2026年7月3日金曜日

使徒の働き9.26-28

 使徒の働き9.26-28


「あの人にこんなひどいことされた」

その記憶も恨みも恐れもなかなか消えません。


サウロは教会の人たちを傷つけ恐怖を与えてきた首謀者です。

彼がイエス様に出会って悔い改め、今は逆に教会を建て上げようとしているなんて、なかなか人々は受け入れられません。


それでもサウロが自分の罪を認め、変えられたのは事実です。

彼は自分のことを「教会を滅ぼし尽くそうとした最悪の元罪人」と認めて何度もそれを書いています。「私は以前には、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。(…中略…)私はその罪人のかしらです。」(1テモテ1.13-15)

彼が変わっても、人々の記憶からはその傷が消えません。エルサレムの弟子たちは彼を恐れました。



"エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。"

使徒の働き 9章26節



イエス様は十字架の血を流してサウロを赦して受け入れてくれました。

そして教会も葛藤しながらも彼を受け入れていきます。


受け入れるには助けも必要です。サウロは最初、弟子たちに恐れられて受け入れてもらえませんでした。

そんな時、バルナバが用いられます。彼は教会の恐れもサウロの過去も知りながら、それでもサウロが本当に悔い改めたことや変えられたことを弟子たちに丁寧に説明しました。その結果、エルサレムの教会は彼を受け入れました。簡単ではなかったはずです。



"しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。

サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。"

使徒の働き 9章27~28節



過去に失敗した人、教会を傷つけた人ともう一度やり直すには、バルナバのような橋渡しになってくれる人や、一緒に祈ってくれる人が必要です。神様はサウロを一人で回復させたのではありません。

バルナバは不安な教会に寄り添い、同時にサウロにも寄り添いました。

僕らの周りにもし心を閉ざして「あの人にこんなひどいことされた」だけで終わっている人がいるかもしれません。

反対に、悔い改めて変えられても理解されないままの人がいるかもしれません。僕らにはバルナバのように話をよく聞き、一緒に祈り、橋渡しをしてくれる理解者や伴走者が必要です。


まずは放置せず、関係が壊れていること、恐れていることを正直に「怖いです。」とか、「赦せません。」と神様に打ち明けることです。そして信頼でき理解してくれる仲間が与えられるように求めましょう。


僕らも赦されました。神様に敵対していたのに、今はイエス様にも教会にも受け入れられています。その恵みを数えるときに、僕らも少しずつ相手を赦し受け入れる力が与えられていきます。


イエス様が自分を受け入れてくださったように、相手を受け入れる愛と力を与えられますように。過去の姿だけで人を決めつけず、神様がしてくださった変化に目を向けていくことができますように。


教会は正しい人の集まりではありません。イエス様に赦された罪人が葛藤しながらも互いに赦し、受け入れながら歩もうとする人たちです。


サウロは教会に受け入れられました。そして僕らも受け入れられた罪人です。教会はサウロを受け入れました。だから僕ら教会も自分たちだけの居場所にせず、悔い改めて帰ってくる人を喜んで受け入れましょう。今日もイエス様の新しい視点、新しい心が与えられますように。受け入れるべき人を受け入れることができますように。話を聞くべき人の話を聞けますように。過去に失敗した人への偏見や誤解を解き、恐れを取り去るために必要なことを伝える人になりますように。

2026年7月2日木曜日

使徒9.1-21

 使徒9.1-21

2026年7月1日水曜日

1歴代29.20-25

 1歴代29.20-25


クリスチャンになって何年たっても、「神様、こうしますからああしてください」とか「ささげますから、もっと増やしてください」とか、「献金したから守ってください、奉仕したから報いてください」など「神様を利用」する気持ちがつきまといます。


でも、それは本来の神様との関係ではありません。

神様は動かそうとする相手ではないし、取引する相手でもありません。

神様の大きさに圧倒される時、特にその十字架の姿に触れる時、僕らはただひれ伏して、神様に全てを差し出したくなります。

ダビデが息子ソロモンを王様に任命した時、すべての人は神様をほめたえ、神様にひれふして身をかがめてひれ伏しました。



"そして、ダビデは全会衆に「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言った。すると全会衆は、父祖の神、主をほめたたえ、主と王の前に身をかがめてひれ伏した。"

歴代誌 第一 29章20節



「ひれ伏すこと」は上下関係をはっきりさせます。自分を神様に明け渡す行為です。「ひれ伏す」は原語で「シャーハー」です。これは「礼拝する」も同じ「シャーハー」です。「礼拝」は、自分を低くして神様の前にひれ伏すことです。また「全焼のささげ物」とは煙や灰になるまで焼き尽くすことです。それは「何も残さず全て神様にささげます」という献身を表します。


ソロモンを王にした時、会衆は千匹の牛、千匹の羊、千匹の子羊をささげ焼き尽くしました。また、その他にも多くのいけにえを捧げました。見渡す限り何千もの動物が血を流して焼かれていくのはすごい光景です。これは神様の偉大さに圧倒されて国全体が全てを明け渡したことの表れです。「ささげたから何かください」みたいなものではありません。



"その翌日、彼らは主にいけにえを献げ、主に全焼のささげ物を献げた。雄牛千頭、雄羊千匹、子羊千匹、これらに添える注ぎのぶどう酒、また全イスラエルのための多くのいけにえを献げた。"

歴代誌 第一 29章21節



ひれ伏すとか、献身と聞くと、「痛々しいな…」「苦しそうだな…」と思う人もいますが、そこには喜びがあり、楽しみがあり、自由があります。



"その日、彼らは大いに喜んで、主の前で食べたり飲んだりし、改めてダビデの子ソロモンを王とし、主の前で油を注いで君主とした。また、ツァドクを祭司とした。

こうしてソロモンは主の王座に就き、父ダビデに代わって王となった。彼は栄え、全イスラエルは彼に聞き従った。

すべての首長たち、勇士たち、そしてダビデ王のすべての息子たちも、ソロモン王に忠誠を誓った。"

歴代誌 第一 29章22~24節



国民全てが神様にひれ伏してゆだねるとき、結果として神様にも王様にも喜んで忠誠を誓うことができました。それは国の繁栄にもつながりました。



"主はソロモンを全イスラエルの目の前に非常に大いなる者とし、彼より前にイスラエルを治めたどの王にも見られなかった王の威厳を、彼に与えられた。"

歴代誌 第一 29章25節



僕らはがんばって献身するものではありません。先に、すべてをささげ尽くして血を流して下さったイエス様を見上げます。あの十字架を見上げてその愛に圧倒される時、僕らはひれ伏して自分をささげたくなります。


すべてが神様のものです。時間も、お金も、力も神様のものです。ダビデが言う通りです。「このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、(…中略…)すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」(14節)


僕らのものは1つもありません。全部が神様のものです。今日も「全てはあなたのものです」と告白してひれ伏しましょう。そこには自由があり喜びがあります。ハレルヤ!

2026年6月30日火曜日

1歴代29.6-19

 1歴代29.6-19


神様は献金がないと困る方ではありません。「わたしと、わたしの教会を支えるために献げてほしい」ということはありません。

むしろ逆です。「神様が」僕らに必要なお金をいつも与えてくださっています。僕らが持っているものは最初から全部神様のものです。


ダビデはとんでもない権力と財産を持つ王様になりましたが、それら全部が神様から預りものであることを知っていました、だから神様に感謝したくて、愛したくて、その愛をカタチにしようとしました。それが壮大な神殿建築計画です。ダビデもリーダーたちも「進んで」「喜んで」ささげました。ささげることは、神様への愛と喜びの表れです。富も、力も、時間も、才能も、命さえも、もともと神様から与えられたものです。



"ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。

主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。

富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。

私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。"

歴代誌 第一 29章10~13節



僕らも同じです。僕らの時間も力も才能も財産も、「僕らの」というよりも「神様からの」預かりものです。



"このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。"

歴代誌 第一 29章14節



僕らは預かっています。量は人によって違います。ある人には5タラント、ある人は2、ある人は1です。(マタイ25章)僕らは神様に喜ばれたくて、預かったものを工夫して使います。財産も力も時間も神様を愛して与えられた使命を忠実に果たすために預けられています。


よく「いくら神様に捧げたらいいの?」という悩ましい話を聞きますが、正しい考えはこちらです。


「全額神様から預かったものだけど、神様はこれをどうやって使ってほしいと思っておられるかな?」


神様はお金に全く困っていません。むしろ神様が僕らが管理できる金額をちょうどよく預けてくださっています。


シンガポールに研修に行った時、何千人も収容でいきる教会の会堂を3つも所有する教会の牧師の話を聞きました。その牧師は質問されるそうです。


「どうしてこんな大きなものをいくつも建築することができるのですか?スポンサーがいるのですか?」


先生の答えは以下のようなものでした。


「隣の席の人がお財布をくれて、その財布からいくらでも自由に献金していい、って言われたら、神様にどのくらいささげますか?」

「多くの人は、『隣の人がそう言うなら全額献金します』と答えます。同じように、皆さんが毎日使っている財布は、本当は神様から預かっているお財布です。神様がそれを自由に使っていいって言ってくれてます。」


僕らのお財布は全額神様ものです。ダビデは言います。「すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」(14)

お金も、時間も、力も、人生も全部、神様を愛し、人を愛するために神様が託してくださったものです。今日も喜んでお返ししましょう。ハレルヤ!

2026年6月29日月曜日

1歴代28.20-21

 1歴代28.20-21


人間は本来、神様との親密な交わりの中で生きるように作られています。そしてそれを表すように「人が一人でいるのは良くない」(創世記2章18節)とおっしゃいました。人間同士が交わり愛し合うのは神様の願いだし、本来の人間の姿です。神様の愛が兄弟姉妹を通して注がれる時には恐れは支配できなくなります。



罪を犯すと僕らは神様から隠れようとします。(創世3章8節)すると、なぜか隣人ともおかしくなるし、自分のことも嫌いになりがちです。罪の結果は、恐れ、孤独、不安と絶望感です。


神様は離れていった人をそのままにしません。もう一度人と交わりたい、と願ってくださいました。罪ある人々の真ん中に神様が住まわれるのが「主の宮」(神殿)です。神様がそれを願い、ダビデもそうを願いました。実際に建築したのはダビデの息子ソロモンです。神殿を建て上げる仕事も神様が一緒です。神様がともにいてくださって、力を与えてこの仕事を完成させてくださいます。「神様と一緒にいること」がソロモンの恐れを締め出し、力になります。


"それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。"

歴代誌 第一 28章20節



「福音」とは「罪の赦し」だけではなくて、壊れてしまった神様との関係が回復し、愛に満ちたお父さんと子どものように回復することです。

その回復がリアルにわかるように教会の兄弟姉妹たちを与えて「互いに愛し合いなさい」「互いに仕え合いなさい」とおっしゃいます。

ソロモンが孤独に陥らないように、神様は一緒に神様のために奉仕する共同体を与えてくれました。ソロモンは一人で神殿を建てるのではありません。



"見よ。神の宮のあらゆる奉仕のために祭司とレビ人の各組がいる。どんな仕事でも、あらゆる奉仕のために知恵をもって進んで事に当たる者がみな、あなたとともにいる。首長たちとすべての民は、あなたの命令すべてに従う。」"

歴代誌 第一 28章21節



助けてくれる仲間が与えられるのは神様の愛の表れです。

教会が「キリストのからだ」と言われるのはその理由です。

見えないキリストが僕らを愛し一緒にいてくださいます。それは兄弟姉妹が愛し合い助け合うことに現れます。その時、僕らの孤独や恐れは締め出され、力と喜びが注がれていきます。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(1ヨハネ4.18)


人は一人で生きるようには作られていません。僕らが力を失うのは交わりから切り離されてしまう時です。イエス様がぶどうの木、僕らは枝です。スマホが充電器から外れたら力を失っていくように、僕らも神様から離れるなら力を失っていきます。

神様は僕らを孤独の中で一人で戦わせようとはしていません。

もし、「力が出ない」「怖い」「祈れない」「苦しい」と思うなら一人で抱え込まずに神様に戻り、兄弟姉妹のところに戻りましょう。



"それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。"

歴代誌 第一 28章20節


今日も神様は僕らに愛を注いでくださっています。主ご自身が共におられます。見放すことも見捨てることもありません。ハレルヤ!