詩篇102.1-22
僕らは落ち込んだり悲しんだりします。それでも神様はその嘆きや叫びを聞いてくださいます。
詩篇102篇の表題に「苦しむものの祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの」とある通りです。
頭の中でグルグルと悪い想像や自分を苦しめる相手のことばかり考えて、ただの嘆きや怒りだけで終わってしまいそうです。でも大事なのはそれを主の前に注ぎ出すことです。
この詩篇を書いた作者は苦しみに押し潰されて限界です。それを神様の前に全部さらけ出して叫んでいます。叫びも祈りの一部です。
"主よ私の祈りを聞いてください。私の叫びがあなたに届きますように。"
詩篇 102篇1節
訴える先は人でなく、裁判所でも権力者でもなく神様です。この人は神様が聞いてくださることを知って叫んでいます。
"私の苦しみのときに御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときにすぐに私に答えてください。"
詩篇 102篇2節
"窮した者の祈りを顧み彼らの祈りをないがしろにされないからです。"
詩篇 102篇17節
だから、「こんなひどいことをされた」「自分はもうこんな状態」と赤裸々に具体的に言います。神様が聞いてくださるからです
"私の日は煙の中に尽き果て私の骨は炉のように燃えているのです。
私の心は青菜のように打たれてしおれパンを食べることさえ忘れました。
私の嘆きの声で私の骨は肉に溶けてしまいました。
私はまるで荒野のみみずく廃墟のふくろうのようです。
私は眠ることもできず屋根の上のはぐれた鳥のようになりました。
敵は絶えず私をそしり嘲る者は私を名指しにして毒づきます。
まことに私は灰をパンのように食べ飲み物に涙を混ぜ合わせました。"
詩篇 102篇3~9節
食欲もないし、人生は煙のように消えていきそうです。煙は元に戻りません。そんな自分に向かって敵は休みなく攻撃します。非難し、バカにし、笑います。
"敵は絶えず私をそしり嘲る者は私を名指しにして毒づきます。"
詩篇 102篇8節
それでも彼は自分の中だけに閉じこもることはしませんでした。神様に目を向け、「神様がどんなお方か」を言い出します。今までは「私」「私が」「私の」のように、いつも自分が中心でした。でも、12節以降は神様が中心です。ここから急に明るくなったのは、問題が解決したからではなく、視点が神様に移っていったからです。
"しかし主よあなたはとこしえに御座に着いておられます。あなたの呼び名は代々に及びます。
あなたは立ち上がりシオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来ました。"
詩篇 102篇12~13節
シオンとはエルサレムのことです。今は敵に攻撃されて、ボロボロにされ廃墟の石、ちりのようになっています。
それでも神様はその壊れた石をいつくしみ、あわれんでくださいます。そしてゴミのように思われる壊れた石でさえ、神様は見捨てることがありません。
この石は元は大切なものでした。以前は神殿がありました。その神殿を作っている一つ一つの石は貴重な、聖なるもののはずでした。今は壊され、踏みにじられたとしても、それでも神様はその壊れた石を愛し、いつくしみ、そして建て直してくださいます。この神様に目を向けたとき、今までの嘆きは希望に変わっていきます。
"まことにあなたのしもべたちはシオンの石を喜びシオンのちりをいとおしみます。
こうして国々は主の御名を地のすべての王はあなたの栄光を恐れます。
なぜなら主はシオンを建て直しその栄光のうちに現れ
窮した者の祈りを顧み彼らの祈りをないがしろにされないからです。"
詩篇 102篇14~17節
新約聖書によると、僕らは神様が住まわれる宮であり、一人ひとりが神様の家を作る聖なる「生ける石」だと言います。
"あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。"
ペテロの手紙 第一 2章5節
僕らも壊れるし、価値がないように扱われることがあります。
それでも神様の建物を作っている石の一つです。壊れて嘆く僕らをイエス様は見捨てません。もう一度集め、組み合せて立ち上がらせ、神様の栄光の宮としてくださいます。
スポルジョンという説教家はこの箇所を次のように言っています。
「最も貧しい教会員も、最もひどく道を踏み外してしまった人も、最も無知な人も、大切な存在であるべきだ。なぜなら、彼らは新しいエルサレムの1部を形作っているからだ。たとえ、その1部がとても弱いものだったとしても」
今は壊れてるかもしれません。でも神様にとっては、新しくされる聖なる石です。今は馬鹿にされているかもしれません、でも、やがて栄光のイエス様をお迎えする聖なる石です。やがて全ての人がイエス様の栄光を仰ぎ見る日が来ます。
"こうして国々は主の御名を地のすべての王はあなたの栄光を恐れます。
なぜなら主はシオンを建て直しその栄光のうちに現れ
窮した者の祈りを顧み彼らの祈りをないがしろにされないからです。"
詩篇 102篇15~17節
神様は、壊れて動けなくなっても神様は見捨てていません。その叫びをちゃんと聞いてくださいます。今がどんなに暗くても、その先には神様の栄光が約束されています。僕らの未来は予想をはるかに超えています。
"今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。"
ローマ人への手紙 8章18節
神様は僕らの涙を知っておられます。嘆きも叫びも聞いてくださっています。今の苦しみが最後ではないし、神様は見捨ててはいません。未来には神様の栄光が待っています。ハレルヤ!