2026年4月10日金曜日

ローマ12.9-21

 ローマ12.9-21


善悪基準を奪って勝手に決めるようになってから(創世記3章)人間は欲望のために争い、憎みあうようになりました。「勝ちたい」「相手より上でいたい」「仕返ししたい」そんな欲望に支配されて僕らも世界も苦しんでいます。


ところが、神様は僕らをもう一度神様に戻してくれました。

僕らの心も体も「聖なる生きたささげもの」です。(12.1)「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2.20この体にイエス様が住んでおられます。僕らは変えられます。

イエス様と一緒にへりくだり、仕える人に変えられます。

相手を尊敬し、もてなし、忍耐し、仕返しせず祝福する人に変えられます。

「頑張ってそうしましょう!」ではなくて、神様に心を明け渡し、イエス様がオーナーになってもらった結果です。

具体的にどんな人になるのか、それが今日の箇所です。



"愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないようにしなさい。

兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。

勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。

聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなしなさい。

あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。

喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。

互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。

自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。

次のようにも書かれています。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」

悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。"

ローマ人への手紙 12章9~21節



心も体も明け渡し、委ねましょう。「勝利」は上に行くことではなく、へり下ることです。仕返ししないで愛することです。「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい」(12.2)神様、変えてください。高ぶる僕らを憐れんでください。イエス様と一緒にへりくだり、愛し、仕える人にしてください。




2026年4月9日木曜日

ローマ12.1-8

 ローマ12.1-8


「あぁ今日の礼拝恵まれた」とか「礼拝イマイチだった」とか言います。僕らは「神様から何か欲しいー」と思って礼拝に出席することが多いです。ところが、聖書が教える礼拝は「受ける」のではなく「ささげる」「手放す」ものです。僕らが思う、ほしがる礼拝とは逆です。神様に自分の所有権を明け渡し、手放していくことが礼拝です。


引っ越してみたら前の人のモノとかカーペットとか変な匂いとか残っていると不快です。全部捨ててくれた方が使いやすいし、気持ちいいです。神様にとっても同じです。新しい所有者は神様です。心と体を全部明け渡すのが礼拝です。



"ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。"

ローマ人への手紙 12章1~2節



引っ越しの時には家のモノを一つも残さないように、壁の汚れも、床のシミも消すように、匂いも消すように、自分の考え、判断、願い、そういうものを全部手放して、イエス様のお気に入りの考え、計画に取り替えてもらうことが礼拝です。「自分を変えていただきなさい。」これが礼拝です。全取り替えです。

一旦空っぽにしても虚しく不安になったりすることはありません。

もっと素晴らしい、完璧で美しい神様の心が入ってきます。その結果「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(2)心が神様の心になり、体が神様の体になっていきます。神様の願い通りの人に変えられます。どのように変えられて用いられるかは人それぞれです。



"私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、

奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、

勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。"

ローマ人への手紙 12章6~8節



僕らは神様のものとなりました。

もう自分が頑張ってるのではありません。イエス様がぶどうの木、僕らは枝です。「そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15.5)神様が根、僕らは接ぎ木された枝です。「根が聖なるものであれば、枝もそうなのです」(11.16)


変なこだわりや考えや計画が今日もしつこく残っているかもしれません。点検してみましょう。

オーナーは神様です。新しい所有者は神様です。心も体もささげましょう。

礼拝は「受ける」のではなく「ささげる」「手放す」ものです。全部神様のものです。ささげましょう。僕らの全部が神様のものです。ハレルヤ!




2026年4月8日水曜日

ローマ11.25-36

 ローマ11.25-36


「よく頑張っている人」「神様に従う偉い人」みたいなランク付けが教会の中にも入りがちです。…ですが、聖書は全部「あわれみ」だと繰り返します。不従順だった人を神様があわれんでくださって、新しい心を与えてくれました。神様に従うのは神様の恵みとあわれみです。



"あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに(イスラエルがガンコになったので、まず異邦人から)あわれみを受けています。”

ローマ人への手紙 11章30節



先に僕ら異邦人が「あわれみ」を受けて新しい心が与えられました。同じように、イスラエル人たちも今はガンコで不信仰だけど、イエス様がもう一度地上に来る時には同じように「あわれみ」を受けることになっています。



"それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。"

ローマ人への手紙 11章31節



異邦人であってもユダヤ人でも同じです。全員が不従順でアウトでした。だのに「あわれみ」を受けて救われた、それだけです。



"神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。"

ローマ人への手紙 11章32節



"すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。"

ローマ人への手紙 11章36節



全部が神様の恵みです。主権と栄光は神様のものです。ただ、「あわれみ」の順番があるようです。ローマ人の手紙はその順番を教えてくれています。


1.もともとイスラエルが選ばれていた。

2.でも多くの人がイエス様を拒否した。

3.その結果、先に異邦人に「あわれみ」が広がった。

4.最後にイスラエルが「あわれみ」を受ける。


最後には多くのイスラエル人たちがあわれみを受け、イエス様に立ち返り、赦され、救われます。



"兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、

こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。

これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。"

ローマ人への手紙 11章25~27節



まずは、福音が世界中に広がって、地の果ての異邦人にも伝えられて、その後でイエス様がもう一度来ます。これはイエス様ご自身も言っています。



"御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。"

マタイの福音書 24章14節



イエス様がもう一度エルサレムに来ると、イエス様に立ち返るイスラエル人が多く起こされるようです。僕らと同じように新しい心が聖霊によって与えられます。



"「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中の、背きから立ち返る者のところに。──主のことば。」「これは、彼らと結ぶわたしの契約である──主は言われる──。あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、子孫の子孫の口からも、今よりとこしえに離れない──主は言われる。」"

イザヤ書 59章20-21節



全部が「あわれみ」です。誰が頑張ったとか、そんなことは関係なくて「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。」(36)

感謝しましょう。今日も恵まれ、愛されています。今日も神様のあわれみが僕らを囲んでいます。最初から最後まで、神様のあわれみの中で守られています。ハレルヤ!


2026年4月7日火曜日

ローマ11.11-24 なんでイスラエルのために祈るの?!

 ローマ11.11-24


なんでイスラエルのために祈るの?!


イスラエル関連のニュースを見聞きすると悲しく暗くなることが多いです。

そもそもなぜ聖書はイスラエルのために祈るように教えるのでしょうか。


●本当はイスラエルのために用意された祝福


「貧乏で愛もないひどい家で育ったけど、結婚してみたら相手はお金持ちで愛に溢れてて、私は癒され満たされた」とか「孤児で栄養失調だったけど、迎えてくれた新しい両親は優しくて愛に溢れてて、幸せになった」とか、どれもいい話ですが僕らにとってはリアルです。迎えてくれた最高のお父さんは神様です。(ガラテヤ4.7、ローマ8.14)最高の結婚相手はキリストです。(エペソ5.31-32、2コリント11.2)


もともと、子どもの身分や花嫁の祝福と栄光はイスラエルのものでした。(イザヤ54.5、エレミヤ2.2、ホセア全体)イスラエルは神様の愛する子どもだし、愛される花嫁です。イスラエルも神様を愛し、喜び、祝福と栄光の中を歩む予定でした。僕らがもらっている神様からの良いものは、もともとイスラエルのために用意されたものです。



"彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。"

ローマ人への手紙 9章4節


●その祝福を受け継いだのが異邦人クリスチャン


イスラエル人たちは神様とその素晴らしい祝福を知りながら、「神としてあがめず、感謝もせず」反抗しました。そして神様の家を出て離れていきました。

僕らは長男が家出した素晴らしい家に住まわせてもらってるみたいです。しかも、愛や祝福や栄光まで子どもと同じように与えられてます。

僕らが受け継いだ祝福や栄光は、本来イスラエルのために用意されたものです。


聖書はそれを「豊かな養分をもらっている接ぎ木された枝のよう」といいます。本来の枝はイスラエルです。だのに彼らは折られ、離れてしまいました。関係なかった僕らは祝福の木につながり、豊かな愛と祝福の養分を今も受け続けています。



"枝の中のいくつかが折られ、野生のオリーブであるあなたがその枝の間に接ぎ木され、そのオリーブの根から豊かな養分をともに受けているのなら、

あなたはその枝に対して誇ってはいけません。たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。"

ローマ人への手紙 11章17~18節



僕らが祝福されているのは、恵みでありいつくしみです。「事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(9.16)いい人間だったかのように思い上がったり、離れてしまったイスラエルを見下したりはできません。「思い上がることなく、むしろ恐れなさい」と聖書は言います。(20)イスラエルのために用意されていた祝福をいただいているだけです。僕らは何も知らなかった孤児みたいです。イエス様に見つけ出してもらい、受け入れられ愛されています。威張れるものは何もありません。



●神様の願いはイスラエルが神様に戻ってくること


イスラエルは僕らよりも簡単に回復することができます。「神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。」(23)「彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです」(24)

僕らが祝福を受けて愛も平安も喜びももらっている姿を見たイスラエルが「いいなぁ、私も欲しいなぁ。」と思うことを神様は願っておられます。これを「ねたみを起こさせる」(11)といいます。ここでの「ねたみ」は憎しみとか嫌悪ではなく、祝福や愛を異邦人が先にもらっていることを「欲しい」と思うことです。



"それでは尋ねますが、彼らがつまずいたのは倒れるためでしょうか。決してそんなことはありません。かえって、彼らの背きによって、救いが異邦人に及び、イスラエルにねたみを起こさせました。

彼らの背きが世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らがみな救われることは、どんなにすばらしいものをもたらすことでしょう。"

ローマ人への手紙 11章11~12節



"私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。"

ローマ人への手紙 11章14節



イスラエルが戻ってくるのは僕らよりも簡単です。接ぎ木され、祝福の養分を豊かに受けることができます。本来イスラエルのものだからです。



"あなたが、本来野生であるオリーブから切り取られ、元の性質に反して、栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、本来栽培された枝であった彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです。"

ローマ人への手紙 11章24節



僕らは野生種でした。だのに神様からの恵みを受けています。だから「思い上がることなく、むしろ恐れなさい」です。(20)そして、神様は本来のイスラエルにも与えたいと願っておられます。イスラエルを退けたのでも、見捨てたのでもありません。



"それでは尋ねますが、神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の出身です。

神は、前から知っていたご自分の民を退けられたのではありません。"

ローマ人への手紙 11章1~2節



聖書の祈りはイスラエルの救いを願うことです。これが神様の願いです。



"兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。"

ローマ人への手紙 10章1節



政策や戦争の問題があったとしても、神様の願いはイスラエルも異邦人も区別なく救われることです。すべての人が罪人です。世界は罪ゆえの問題だらけです。それでも神様がイスラエルに対して今日も手を差し伸べていることは間違いありません。戦争に関係なく神様はイスラエルを愛しておられます。まるで反抗して家を出て行った長男のようです。それでも親は祈ります。戻ってくるのを待ち、手を差し伸べ続けています。



"そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」"

ローマ人への手紙 10章21節



威張らないで、見下さないで今日も祈りましょう。神様が僕らをあわれんでくださったように、頑固になっているイスラエルのためにあわれみを祈りましょう。何もなかった僕らが先にこんな恵みと愛の中に入れられたように、神様、どうぞ彼らをあわれんでください。神様が愛しているイスラエルをいつくしみ、あわれみ、救ってください。助けてください。