詩篇104.24-35
僕らは「誰かを喜ばせたい」「応援したい」「励ましたい」という気持ちがあります。「推し」が新しい曲を発表したら嬉しいし、ライブが決まったら大喜びするし、スケジュールを全部ずらしてそのパフォーマンスを体験しにいきます。「最高だった」「ありがとう」「すごい」と何度も言いたくなるし、他の人にもそれを伝えたくなります。
神様は僕らが応援する「推し」みたいな存在ではありません。この世界の全てを創造された方です。でも、その御霊が与えられた僕らは推し活と同じように、神様に喜んでもらいたいし、「すごかったです」って伝えたいし「ありがとう」って何度も言いたいです。神様が造ったすばらしいものを僕らも体験し、味わい、喜びたいです。
神様のステージはとてつもなく大きいです。誰も知らない星も、顕微鏡でしか見えないような微生物の世界も、この世の全ての営みが神様のステージです。
太陽も月も星も海も山も森も生き物も人間も、なんと、僕ら自身も神様の作品です。全部が神様の芸術です。今も、この瞬間も神様はそれらにいのちを与え、美しく保っておられます。
"主よあなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地はあなたのもので満ちています。
そこには大きく広い海があり這うものや生き物は数えきれません。小さなものも大きなものも。
そこを船が行き交いあなたが造られたレビヤタン(当時の人たちが恐れた海の巨獣)もそこで戯れます。
彼らはみなあなたを待ち望んでいます。あなたが時にかなって食物をお与えになるのを。
あなたがお与えになると彼らは集めあなたが御手を開かれると彼らは良いもので満ち足ります。"
詩篇 104篇24~28節
生き物が誕生することも、死んで土に帰ることも全てが神様の御手の中です。たとえ人が「終わった」と思っても、神様が御霊を与えるといのち新しく創造されます。
"あなたが御顔を隠されると彼らはおじ惑い彼らの息を取り去られると彼らは息絶えて自分のちりに帰ります。
あなたが御霊を送られると彼らは創造されます。あなたは地の面を新しくされます。
主の栄光がとこしえにありますように。主がご自分のみわざを喜ばれますように。
主が地に目を注がれると地は震え山々に触れられるとそれは煙を上げます。"
詩篇 104篇29~32節
支配と栄光は神様のものです。神様はこの世界の動きの本来の姿を愛し、喜んでおられます。そして僕らも単にそれを眺めている観客ではなくて、そのステージを神様と一つの心で喜びたい、と思います。
神様の喜びは僕らの喜びです。
神様の願いは、僕らが神様と一緒にこの世界を喜び、そして、それらを造られた神様をほめたたえることです。
"私はいのちの限り主に歌い生きるかぎり私の神をほめ歌います。
私の心の思いがみこころにかないますように。私は主を喜びます。"
詩篇 104篇33~34節
神様の「みこころ」とは、主を喜ぶことです。神様がしてくださった一つ一つを数えて感謝し賛美することです。
…だのに、こんなにすごいステージを創ってくださったのに、その作品を人間は壊してしまっています。全てが神様に造られ、神様と一緒に喜ぶものだったのに、僕らは「神様なし」で幸せや喜びを探し始めました。自然は壊され、人間同士は傷つけ合い、神様をほめたたえる口や心は、他のものに奪われてしまっています。
そんな弱い僕らです。それでも詩篇は「わがたましいよ 主をほめたたえよ」と自分に呼びかけます。弱い自分だけど「私の心の思いがみこころにかないますように」と願います。みこころは「主を喜ぶこと」です。
"私の心の思いがみこころにかないますように。私は主を喜びます。"
詩篇 104篇34節
聖書は「悪しき者どもがもはやいなくなりますように。」と言います。神様を無視し、世界を壊し、歪めてしまうものが消え去って、罪と悪の支配は終わり、神様と人間の本来の美しい関係が回復するように、世界がもう一度賛美で満たされるように願う祈りです。そして、神様は必ずそのようにしてくださいます。
"罪人らが地から絶え果て悪しき者どもがもはやいなくなりますように。わがたましいよ主をほめたたえよ。ハレルヤ。"
詩篇 104篇35節
神様が造ってくださった世界を喜び賛美すること、それが僕らが造られた目的です!