2026年4月16日木曜日

ローマ15.25-33

 ローマ15.25-33


以前はだいぶ「イチイチ共有するのめんどくさい。」「1人で祈って1人で進みたい。」と思ってたけど、神様の願いは違いました。

神様のやり方は、神様の願いと計画をみんなで共有して祈り、みんなが自分のこととして参加していくことです。それが教会=キリストの体です。

タイパよりも兄弟姉妹が1つになり、心を合わせて一緒に悩みながら、祈りながら進むことが神様の方法です。


「エルサレムで苦しんでいるクリスチャンたちを助けたい」という気持ちがマケドニア(ピリピの教会とかテサロニケの教会など)とアカイヤ(コリントの教会など)の人たちに与えられました。違う教会なのに同じ願いが与えられました。さらにこの計画は、課題や問題も共有しながら心を合わせて神様に祈っていく中で実現していきます。



"それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。

彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。"

ローマ人への手紙 15章26~27節



キリストがなさること=教会がすることです。問題や課題はみんなのものとなり、それは祈りになり、祈りは行動になります。

パウロは代表者としてエルサレムに行くのですが、エルサレムでの迫害は激しいことがわかっています。必要なのはみんなの祈りです。彼は「私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。」(30)とお願いしています。神様の働きは教会の祈りとセットです。



"兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。

私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、

また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。

どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。"

ローマ人への手紙 15章30~33節



イエス様もおっしゃいます。「こう祈りなさい(…中略…)御心が天で行われるように、地でも行われるように」と。神様の働きは祈りとセットです。しかも一人ぼっちの祈りではなく、「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」とおっしゃいます。(マタイ18.19)


僕はいまだにせっかちで「面倒だからさっさと進めてしまいたい」とも思います。でも、神様の願いは効率とか速さではなく、神様の願いと僕らの祈りが一つになっていくことです。だから小さいことでも教会の仲間に知ってもらい祈ってもらいましょう。そして兄弟姉妹たちの為に祈りましょう。どんな小さなことでもまず祈りましょう。

祈りは神様の大きな働きに参加することです。


"まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。"

マタイの福音書 18章19節


心を合わせて祈るとき、そこにイエス様が一緒におられます。


"二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」"

マタイの福音書 18章20節


今日も祈ってもらいましょう。そして、祈りましょう。そこにイエス様がおられます。ハレルヤ!





2026年4月15日水曜日

ローマ15.14-21

 ローマ15.14-21


もらって嬉しいプレゼントは人それぞれ違います。ですが、神様に喜ばれるプレゼントは一択で「人間」です。人間が神様のところに戻り、神様を愛するようになり、従順になり、心も体もささげていくことは最高のプレゼントです。これを聖書は「神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物」と言います。



"あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。"

ローマ人への手紙 12章1節



神様に喜ばれる人をもっと増やす必要があります。

自分だけではなく、あの人もこの人も、多くの人たちが神様に喜ばれるささげものになるようにすること、これが僕らの役目です。

福音を聞いて信じた人は「ささげたい」と思うようになります。

福音とは、イエス様にゆるされたこと、愛されていること、きよめられていること、義(無罪でまっさら)とされていることです。

これを知った人は喜んで自分をささげます。それは神様にとっても喜びです。


旧約時代には祭司は動物を殺して神様にささげてました。

今の祭司は違います。動物でなく人を神様にささげます。クリスチャンはみんな「祭司」だと聖書は言います。(1ペテロ2.9、黙示録1.6、5.10など)

しかも、人を殺すのでなく、生かして、きよめて、新しくして、喜ばれる人としてささげます。

パウロは、他の人をささげていくことが自分の祭司の務めだと言っています。



"私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。"

ローマ人への手紙 15章16節



神様を知らなかった異邦人が喜んで自分をささげていくことは神様にとって最高の喜びです。そのプロセスは全部神様の力です。



"私は、異邦人を従順にするため、キリストが私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かをあえて話そうとは思いません。キリストは、ことばと行いにより、

また、しるしと不思議を行う力と、神の御霊の力によって、それらを成し遂げてくださいました。こうして、私はエルサレムから始めて、イルリコに至るまでを巡り、キリストの福音をくまなく伝えました。"

ローマ人への手紙 15章18~19節



僕らはみんな祭司です。他の人たちを神様にささげる手伝いをします。

まだ福音を知らない人に「あなたは愛されている、あなたは赦され新しくされる、あなたは無罪、あなたは神様の子どもとなる」と伝えましょう。特にまだ届いてない人に届けましょう。



"このように、ほかの人が据えた土台の上に建てないように、キリストの名がまだ語られていない場所に福音を宣べ伝えることを、私は切に求めているのです。"

ローマ人への手紙 15章20節



神様に喜ばれるプレゼントは人間です。将来、神様に喜ばれる生きたささげものになる人たちは、まだまだたくさんいます。

だから出て行って伝えましょう。「あなたは愛されている、あなたは赦され新しくされる、あなたは無罪、あなたは神様のもの」と。その人たちは神様にとって最高の喜びです。




2026年4月14日火曜日

ローマ15章1節から13節

 ローマ15章1節から13節


クリスチャン同士でも考えは違います。教会によって作法や文化も違います。

そんな違いを「受け入れられる人」と「受け入れられない人」のことを、聖書は「力のある者」「力のない人」と言います。「力のある者」は「こうじゃなきゃダメ!」と頑張る人ではありません。自分の考えを一旦手放して相手に合わせることができる人が「力のある者」です。



"私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。"

ローマ人への手紙 15章1節



お手本はイエス様です。すべての権威と自由を持っているイエス様はそれを手放し、へりくだり、権威も神様の立場も手放し、嘲けられ、バカにされ、笑われる囚人になってくださいました。



"キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。むしろ、「あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりです。"

ローマ人への手紙 15章3節



これはガマン大会ではありません。

イエス様は低くなられましたが、復活し、すべての栄光をお持ちです。

イエス様につながった僕らも自分を手放して弱い人たちに合わせることによって、イエス様と一緒に栄光を受けます。自分のプランや考えを手放す先にはイエス様と一緒に栄光受ける約束があります。



"子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。"

ローマ人への手紙 8章17~18節



この約束と励ましがあるから、僕らは自分の考えを手放すことができます。その結果は「一致と賛美」です。どちらかが自分を捨てることで両者は1つになり、心を合わせて神様を賛美するようになります。



"どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。

そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。

ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。"

ローマ人への手紙 15章5~7節



「日曜日の礼拝はネクタイじゃなきゃだめ!」と思ってる人たちのためには、ネクタイをつけましょう。それによって一緒に賛美することができるからです。でも、この箇所はそんな軽い話ではありません。


2000年の歴史の中で、ユダヤ人たちは異邦人たちに攻撃され続けてきました。今でも周辺諸国との戦争は絶え間なく、憎しみと悲しみは膨らんでいくばかりです。それでも神様は、ユダヤ人と異邦人をを1つにしようとされています。普通は一緒に神様を賛美するなんてあり得ません。

そんな異邦人とユダヤ人がなんと一緒に神様を賛美する日がきます。これが神様のご計画です



"また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。「それゆえ、私は異邦人の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います」と書いてあるとおりです。

また、こう言われています。「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」

さらに、こうあります。「すべての異邦人よ、主をほめよ。すべての国民が、主をたたえるように。」

さらにまたイザヤは、「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方が。異邦人はこの方に望みを置く」と言っています。

どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。"

ローマ人への手紙 15章9~13節



イエス様の十字架のへりくだりに習うことは、どんなに敵対してきた相手であっても和解させ一致させることができます。そして、一緒に賛美する兄弟姉妹に変えてくれます。

だからまず、「自分がこだわってる好みや計画は何か?」自分に聞いてみましょう。そして、「これを手放します。」「違う相手を受け入れ愛します。」と祈りましょう。

この祈りは神様への賛美と栄光をもたらします。これが神様の願いでありご計画です。

ハレルヤ!




2026年4月13日月曜日

ローマ14章

 ローマ14章


教会の中でよく議論になったりモメたりする話題があります。

「教会がいつ携挙されるか?」とか、「異言の賜物どう思うか?」とか、「お酒を飲んでもいいのか?」とか、「礼拝スタイルどんなカタチがいいのか?」「イスラエルに対する教会の態度は?」他にもあります。そのような教会内での論争は聖書の時代にもありました。


特に問題になったのが食べ物と安息日のことです。

当時のクリスチャンの中には「肉は食べない、野菜しか食べない」人たちがいました。「ベジタリアンだから」ではなくて、信仰上の理由からです。



"ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。"

ローマ人への手紙 14章2節



肉を食べない理由がありました。この当時、いろんな宗教があってそれぞれ動物のいけにえをささげていました。そして、偶像にささげる肉は「いいお肉」だったそうで、普通に市場で売っていたそうです。今ならスーパーで「(  )教団で使ったお肉A5ランク!ジューシーで最高!」ってポップで推してくるような感じかもしれません。


クリスチャンの中には、「別に気にしないっしょ!」って感じでカゴに入れる人もいるし、「偶像礼拝に使った肉はやっぱりちょっとムリ…」と思ってる人もいたようです。

問題は、「問題なし派」と「ムリ派」のクリスチャンが一緒に食事をする時です。食事の席でトラブルになることもあったようです。それで、聖書ははっきりと答えます。



"食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。"

ローマ人への手紙 14章3節



聖書はどちらが正しいかノーコメントです。唯一の答えは「お互いにさばくのをやめなさい」です。特にダメなのが「私は成熟しているクリスチャンです」みたいに相手を下に見る人です。


もう一つ、当時の教会でモメたのが安息日問題です。



"ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。"

ローマ人への手紙 14章5~6節



安息日問題は、今でも聖書的に「安息日は土曜日」なのか、それとも「日曜日を安息日として扱うべき」なのか議論があります。「いや、全部が主の日でしょ」と言う人もいます。

これも聖書の答えは明快です。



"ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。"

ローマ人への手紙 14章5節



聖書はどちらの味方もしていません。聖書の教えは食べるかどうか、どの日が大事か、ではなくて「考え方が違っても兄弟姉妹を愛しなさい」です。



"特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。"

ローマ人への手紙 14章6節



牧師とか神学議論好きがが一番危ないし厄介です。「議論」はいいけど「相手をさばく」「下に見る」のはダメです。僕らは上から目線になってしまいがちです。相手を愛している主人はイエス様です。聖書は「イエス様のしもべをさばくあなたは何者ですか?」と言います。(4)「考えの違うあの人」はイエス様の大事なしもべ、愛する子です。成長させてくださるのはイエス様です。僕らではありません。その人をイエス様は尊重してくださいます。



"他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。"

ローマ人への手紙 14章4節


大事なことは、争いを生み出したり、お互いの平和と成長に役に立たないような、相手をガッカリさせることを前面に出さないことです。



"こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ、兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。"

ローマ人への手紙 14章13節



イエス・キリストの十字架と復活によって救われること、これは中心的な真理です。

でも、偶像にささげた肉を食べるかどうか、それで救いが決まるわけではないです。安息日をどう理解するかで救いが確定するのではありません。

もっと大事なのは、兄弟姉妹を尊敬し愛することです。愛がなければ全てはむなしい議論です。(1コリント13章)



"私は主イエスにあって知り、また確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。

もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。"

ローマ人への手紙 14章14~15節



イエス様が再臨されるタイミングの理解の違いで救われないとか愛されないという事はありません。もちろん食べ物や飲み物の違いも救いの条件ではありません。安息日理解も同じです。パウロは愛する兄弟姉妹のためには、相手をがっかりさせるようなモノは目の前におかない、と決めているようです。



"なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。

このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。

ですから、私たちは、平和に役立つことと、互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。

食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません。すべての食べ物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような者にとっては、悪いものなのです。

肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。

あなたが持っている信仰は、神の御前で自分の信仰として持っていなさい。自分が良いと認めていることで自分自身をさばかない人は幸いです。"

ローマ人への手紙 14章17~22節



もし食べ物とか飲み物とか安息日理解のことで、仲間を悲しませるなら、それは愛ではありません。



"もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。"

ローマ人への手紙 14章15節



どんなに神学的な勉強しても、愛がないならうるさいドラです。

神様の国は議論をすることではなくて「義と平和と聖霊による喜び」です。(17)


礼拝スタイル問題、食べ物問題、再臨の時期問題、異言理解の問題、イスラエル理解の問題、答えは、「それで兄弟姉妹が困るなら自分の理解を押し付けない」です。



"肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。"

ローマ人への手紙 14章21節



もちろん自分の中で確信を持つ事はオッケーです。むしろ「持っていなさい」と勧められています。



"あなたが持っている信仰は、神の御前で自分の信仰として持っていなさい。自分が良いと認めていることで自分自身をさばかない人は幸いです。"

ローマ人への手紙 14章22節



でも逆に、自分の中で「無理」と思っていることに対して、無理矢理それに蓋をして、疑ってるのに、信じてないのに行動するのは罪です。



"しかし、疑いを抱く人が食べるなら、罪ありとされます。なぜなら、それは信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。"

ローマ人への手紙 14章23節



大事なことはイエス様の愛です。十字架の愛です。不完全で凸凹な僕らを愛し、ゆるし、受け入れてくれました。それ以外のことは幅があります。妨げになるものやつまづきになるものがあるなら、みんなの前ではやめておきましょう。自分の考えは自分のものとしておきましょう。「肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。」ハレルヤ!