2026年8月23日日曜日

詩篇103篇1-18節 召天者記念礼拝メッセージ 「予想を超えた愛の冠」

 詩篇103篇1-18節 メッセージ

「予想を超えた愛の冠」


今日は昇天者記念礼拝です。

去年も今年も多くの先輩たちとの別れがありました。


悲しみの中にある人のために


死は本当に悲しいです。でも神様は、悲しみの中にいる私たちに、天からの希望を与えてくださいます。

今日のメッセージは家族を失った悲しみだけでなく、人生のいろんな悲しみ苦しみの中にある人たちへのメッセージです。

苦しみの中にある人に、もう一度希望と喜びと感謝を与える詩篇です。


これを書いたダビデも苦しみました。上司であるサウル王から嫌われて嫌われるだけでなく、何年も命を狙われる生活をしました。

それが終わったと思ったら次は自分の息子に裏切られる悲しみを経験しました。

苦しみの中にある人に、悲しみの中にある人に、そして自分に語りかける詩篇です


ダビデは正直にこう思ったみたいです。

「自分は感謝できないなあ、神様をほめたたえていないなあ、」

それで彼は自分にいいます。


"わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ 聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。"

詩篇 103篇1~2節


しっかり悲しむことも大事だけど、でも、そのままでいると、神様が良くしてくださったことも、これからよくしてくださる約束も忘れてしまいます。そうすると恐れや不安、悪い想像、問題ばかり考えて暗くなりがちです。


「わがたましいよ」と呼びかます。

自分の中には魂があります。神様に造られ、神様を愛し、神様を賛美し喜ぶ魂があるはです。でも、そうじゃない日があります。落ち込む日があります。だから自分に呼びかけます。「わがたましいよ主をほめたたえよ。」


魂だけ、心だけ、でなく、自分の中にある全部に呼びかけます。「私のうちにあるすべてのものよ」です。心の半分だけ感謝、口だけ賛美、だったりそれ以下だったりすることがあるってことです。


歌っている。でも、頭の中では別のことを考えているとか、心が違うところに行っていること。これって簡単に起こります。僕もあります。

だからダビデは言っています。

「主をほめたたえよ、わがたましいよ。そして私の内にあるすべてのものよ」

自分の心も体も口も全部が神様に賛美するようになりたい、全身全霊で主を賛美し喜ぶ人になりたい、そう願って魂よ、私の全てよ、主をほめたたえよ、と言っています。


今までしてくださったことを数える


自分の全てで賛美したい、と思ってダビデがしたことは、方法は、「頑張って気分を上げていこう」ではじゃないです。エナジードリンク飲もう、とか、いい感じの音楽で盛り上げよう、でもない。

全身全霊で、私の全てで主を讃えるために、神様がよくして下ったことを全部、一つ一つ数え上げることです。何一つ、忘れるな、です。


神様がよくしてくださったことはたくさんあります。


息ができること 

歩けること 

見えること

しゃべれること

昨日の夕食がおいしかったこと

自分と関わってくれる家族や仲間が与えられていること

天気が良いこと

寝れたこと

草花が綺麗なこと

牧師室にエアコンがついたこと


…まだまだあります。全部が当たり前ではないです。逆だったこともたくさんあるからです。神様のめぐみです。数えるほどに感謝と喜びは増えていきます。めぐみを一つ一つ数えると不思議と不満は小さくなり、やがて消えていきます。

まい朝、神様がしてくださった感謝を数えてありがとうございますって祈ってスタートすることをお勧めします。


いきなりできない人は、まずは3つ、神様の恵みを3つ毎朝数えてみましょう。だんだん心の目が開かれて、3つだったのが5つ、10こ、あれもこれも感謝、めぐみ、って増えていきます。


「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」


●これからも与えられ続ける大きすぎる恵み4選


賛美できる理由、感謝の理由はたくさんあるんだけど、今日の箇所はもっと大きな、僕らの思いを超えた愛とめぐみを教えてくれてます。「これでもか」というほどの箇所です。

3節からこれからも与えられる大きすぎつ恵が具体的になっていきます。


"主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし

あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ

あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。"

詩篇 103篇3~5節


一つ一つ見ていきます。


その①「咎を赦す」


ダビデは最初にこう言います。「主はあなたのすべての咎(とが)を赦し、」神様はすべての罪を赦してくださる。あれが悪かった、これが悪かった、ああしておけばよかった、と思うかもしれません。

思い出したくもない失敗、後悔があるかもしれません。でも、神様はあなたの咎をゆるす、とおっしゃいます。だから感謝しなさい、だから賛美しなさい、褒めたたえなさい、です。

改めていいます。皆さん、ゆるされています。無罪です。忘れないでください。


自分が悪かった、自分ってクズだな、とか、自分のダメさを探して反芻していると感謝も賛美も出てきません。また、誰かさんの失敗や欠点を探して、あいつのせいだ、と罪を探している時には感謝もなく喜びもなく、賛美もありません。ただ不安と不満です。


主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな。

まずは、一つ目は「主はあなたのすべての咎を赦し」くれた、と聖書はいいます。


赦してくれた、ってことは、罪はあったってことです。

誰にもバレてなくても、あります。神様は心をみます。

ずるいこと、さばいていること、不正をしたこと、淫らなこと、神様の前ではさらけ出されています。


でも、「主はあなたのすべての咎を赦し」です。あえて「罪をゆるし」ではなく「咎をゆるし」です。

失敗すると神様からも咎め(とがめ)られます。が、でも、その咎めを赦してくれる、ってことです。

「人からも神様からも非難される、責め立てられている状態」からゆるし解放してくれる、ってことで

そんな僕らの咎を、イエス様が十字架の上で背負ってくださいました。

神様からも人からも咎められたのはイエス様です。その怒りを呪いを受けてくださったのはイエス様です。神様は「あなたの罪は赦された」と言ってくださっています。


10節に大切なことが書かれています。


(10)

「主は、私たちの罪にしたがって私たちを扱うことはなく、私たちの咎にしたがって報いることもない」


もし主が僕らの罪に従って扱われたなら、僕らは全員滅び、裁き、地獄行きです。人は責めるかもしれません。でも、神様は責めてません。


「主は、私たちの罪にしたがって私たちを扱うことはなく、私たちの咎にしたがって報いることもない」


今もクリスチャンになっても罪はまとわりつきます。これからも失敗し罪に流れてしまう時もあるかもしれないです。それでも、

聖書は


(ローマ5.20)

「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」


といいます。


※「福音中心の人生」の図(「福音中心の人生 ロバートHスーン・ウイルウオーカー著)から引用




この本の図、よく表していると思います。これから失敗することがあります。罪の深さを示されることがあります。でも、そのたびに十字架の赦しの大きさを知っていくことになります。


罪を犯してもオッケー、という意味ではありません。罪を知るほど、イエス様の赦しの大きさが分かるということです。

みなさんの罪が3つなら3つ赦されます。10なら10ゆるされます。100なら100ゆるされます。罪が増し加わるほどに、赦しの恵みも満ち溢れます。なんてありがたい、と思います。もう責められることはありません。感謝しましょう。

主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな、です。神様をほめたたえましょう。


その②「病を癒す」


"主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし

詩篇 103篇3節


元々、病気は神様が造られたエデンの園にはありませんでした。いつから人は病気になったのか?それは神様を裏切り、神様から離れた時からです。罪を犯した時からです。

罪の赦しと病気の癒しは関係あります。


赦しがなくて、いつもお前はダメだ、ダメだ、失敗だ失敗だ、後悔しろ、って思い続ける人は、やはり健康ではなくなります。恐れたり後悔したり、責められたりすると緊張して血流は悪くなるし、免疫は下がるし、体は硬くなります。心も硬くなります。赦しがないと、やっぱり健康的にも弱くなります。


聖書は言います。

主はあなたのすべての病を癒やし


愛され、赦されている、と思うひとは内側に喜びを取り戻します。心が嬉しい人は体もほぐれてきます。

イエス様は病を癒す方です。

もちろん医学的な知識とか技術とか薬を与えてくださったのも神様です。医療を用いて僕らを癒してくださいます。

でも、どんな医者にもできないことがあります。それは、罪を赦し、咎めない、と言ってくれることです。

人は安心します。解放されます。体も心も自由にしてくださるお方です。


とはいえ、人は病気になります。一般的にクリスチャンの方がやや見た目が若いと言われるし、やや健康と言われます。それは赦されて心が軽いからです。けど、それでも、人は老いていくし、病気になるし、死んでいきます。死なない人はいません。


一生は短く、花が咲いても枯れて土に帰っていくようです。そう聖書はいいます。僕らは土に帰ります。

ここにある写真の先輩たちの骨はみんな灰のようになって、チリになっています。

この地上の肉体の中に住むのはひとときだけです。

消えていく花のよう、草のよう、そして、ちりのようです。


(14-16節)

14,主は私たちの成り立ちを知り私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。

15,人その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。

16,風がそこを過ぎるとそれはもはやない。その場所さえもそれを知らない。


そんな弱い存在である僕らです。ちりにすぎない僕らです。

でも、神様は体も癒し、全く新しい完全な体に癒してくださいます。

その体は、栄光に輝くしかも強くて若々しい体です。


(5)

あなたの若さは鷲のように新しくなる。


死ぬのは怖いし嫌だけど、悲しいことだけど、それでも最後の息をして、神様の御前に召されるとき、それは癒しの時です。


教会では、死にました、と言わず、召されました。と言います。召されるって、神様がお呼びになりました、って意味です。

だから、不完全な体とはお別れして、病気の体とはお別れして、神様のもとに呼ばれ、完全な体、栄光の体に変えられる、そういう意味です。


(1コリント 15:40-41)

また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。


30代で交通事故で死んだ4つ下の弟がいます。危篤で一か月集中治療室にいました。

毎日祈りました。教会の皆さんに祈ってもらいました。本当に癒されるように、ピンピンして、あのベットから起き上がり、残りの人生を神様に捧げるように。信じて祈りました。通いました。反応のない彼の耳元で福音を伝えました。子ども時代に彼に悪いことをした罪を謝りました。

彼が召されたとき、神様は僕に確信を与えてくださいました。

彼がみたこともない笑顔で、別人のような笑顔で、天でイエス様と一緒にいる情景が心に与えられました。いつか、完全に癒された彼と天で再会するのは楽しみです。

罪から解放され、って、もう、兄弟通しのわだかまりが完全に消えて、心も体も新しくされて、愛と喜びしかない状態で会えると思うと嬉しいです。


聖書は地上で長生きするよりも天にいる方が、キリストと一緒の方が遥かに良い、といいます。

パウロも病気も病気で悩んだ一人です。パウロは「もし自分の好きな方を選べるなら、すぐにでもイエス様のところへ行きたい」といいます。世を去ることの方がはるかに優っていると言います。


(ピリピ 1:23)

私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。


地上にいても癒しはあります。体の癒しも心の癒しも神様が与えてくれるものです。医療も用いられます。癒しは神様の願いです。でも、完璧に完全に癒してくださるのは神様の前に召される時です。

いやされることと、新しくされることを別の言い方で繰り返しています。


(4)

あなたのいのちを穴から贖われる。


「穴」というのは、聖書では破壊や滅びを表す言葉です。死とかお墓の意味もあります。

僕らの人生には苦しみがあって、だんだんと何かを失っていきます。最後は死にます。でも、神様はそのような穴から贖われます。救い出されます。取り戻します。復活させてくださいます。そして「あなたの若さは鷲のように新しく」なります。


神様の前では全ての人が若くて美しい体に変えられます。「あなたの若さは鷲のように新しくなる。」とある通りです。

メガネの人は一人もいません。みんな目がいいです。車椅子の人はいません。


主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主はあなたのすべての咎を赦し

あなたのすべての病を癒やし

あなたのいのちを穴から贖われる。

(…中略…)あなたの若さは鷲のように新しくなる。

詩篇 103篇2-5節



その③「冠をかぶらせてくれる」


(4節後半)

「あなたに、恵みとあわれみの冠をかぶらせ」


「恵み」とは、神様の愛です。

揺るがない愛、永遠の愛、って意味です。

揺るがない愛の冠を被せてくれます。結婚式でみんなにおめでとう!と言われてドレスを着て冠を被ってるイメージです。

それ以上に、神様から愛され、祝福され、愛されている人、っていう冠を被らせてくれます。


ちょっと画像を作ってください。皆さんが最高の服を着せられています。頭には冠が載っています。

その冠は神様の愛する子、愛する花嫁って書いてあります。それは現実となるし、神様の前ではもう確定事項です。

愛される子として、花嫁として、名誉の冠を被らせてくれます。もうそれが始まっています。


そして「憐れみ」は子宮とか、母の胎って意味があって、母親が赤ちゃんを抱くような愛情のことです。絶対に見離さないお母さんのような、それ以上の神様の憐れみのことです。


皆さんの頭にはこの神様からの愛と憐れみの冠をかぶせられています。


悪魔はその冠を落とそうとしてきます

理由を探しては、自分は愛されてない、自分は喜ばれてない、って思わせる。

そういう悪い攻撃を受けている人が増えていると思います。


国際的な調査会社 Ipsos(イプソス)の2025-2026年に29か国で行った調査で、愛されていると感じること、それに満足している人は


  • 29か国平均:77%  日本:51% メキシコ:86% 日本は29か国中最下位。特に男性は低くて、45パーセントだそうです。


だから、隣の人に言いましょう。「あなたは愛されています。あなたは愛の冠を被せられています。」と。特に男の人にいってあげましょう。


実際、家庭の中でも、職場でも学校でも、人を尊敬しない、大事にしない、人を否定する言葉と態度が使われます。この世は見た目とか能力で人の価値を決めます。

でも神様の冠は違います。

何ができてもできなくても、神様の子どもだから、キリストの花嫁だから喜ばれ、愛され、冠を受けています。


この冠を落とそうとする攻撃、自分は愛されていない、価値がない、という攻撃が増えていると思います。

誰がなんと言おうと皆さんの頭には冠があります。


(4節後半)

「あなたに、恵みとあわれみの冠をかぶらせ」


この冠をしっかり被っていると人生が変わります。

神様が自分を愛してくださっている、そう分かる人は、恐れが消えていきます。


(1ヨハネ 4:18

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。


僕らはすぐに神様の愛を忘れて恐れてしまいます。

だから自分に言いましょう。

「主がしてくださったことを何一つ忘れるな」


その④「良いもので満たされる」


(5節)

あなたの一生を良いもので満ち足らせる。


神様はただ罪を赦して終わりじゃない。

ただ病を癒して終わりじゃない。冠を被せておわりじゃない。

僕らの人生を良いもので満たしてくださる方。


もちろんイエス様に従う人にも、苦しみもあるし試練もあります。

でも、その中でも神様は良いものを満たしてくださいます。


僕らが考える「良いもの」と、神様が考える「良いもの」って違うようです。僕らの「良い」と思うものは、この世界に住んでいる人が思うものです。

宝くじ当たった。とか、嫌な人とはさっさと別れて次の人、とか。やり返してやった、とか。

この罪の世界はそれを良いと思わせるけど、神様の世界では良いこととは限りません。


「あなたの一生」とは限られた「地上の人生」ではなく、時間を超えた永遠のいのちも含んでいます。「全存在」とか「望み」とも訳されます。あなたの全存在を良いもので満たされます。

あなたの望みを良いものを満たされます。


神様がくださる良いものは、地上で消えていく宝ではなく、天国で永遠に価値のあるもの良いものです。

たとえ、苦しみがあり、その中で忍耐することがあっても、それは良いことです。


皆さんが皆さんに悪いことをする敵を赦し、忍耐し続ける時期があったとします。

周りの人は、悪いこと、っていいます。当然です。

でも、神様はその忍耐を、敵を赦したその決断を、悪に対して祝福で返したそのことを、すごく喜んでおられます。

悪い出来事を、良いことに変えてくださる神様です。


神様を知らない人が言う「良いもので満たされる」のと、神様の国で永遠に喜ばれる人の「良いもので満たされる」のとは、違います。


迫害があったらこの世の人は悪いこと、っていうけど、天国では喜びなさい、喜び踊りなさい、報いが大きい、っておっしゃいます。


悪いことさえ良いことにしてくださる方です。悲しいことでも、辛くても、益としてくださる方です。


(ローマ8.28)

神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。


全てのこと、悪いと言われるような出来事も、益に変えられ、神様は冠を被せて、「あなたの一生を良いもので満たされる方」です。


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これからも与えられ続ける大きすぎる恵み4選!です。


①「咎を赦す」

②「病を癒す」

③「冠をかぶらせてくれる」

④「良いもので満たされる」


●大きすぎる愛と恵みは「主を恐れるものに」与えられる


この愛とめぐみは大きすぎます。

どのくらい大きいか、11節に書いてあります。


(11)

天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。


上空、高すぎて見えないくらいに天が高いように、神様の恵は愛は大きい。大きすぎます。この大きな愛と恵は誰に与えられるか。「主を恐れるもの上に」です。


17節も同じく書いてあります。


(17)

「主の恵みは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にある」


主を恐れるものは、ビクビクする人じゃなくて、神様が愛してくださることに戸惑いながら「こんな罪深い私を愛してくださる。その神様を心から尊びたい、愛したい、従いたい、という人」です。


それが

(18節)

主の契約を守る者主の戒めに心を留めて行う者に。


「神様なんて関係ない。」という人ではありません。「自分が上」の人でもありません。愛されたいけど、神様に従わない人ではありません。信じるけど従うのはイヤ、と言う人ではありません。

この大きすぎる恵は神様に感動し、感謝し、恐れ、従う人にあります。神様をバカにする人、自分が上、神様が下、の人ではありません。主を恐れる人です。神様が上。自分は下。だけど愛されている、って感謝し賛美する人です。その人には神様のめぐみは大きすぎます。


(11)

天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。


●適用


今日のメッセージは家族を失った悲しみの中にある人へのメッセージです。そうでなくても人生のいろんな悲しみ苦しみの中にある人たちへのメッセージです。

感謝できず、賛美できなくなっている私たちへのメッセージです。

だから自分に呼びかけましょう。


"わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ 聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。"

詩篇 103篇1~2節


僕らが思うよりずっと愛されています。赦されています。良いもので満たしてくださいます。それは永遠に続く恵です。


考えてみましょう。


①「咎を赦す」

②「病を癒す」

③「冠をかぶらせてくれる」

④「良いもので満たされる」


の中で今まであなたがた受け取っていなかったものは何ですか?

それを受け取る祈りをしましょう。