇 104篇29~32節



支配と栄光は神様のものです。神様はこの世界の動きの本来の姿を愛し、喜んでおられます。そして僕らも単にそれを眺めている観客ではなくて、そのステージを神様と一つの心で喜びたい、と思います。

神様の喜びは僕らの喜びです。

神様の願いは、僕らが神様と一緒にこの世界を喜び、そして、それらを造られた神様をほめたたえることです。



"私はいのちの限り主に歌い生きるかぎり私の神をほめ歌います。

私の心の思いがみこころにかないますように。私は主を喜びます。"

詩篇 104篇33~34節



神様の「みこころ」とは、主を喜ぶことです。神様がしてくださった一つ一つを数えて感謝し賛美することです。

…だのに、こんなにすごいステージを創ってくださったのに、その作品を人間は壊してしまっています。全てが神様に造られ、神様と一緒に喜ぶものだったのに、僕らは「神様なし」で幸せや喜びを探し始めました。自然は壊され、人間同士は傷つけ合い、神様をほめたたえる口や心は、他のものに奪われてしまっています。


そんな弱い僕らです。それでも詩篇は「わがたましいよ 主をほめたたえよ」と自分に呼びかけます。弱い自分だけど「私の心の思いがみこころにかないますように」と願います。みこころは「主を喜ぶこと」です。



"私の心の思いがみこころにかないますように。私は主を喜びます。"

詩篇 104篇34節



聖書は「悪しき者どもがもはやいなくなりますように。」と言います。神様を無視し、世界を壊し、歪めてしまうものが消え去って、罪と悪の支配は終わり、神様と人間の本来の美しい関係が回復するように、世界がもう一度賛美で満たされるように願う祈りです。そして、神様は必ずそのようにしてくださいます。



"罪人らが地から絶え果て悪しき者どもがもはやいなくなりますように。わがたましいよ主をほめたたえよ。ハレルヤ。"

詩篇 104篇35節


神様が造ってくださった世界を喜び賛美すること、それが僕らが造られた目的です!


2026年7月29日水曜日

詩篇104.1-24

 詩篇104.1-24

2026年7月28日火曜日

詩篇103篇

 詩篇103篇


神様がよくしてくださったことはたくさんあります。


息ができること

歩けること

見えること

しゃべれること

昨日の夕食がおいしかったこと

自分と関わってくれる家族や仲間が与えられていること

天気が良いこと

寝れたこと

草花が綺麗なこと


…まだまだあります。全部が神様のめぐみです。数えるほどに感謝と喜びは増えていきます。めぐみを一つ一つ数えると機嫌が良くなります。



"わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。"

詩篇 103篇1~2節



今までのめぐみを数えるだけでも素晴らしいけど、続きを読むともっと壮大なスゴいことが書かれています。


どんな人でも病気にもなるし、年を取るし、やがて死んでいきます。しかも罪や欠点がいつも付きまといます。それでも感謝できるし賛美できる理由を「これでもか」というほどに僕らに教えてくれてます。


神様は「咎を赦す」「病を癒す」「穴(お墓とか死)から贖う」「若返らせる」と言います。これはもう地上の人生の苦しみからの回復にとどまらない、病気や死を超えた永遠の祝福です



"主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし

あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ

あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。"

詩篇 103篇3~5節



「あなたの一生」とは限られた「地上の人生」ではなく、時間を超えた永遠のいのちも含んでいます。「全存在」とか「望み」とも訳されます。逆に、地上のいのちは草のようにはかなく消えていくものです。



"人その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。

風がそこを過ぎるとそれはもはやない。その場所さえもそれを知らない。"

詩篇 103篇15~16節



地上の人生は、草花のような弱さがあります。今日はキレイでも明日にはしおれてしまいます。(15節) でも、神様は僕らを鷲のように若く新しくしてくださいます。(5節)


地上の人生は風のように消えていきます。(16節)でも、神様は、僕らを死からの復活させて良いもので満たしてくださいます。(4節)


神様は僕らの罪を知りながら、それでも愛し、あわれみ、赦し、罪の報いではなく良いもので満たしてくださいます。



"主はあわれみ深く情け深い。怒るのに遅く恵み豊かである。

主はいつまでも争ってはおられない。とこしえに怒ってはおられない。

私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。

天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。"

詩篇 103篇8~12節



僕らは「あれが悪かったから、こんな結果になってしまった」と、原因と結果をいつも結びつけたがるし、地上では実際その面はあります。

でも、それでも神様は「あなたの罪にしたがって、あなたを扱わない。」
「あなたの咎にしたがって、あなたに報いない。」とおっしゃいます。すごいことです。

まるで放蕩息子がお父さんに抱きしめられ最高の服を着せてもらい、冠をかぶせてもらい、喜ばれ、パーティーをしてもらうかのようです。



"父がその子をあわれむように主はご自分を恐れる者をあわれまれる。"

詩篇 103篇13節



僕らの考えをはるかに超えた神様です。赦しと愛に満ちた、力に満ちた王様です。



"主は天にご自分の王座を堅く立てその王国はすべてを統べ治める。

主をほめたたえよ主の御使いたちよ。みことばの声に聞き従いみことばを行う力ある勇士たちよ。

主をほめたたえよ主のすべての軍勢よ。主のみこころを行い主に仕える者たちよ。

主をほめたたえよすべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。わがたましいよ主をほめたたえよ。"

詩篇 103篇19~22節



今まで神様が良くしてくださったことは無限にあります。

今日もめぐみを与えてくださっています。

でも、これから与えられるめぐみはもっともっと大きく高くスゴいものばかりです。神様を信じる僕らの未来には希望しかありません。今日も賛美しましょう。「わがたましいよ主をほめたたえよ。」ハレルヤ!

詩篇102.1-22

 詩篇102.1-22

2026年7月24日金曜日

使徒16.19-34

 使徒16.19-34


想像してみてください。

知らない外国に行ってみたら、いきなり逮捕され、無理やり服を脱がされ、拷問を受け、殺されそうになります。血だらけのまま不衛生な牢屋に監禁され、手錠と足枷で拘束されます。普通は気がおかしくなります。


まさに、パウロとシラスはその状況でした。

普通はパニックになります。もし祈れたとしても「神様、どうしてですか…」「助けて…」がやっとだと思います。

ところが、パウロとシラスには賛美の歌が与えられました。



"真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。"

使徒の働き 16章25節



他の囚人たちはこんな状況の中で賛美する人たちを見たことがありません。「なんでこの人たちこんな状況で賛美するんだ?」と驚きつつ彼らの祈りと歌に聞き入っていました。

神様はこの最悪の苦しみを用いてご計画を進められました。



"すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。

目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。

パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。"

使徒の働き 16章26~28節



牢獄の扉が開き、鎖が外れると普通なら「やった!逃げられる!」と思います。ところがパウロとシラスは鎖が外れても、牢屋の扉が開いても逃げませんでした。囚人を逃すと看守は処刑されることを知っていたかもしれません。この看守を救うために、彼らは牢屋にとどまります。

看守は囚人たちが逃げたと思い、自分も処刑されると思い込んで自殺しようとします。

パウロはそんな看守を愛し救うことことを選び「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫びました。

これが神様のご計画でした。

看守はその愛に触れて驚き、恐れ、神様を求めます。


苦しみから逃がれることだけが神様の導きとは限りません。

最悪の状況の中で賛美し祈ることが、そして自分を殺そうとする敵に愛を示すことが神様のご計画であることがあります。二人には人からは出ない御霊による賛美と祈りが与えられました。彼らは自分を苦しめた看守を救うことを選ぶことができました。



"看守は明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。

そして二人を外に連れ出して、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。

二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。

看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。"

使徒の働き 16章29~33節



最悪の苦しみを通して看守の家族全員がイエス様を信じ、夜のうちにバプテスマを受け、一緒に食事をして喜び合います。さっきまで敵だった相手が愛する兄弟姉妹に変えられています。



"それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。"

使徒の働き 16章34節



夜が明けてきました。囚人がいなくなっていたら看守は責任を問われます。想像ですが、たぶん、看守を守るためにパウロとシラスは牢獄に戻り、もう一度手錠と足枷をつけてもらったと思います。その光景は感動的です。


神様のなさることは、苦しみから逃れることだけではありません。むしろ苦しみの中に神様の大きなご計画がある場合があります。彼らは逃げられるチャンスが来ても看守を見捨てず愛することを選びました。


僕らはラクしたいし、逃げたいです。嫌なことがあると文句ばかり、不安ばかりになりがちです。だけど、苦しみを通して神様のご計画が進むことがあります。

どんな状況の中でも神様を信頼して感謝し、賛美し、祈る人になるように求めましょう。僕らにはできません。だからこそ求めましょう。御霊はそのように変えてくださいます。

苦しみの中で、目の前にいる人を愛するイエス様の愛が与えられますように。賛美と祈りを与えてくださる御霊に満たされますように。