民数記22章
聖書は「こうしてはいけません」「アレはダメです」などのルールブックではありません。神様が願っているのは行動ではなくて、「心から神様を愛する」ことです。口で「神様」と言っていても、ホンネではお金を愛し、快楽を愛し、自分の栄光や権力を愛していることがあります。神様にはバレています。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16.7)とあります。
神様を愛することは、神様の宝物を愛することです。神様にとってイスラエルはめちゃくちゃ大事な人たちです。「あなたがた(イスラエル)に触れる者は、わたしの瞳に触れる者。」というほどです。(ゼカリヤ2.8)イスラエルを傷つけたり呪ったりしようとするのは、神様を傷つけるのと同じです。また、教会も「キリストのからだ」です。教会を攻撃することは、キリストに対する攻撃です。
モアブの王バラクはイスラエルを呪って追い払おうとしました。そのために預言者バラムに大金を払って呪わせようとしました。神様はそれを禁止します。当たり前です。
(22.12)
神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」
神様にとってイスラエルは「ご自分のひとみのよう」な宝物です。
それでも、モアブの王の長老たちは「どんな報酬でも、どんな大金でも払うから呪ってください」と預言者バラムにお願いします。
(22.15-18)
15,バラクはもう一度、先の者たちよりも大勢の、しかも位の高い長たちを遣わした。
16,彼らはバラムのところに来て彼に言った。「ツィポルの子バラクはこう申しました。『どうか私のところに来るのを断らないでください。
17,私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうか来て、私のためにこの民に呪いをかけてください。』」
18,しかし、バラムはバラクの家臣たちに答えた。「たとえバラクが銀や金で満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主の命を破ることは、事の大小にかかわらず、断じてできません。
バラムは口ではお断りします。「たとえバラクが銀や金で満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主の命を破ることは、事の大小にかかわらず、断じてできません。」(19)…ですが、実はお金によってだいぶ心が動いたようです。それで、もう一度「主が私に何かほかのことをお告げくださるかどうか、確かめましょう。」と言います。(19)まるで「どこまでだったらギリギリOK?」と願ってるかのようです。神様に怒られず、かつお金をもらえる微妙なラインを求めます。それで、彼はイスラエルを嫌うモアブの王様のところにウキウキと出発したようです。心はすでに「お金
」です。「バラムは不義の報酬を愛しました」と聖書は説明しています。(2ペテロ2.15)
神様は怒ります。イスラエルを呪う人たちは神様にとっての怒りであり悲しみです。
(21-34節)
21,バラムは朝起きて、自分のろばに鞍をつけ、モアブの長たちと一緒に行った。
22,しかし、彼が行こうとすると、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちはだかった。バラムはろばに乗っていて、二人の若者がそばにいた。
23,ろばは、主の使いが抜き身の剣を手に持って、道に立ちはだかっているのを見た。ろばは道からそれて畑に入って行ったので、バラムはろばを打って道に戻そうとした。
24,すると主の使いは、両側に石垣のある、ぶどう畑の間の狭い道に立った。
25,ろばは主の使いを見て、石垣にからだを押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、バラムはさらにろばを打った。
26,主の使いはさらに進んで行って、狭くて、右にも左にもよける余地のない場所に立った。
27,ろばは主の使いを見て、バラムを乗せたまま、うずくまってしまった。バラムは怒りを燃やし、杖でろばを打った。
28,すると、主がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」
29,バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」
30,ろばはバラムに言った。「私は、あなたが今日この日までずっと乗ってこられた、あなたのろばではありませんか。私がかつて、あなたにこのようなことをしたことがあったでしょうか。」バラムは答えた。「いや、なかった。」
31,そのとき、主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。
32,主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。
33,ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」
34,バラムは主の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」
お金は人の目をくらまします。神様はお金でおかしくなったバラムをとがめます。「口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。 」(2ペテロ2.16)
神様は本当は僕らが何を愛しているのか知っておられます。
神様を愛しましょう。そして、神様が愛する人たちを愛しましょう。僕らの心には御霊の心があります。「私たちはキリストの心を持っています。」(2コリント2.16)神様が愛するものを僕らも心から愛することができます。そして、神様が嫌うものを嫌うことができます。
それでもお金は僕らを誘惑し、神様から引き離そうとします。
自分に聞いてみましょう。「ホンネはお金?神様?」と。
(1テモテ 6:9-10)
金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。