日本聖書協会・聖書セミナー
--聖書を開いて神に『聴く』祈りの勧め--に参加して教えられたこと。
音楽ゲストで参加させてもらったんですが、講師のカトリック片柳神父様のお話がめちゃくちゃよかったです。おこがましいけど、いつも思っていること感じてることをまとめてくれた!って気持ちでした。
カトリックの指導者たちがこんなに聖霊の働きを大切にし、神様との霊的な交わりを求めている大切していることを間近で知ることができてすごく嬉しかったです。知りもせずに「カトリックは儀式的なんじゃないか」「式文の形、定型文みたいに祈ってるだけじゃないか」ってなんとなく思っていたことを恥ずかしく思いました。すっごく霊的で真実な神様との交わり求めていて、しかも聖書の御言葉を「今、目の前で生きておられるイエス様の言葉」として聞き、リアルな交わりを求めていることを知りました。
それで、特に共感したところ書いておくことにしました。「僕が」共感したところ、感じたことなので、講師の意図したこととずれている可能性もありつつです。自分のための記録です。
⚫︎その1 心の奥で聞くこと。
自分の心の動きにも神様の働きがある。神様は私たちの知らない心の奥を私たちに知らせようとしておられる。
そのためには、まず「自分に聞く」と言う段階もすごく大事にしておられました。
例えば「どうしてこの御言葉に、私は関心がないんだろう」
「どうして私は、この御言葉に感動するんだろう」「どうして聖書読みたくないんだろう」など。
神様は、僕らの心の奥の奥まで知っておられて、表面的な感じ方の奥には、もっと深い自分も知らない本当のニーズがあり、本当に自分が求めていることがあり、同時にその奥に必ず内住の聖霊がおられて、私たちに語りかけようとしておられる。
例えば、「私は時計が欲しい」「でもどうして欲しいんだろう」神様に聞くうちに「私は忙しくて時間が欲しかったんだ」と本当の自分の願いを示されることがある。
「会社で出世したい」と言う願いの奥に「父親に認めて欲しい」と言う本当の気持ちが示されることがある。
欲望を満たしただけでは、その後でも虚しさが残ります。僕らの本当の必要は、霊的な満たしです。
でも霊的な神様との交わりが満たされると、そこには無くなることのない平安と喜びがあります。
本当にうわべだけではなく、神様との深い交わりをするためには、そして御言葉と御霊に満たされるためには、まず自分が抱えている思いとか、考えとか、欲望とかを一度脇において、一旦心を空っぽにする必要があります。コップにすでに余計なものが入ってたら水が入らないのと同じです。
心を明け渡し、空っぽにした時にその時に神様の御言葉が、そして神様の愛が、神様の御霊が注がれます。
マザーテレサの言葉です。
「神は、すでにいっぱいのものを満たすことができません。空っぽの心だけを満たすことができるのです。大切なのなのは、どれだけ持っているかではありません。どれだけ空っぽかなのです。自分ばかり見るのを止め、自分が何も持っていないこと、何者でもないこと。何もできないことを喜びなさい。」
「折りとは、求めることではありません。祈りとは自分を神さまの手に委ね、心の奥深くから語りかける神さまの声に耳を傾けるということなのです。心の中で神さまの声を聞き、神さまに語りかける。祈りとは神さまとの対話なのです。」
⚫︎その2 説教とその準備はイエス様との息がかかりそうな交わりであること
今回のお話は説教の準備のためだなあ、って思いました。
僕もメッセージをするものとして、すごく教えられたし、もう一度原点に戻された気がします。
片柳神父様の言葉にすごく共感しました。
「知的な理解をしただけでは、相手にも知的な理解しか届かない」
「深く心で理解した事は、相手の心の深いところまで届く」
本当にそうだなぁと思わされました
「説教しようとするものは、まず御言葉によって、心を動かされ、自分の具体的な日常生活の中に御言葉が受肉するようにしなければなりません」(教皇フランシスコ 使徒的勧告『福音の喜び』)
霊的な聖書の読み方の4つの段階→これはまさに説教の準備だなぁと思わされました。
(1)レクティオ(読書)lectio
①頭で読む⋯テキストに何が書かれているかを理解する。分からない言葉や表現について
は、注解書などを参照する。
「イエスは、二千年前に、ガリラヤで、弟子たちに何を語ったのか。」
②心で読む⋯頭で理解したことを、心にしみこませていく。ゆっくり時間をかけ、テキス
トの言葉を自分自身に今ここで語りかけられた言葉として聞く。
「イエスは、いま、ここで、わたしに何を語っているのか。」
(2)メディタティオ(黙想)meditation
聖書を通して呼びかけておられる、神さまの声に耳を傾ける。この箇所を通して、神さ
まはいま、わたしに何を伝えたいのか。
(3)オラティオ(祈り)oratio
受け取ったメッセージへの自然な応答として、悔い改めの祈りや感謝の祈り、聖霊の助
けを求める祈りなどが生まれる。
(4)コンテンプラティオ(観想)contemplatio
イエスとの対話を続けるうちに、目の前にいまイエスがいることを感じられるようにな
る。イエスの息遣いやぬくもりを感じながら、沈黙のうちにイエスととどまる。
特に最後の「目の前にいまイエスがいることを感じられるようにな
る。イエスの息遣いやぬくもりを感じながら」は本当にそうなりたいな、って思わされていることです。
カトリックの先輩たちは本当にイエス様とのリアルな、息がかかりそうな交わりを求めていることがわかります。
「祈りの親密さの中で、イエスはあなたたちの目を覗き込み、あなたたちの心に語りかけるのです。」(ヨハネ・パウロ2世)
「あなたたちは、イエスが語りかける愛情のこもった言葉を聞いありますか。あなたたちは、生きているキリストを知っていますか。本によってではなく、心の中でイエスと共にとどまることによって。」(マザー・テレサ)
⚫︎その3 教会の会議が祈りであること
新しい教皇が進めている会議の改革、すごく共感というか、おこがましいけど、僕もいつも考えていることでした。
「自分の意見を主張し合うだけの会議には意味がない、時間の無駄」
「会議そのものが祈りの場所になるように」
そのために従来のピラミッド型の会議をやめて小グループに分けて、教皇も枢機卿もシスターも関係なく
①「まず私が神様に聞く」「祈りの中で、神様から示されたこと、感じたことを分かち合う」
②「次に、仲間の心を通して、仲間が神様から与えられ教えられ感じていることを通して神様に耳を傾ける」
③「お互いに神様の声を聞きながら、一緒に歩んでいく道を探していく」
という3つのステップを大切にしているそうです。
これはどんな教会の会議も、そしてどんなカウンセリングも同じだなぁと思わされました。