2026年8月16日日曜日

使徒23.11-35 「みことばこそわたしの助け」礼拝メッセージ

 使徒23.11-35

「みことばこそわたしの助け」


質問です。

皆さんの最近の悩みとか苦しみどうでしょう。みんなあると思います。

そのことに神様はなんとおっしゃってるでしょうか。

僕らはいろんな解決を求めるけど、やっぱり神様はその問題について語ってくださいます。


パウロも悩みました。悩んだ、というより何度も殺されかけ、拷問、ムチ、監禁、ひどい目にあって、落ち込んだと思います。パウロも人間です。悲しいし、疲れるし、落ち込みます。


今日の箇所もそうです。エルサレムで人々に捕まり、暴力を受け、最高法院でもひどいことを言われた後、へとへとになっていた夜のことです。


(11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。 


「勇気を出しなさい」って言われるってことは、勇気がなかったってことです。

安心しなさい、って翻訳もあるし、しっかりしなさい、って訳もあります。

「しっかりできなかった夜」です。不安だった夜です。力が出ない日です。


当たり前だけど、僕らはラクしたいし安全な道を歩きたいです。

でも、そんな日だけではありません。

「勇気を出しなさい」って言葉。

問題だらけ、悲しいこと、落ち込む人におっしゃる言葉です。


(11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。 


今日、神様が皆さんに「しっかりしなさい、勇気を出しなさい」って語りかけてくださいますように。

そう信じます。


皆さんが今置かれている試練の中で、不安の中で、悪い状況の中で、その中でも、確かな神様のご計画があるから、イエス様が確かに生きて働いてくださるから、それをあなたが体験するし、それを証するようになるから、とおっしゃいます。


このメッセージが皆さんが勇気が与えられ、力が平安が与えられるメッセージとされますように。


⚫︎文脈の説明 あらすじ。


パウロがここエルサレムにきたのは、御霊の導きです。

神様に導かれてきました。でも、「苦しみも受ける」とあらかじめ教えてくれていました。


"ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。
ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。"
使徒の働き 20章22~23節


みことばの通りになりました。

エルサレムに着くと、ユダヤ人たちはパウロが神殿を汚している、と根拠のないでっち上げの訴えで群衆が焚き付けられて大騒ぎになり、パウロは捕まえられました。


"そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。すると、ただちに宮の門が閉じられた。
彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。"
使徒の働き 21章30~31節

「彼らがパウロを殺そうとしていた」とあります。引きずり出し、人々が殺到しています。

パウロは無抵抗なまま、人々から殴る蹴るの暴力を受け殺されかかっています。

町中が大混乱だったので治安を維持するローマ軍が出動しました。パウロは傷だらけでローマ兵たちに救出されました。それでも大勢の民衆は、「殺してしまえ」と叫びながら、ついてきます。

歩くだけで殴りかかってくる人が大勢いるので、暴行を避けるために兵士たちはパウロを担ぎ上げるほどでした。


※イメージ画像




パウロは暴行を受けながらも、階段の上でイエス様のことを話します。

群衆は最初だけ聞いてたけどすぐにわめきだします。


"人々は彼の話をここまで聞いていたが、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」
人々がわめき立て、上着を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、
千人隊長は、パウロを兵営の中に引き入れるように命じ、なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため、むちで打って取り調べるように言った。"
使徒の働き 22章22~24節

今度はローマ軍が彼をムチで苦しめて、何か自白させようとしました。ムチは後遺症が残ったり場合によっては死んでしまったりする拷問です。囚人を人間扱いしないところがあったようです。ですが、ローマ市民は保護されていました。

ローマ市民を裁判なしで、拷問にかけることは絶対に許されないことだし、拘束したり、何か悪いことをした、とわかると、隊長が責任と問われます。この隊長はローマの権威に逆らった、となります。

途中でパウロがローマ市民だ、とわかると、突然態度が変わります。

「やばい!」と思ったようです。彼らはパウロを縛ってしまったことを恐れました。


それで、今度はユダヤ人の最高議会に裁きを委ねます。

パウロはそこでもひどい目にあいます。

何か発言した途端に、口を殴られそうになります。


(23章1-2節)

1 パウロは、最高法院の人々を見つめて言った。「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」 

2 すると、大祭司アナニアは、パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。


こういう雰囲気です。みんながパウロのことを人間扱いしない、パウロの話なんて誰も聞かない。ただ邪魔な人、死ねばいい人、という扱いです。

普通は落ち込みます。心は病みます。

そんな夜にイエス様が近くに来てくださって言われた言葉です。


(11)

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。 


それでも周りの状況は悪くなる一方です。

今度は四十人以上の過激派がパウロを暗殺することを誓って計画を立てます。


"夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしない、と呪いをかけて誓った。この陰謀を企てた者たちは、四十人以上いた。"
使徒の働き 23章12ー13節


彼らは祭司長たちと手を組んで、「詳しく調べるために牢屋から祭司たちのところに連れて来させてください」とお願いします。でもこれは表向きの話で、ウラではパウロが牢屋から出された途中に必ず殺します、と誓っている本気の暗殺者たちが40人以上配置されています。


"そこで、今あなたがたは、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がこの近くに来る前に殺す手はずを整えています。」"
使徒の働き 23章15節


⚫︎パウロの拠り所は神様のみことば


僕がパウロの立場だったらめちゃくちゃ恐ろしいことです。

周りは全部敵です。出会う人ほぼ全てが自分を殺そうとしています。

イメージしてください。

町を歩いていたら、取り囲まれて殴られ、蹴られ、警察が来て保護されたと思ったら、今度は警察内で拷問を受けそうになる。危うく助かったと思ったら今度は、裁判所に移送中に殺す、と言う暗殺計画がある。周りはみんな自分を殺したい人たち。


気が狂いそうになる場面です。でも、パウロはすごく落ち着いています。全然焦ったり、落ち込んだり、怖がったりしてません。どうしてそんなに安心してられるのか?

それは神様の言葉があなたはここでは殺されない、ローマで証をする、とおっしゃってるからです。


23章11節

「あなたはエルサレムで私を証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」


神様が「ここでは殺されないよ」と言っているのと同じです。

そして、神様がおっしゃった通りになります。

この暗殺計画は隊長の耳に入ります。


(17-18節)

ところが、パウロの姉妹の息子がこの待ち伏せのことを耳にしたので、兵営に来て中に入り、そのことをパウロに知らせた。
そこで、パウロは百人隊長の一人を呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。何か知らせたいことがあるそうです」と言った。

隊長はこれを聞いて、その夜のうちに、暗殺されないうちに彼をエルサレムから脱出させます。

神様がおっしゃったら、その通りになります。

ここでは死にません。

「ここで証ししたように、ローマでもあなたは証しするようになる」と、神様がおっしゃったんです。

神様がおっしゃったら、その通りになります。


⚫︎恐れで動くこの世の力とは。


①ローマの隊長の場合。 ②ユダヤ人たちの場合。


①ローマの隊長の場合。

隊長は、最初この囚人パウロを縛って、ムチで苦しめようとしました。

でも、ローマ市民だった、とわかって、隊長は慌てます。

このローマ市民パウロを傷つけたり殺すようなことがあったら自分の立場が危うくなります。

相手は本気で暗殺しようとしてる40人以上の人たちです。

自分の立場を守りたい。パウロを守らなければ、というより、自分がヤバイという状況です。

それで必死で、パウロが殺されないように、ものすごい数の軍隊をつけてカイサリアまで夜のうちに護送します。保護します。


"それから千人隊長は二人の百人隊長を呼び、「今夜九時、カイサリアに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を用意せよ」と命じた。
また、パウロを乗せて無事に総督フェリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。"
使徒の働き 23章23~24節

後で、ローマの総督に彼は報告します。その言い方は自己保身です。「自分が彼を救った」と報告します。


(26-27節)

26 「クラウディウス・リシア、謹んで総督フェリクス閣下にごあいさつ申し上げます。 

27 この男がユダヤ人たちに捕らえられ、まさに殺されようとしていたときに、私は兵士たちを率いて行って彼を救い出しました。ローマ市民であることが分かったからです。


パウロをカイサリアまで護送するために、歩兵200人、騎兵70人、槍兵200人、合計470人を用意してます。なぜそこまで大軍を出したのか。本気の40人の暗殺者が近づけないように、隊長が必死で守っています。これはパウロを守るよりも自分の立場がなくなることへの恐れです。神様を知らない人は、不安になると、武力とか力とか、人間の知恵で乗り越えるしかないんです。


②ユダヤ人たちの場合。


パウロを殺そうとした40人以上の者たちは、「パウロさえ消してしまえば、自分たちは安心できる」と考えました。ユダヤ教の中にイエスがキリストだとか、神の子だとか、そんな教えが入ってこられては困ります。あいつさえいなければ自分たちは安泰です。

彼らはローマ軍のような武力を持っているわけじゃないけど、でも、40人以上が結束して「パウロを殺すまで飲み食いしない」と誓います。指導者たちを巻き込み、偽の口実を作ります。

自分たちが持っているものを全部動員して、邪魔なパウロを消そうとします。


ローマの隊長も、ユダヤ人の過激派も「強い人」だからやっているというより、「恐れているから」です。「自分を守りたいから」です。神様を知らない人は必死で自分の力、自分の計画、作戦にすがります。


聖書は、この世界は、悪魔の支配下にある、と言います。エペソ2.1-3にそうあります。

神様の支配、神様の愛と守り、主権を知らない人はやっぱり恐れます。怖いから動きます。

悪魔も怖がらせて人をコントロールします。怖いから暗殺する、怖いから武力を持つ、というふうにです。僕らも例外ではありません。この世界も、不安なことがあると、嫌なことがあると、それを乗り越えるために、いろんな力を求めます。


ところが、パウロの唯一の武器は「御言葉」です。

そして、パウロを守る盾は「信仰」です。


一番弱いのは、人から見たらパウロです。

いつ殺されても、消されてもおかしくないパウロです。

でも、彼には保証がありました。「神様の言葉」という保証です。


だから、神様が「勇気を出しなさい」と言った言葉は、その通りになりました。

僕らも頼るべきは、神様の御言葉です。なぜなら、神様の言葉は私たちを見捨てることはないし、必ず実現する言葉だからです。


悪魔は不安を材料にして人をコントロールします。

逆に、神様はみことばと愛で人を動かします。


AかBか

AかBに行くか僕らが迷う時、神様のみことばはどちらか考えればわかります。

不安だから、おっかないから、というのは実はコントロールされ動かされて、縛られていることがあります。神様から「私は共にいる」「勇気を出しなさい」「私の栄光を見る」そういうみことばに聞いて、判断して動くのが正解です。


怖いと自分の力を欲しがります。安心したいからです。

お金、地位、肩書き、人脈、権力、判断力、知力、体力…です。でも本当の安心は、自分が強くなったところにあるんじゃなくて、神様が私たちを愛し、守り、導いいてくださるみことばです。ローマ隊長は「力」でパウロを守ります。神様は「みことば」でパウロを守ります。


ローマ側は、「これだけ兵士をつければ大丈夫」「これだけ武装していれば大丈夫」という世界です。

逆に、パウロはパウロは主から、「勇気を出しなさい。あなたは……ローマでも証ししなければならない。」という言葉が守ります。パウロを本当に守っていたのは、470人の兵士ではなく、神様の約束です。


⚫︎実現したみことば


「パウロ、安心しなさい。あなたはここで殺されて終わるのではない。あなたにはまだ、わたしを証しする使命がある、それを聞いて、パウロはカイサリアへ護送されます。


カイサリアに着いてもユダヤ人たちは何度もやって来て、パウロを訴えます。

カイサリアでは総督フェリクスの前で弁明し、総督フェストの前で弁明します。

そしてアグリッパ王の前でもキリストを証しします。

普通なら、「自分が無実であることを説明して、早く釈放されたい」と思うけど、パウロは囚人として、「イエス・キリストは生きておられる」と証しします。

そして、パウロの目はその先にあるローマを見ています。「私はローマでも証ししなければならない」と言っています。なぜそう言えるのか?イエス様がそう言われたからです。


※証

カイザリヤに行きました。ここで本当にパウロがフェリクスに、アグリッパにしていたんだ、と思うと心が震えました。


その時のビデオ、1分半のがあるので見てください。




聖書の話は単なる昔話ではありません。


⚫︎適用


「勇気を出しなさい」は、昔パウロに語られた言葉であると同時に、聖霊によって僕らにも力を与えます。神様は生きておられます。僕らも苦しみの中で、自分の力ではなく神様の言葉と神様の力を求めましょう。イエス様は本当に一緒におられます。そして神様の言葉は実現します。

僕らはキリストを証しすることが目的です。

週に一時間礼拝室に座っているだけでなく、人生全部が「イエス・キリストが生きておられる」という体験をするため、証するためにあります。


「自分が無事であること」が人生のゴールではありません。「自分の人生を通して、イエス・キリストが本当に生きておられることが現されること」がゴールです。


僕らは安全な道を行きたいです。

時間の使い方、お金の使い方、人生の使い方、どちらが楽か、安全か、で考えます。

当然だと思います。

ですが、イエス様に繋がった人は、自分にとって安全、とかラクとか、どちらが好きか、よりも、イエス様の願いは何か、イエス様が語っておられるのは何か、です。


主の栄光が表されますように。しっかりしなさい。勇気を出しなさい!


2026年8月13日木曜日

使徒22.24-29

 使徒22.24-29


ローマ市民はちゃんと保護されていて、勝手に拘束したり、裁判なしでムチで懲らしめたりすることは許されませんでした。


パウロはそのローマ市民でしたが、そうとは知らずにローマ軍はパウロを縛り、ムチで懲らしめようとしていました。当時のムチ打ちは、単なる「取り調べのための軽い暴力」ではありません。重傷を負ったり後遺症が残ったり、場合によっては死亡したりすることさえあります。拷問のような激しい暴力でした。

そのムチの直前にパウロがローマ市民だと分かります。千人隊長も百人隊長も「これはやばい。」と思ったようです。



"千人隊長は、パウロを兵営の中に引き入れるように命じ、なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため、むちで打って取り調べるように言った。

彼らがむちで打とうとしてパウロの手足を広げたとき、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか。」"

使徒の働き 222425



"これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ市民です」と言った。

そこで、千人隊長はパウロのところに来て言った。「私に言いなさい。あなたはローマ市民なのか。」パウロは「そうです」と答えた。

すると千人隊長は言った。「私は多額の金でこの市民権を手に入れたのだ。」パウロは言った。「私は生まれながらの市民です。」

そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。千人隊長も、パウロがローマ市民であり、その彼を縛っていたことを知って恐れた。"

使徒の働き 222629



パウロを縛っていた兵士たちはパウロが市民だとわかった瞬間に態度が変わりました。

ローマ市民を不法に拘束することはローマの権威に逆らう行為だからです。


僕らはどうでしょう。

イエス様を信じる人は、神の国の市民です。

どんなに小さくても、どんなに弱くても、神様の大きな権威によって守られています。

イエス様を信じる人への態度はイエス様にしたことと同じです。(マタイ25章35-46節)神の国の市民を傷つけることは神様と関係のあることです。人にしたことを「自分にしたこと」として受け止められる神様です。


パウロが昔、教会を迫害していたときも「なぜわたしを迫害するのか」という言葉を聞きました。(使徒の働き9章4節)「なぜクリスチャンを迫害するのか」ではありません。「なぜわたしを」です。教会のメンバーを傷つけ苦しめることは、イエス様を苦しめることです。(9章5節)

ローマ市民を攻撃するだけでも危険なことだったように、神の民を傷つけるのはもっと恐ろしいことです。イエス様とクリスチャンたちには一体性があります。

神様は『あなたがたに触れる者は、わたしの瞳に触れる者。』とおっしゃいます。(ゼカリヤ書2章8節)


兵士たちはローマの権威を恐れてパウロから身を引きました。(29節)

クリスチャンは、神の子どもたちです。キリストの花嫁です。宝の民です。

だから今日も神様の子どもたちを大事に扱いましょう。イエス様を愛することは、その子どもたちを大事にすることです。ハレルヤ!

2026年8月12日水曜日

JECA高校生サマーキャンプメッセージ③ エペソ2.6 思ってたのと違いすぎる!

 僕らのビフォーアフター

そして、すごい身分 ③


エペソ2:6

思ってたのと違いすぎる!


「あの人は今」っていうテレビ番組、結構見ちゃいます。

10代の時にスターだったアイドルが、60歳になった今、どうしてるか、あんなにモテまくって輝いていたアイドルが、引退してからギリギリの生活をしている、とか、生活が乱れてしまって、お酒とか何かに依存してしまって、とか。

若い頃に「みんなからモテる」とか、「かっこいい」とか、「美しい」とか、「かわいい」とか、そういうものは消えていきます。


でも、消えないものってあります。

神様との関係は、日々新しくされていって、内側は日々若々しくなっていきます。


僕小学校の時、「俺は絶対20歳になんないな」と思ってた。20歳はおじさんに見えた。

でもちゃんと二十歳になりました。

二十代の時は「50にはならないだろう。」と思ってたけど、ちゃんとなりました。

ちゃんと老眼になります。ちゃんと近くのものが見えなくなります。

ちゃんと白髪になります。白髪染めしてるけど。


これ、皆さんの将来の話をしてますからね。

この世の若さ、この世の美しさ、この世のお金、この世の楽しいことも、消えていきます。だけど、神様との関係は、新しく新しくされるだけじゃなくて、もっともっと素晴らしくなっていきます。霊的には新しく、若々しくされていきます。


今日は皆さん一度死ぬ体験をしてもらいます。


【死んでいくことのシミュレーション】


①あなたにとって目にみえる大切なものを3つ書いてください。

(                 )

②あなたにとって大切な活動を3つ書いてください。

(                 )

③あなたにとって大切な人を3人書いてください。

(                 )

④あなたにとって目に見えない大切なものを3つ書いてください。

(                 )


さて、あなたはある日病気になりました。担当医から「今までの生活と同じ生活はできません」と言われました。上記のうち、3つのことをあきらめなくてはなりません。あなたはどれをあきらめますか?3つ選んで消してください。

さて、月日が流れ、さらに病は悪化し、あと3つをあきらめなくてはなりません。あなたはどれを手放しますか?3つ選んで消してください。

さらに病は進み、さらに3つの事とお別れしなくてはなりません。あなたはどれとお別れしますか?3つ選んで消してください。

今日が人生最後の日となるかもしれません。あなたはさらに2つのこととお別れしなければなりません。2つ選んで消してください。

いよいよお別れです。最後の一つを消してください。


僕らは死を迎えます。その時に「自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。」と聖書は言います。(伝道者の書5章15節)


でも、失われないものがあります。

いや、神様の子どもは、何もなくならないどころか、いやもっとすごいもの、想像以上のものを手にしている、って話です。


僕らのお手本はイエス様です。

イエス様も、一度、全部失いました。


愛する弟子たちは逃げていきました。大工さんとしてのスキルも失いました。

人間としての尊厳も何もかも失いました。唾をかけられました。

笑われました。ほとんどリンチです。

死ぬほど鞭で打たれました。裸にされ、皮膚は裂かれ、いばらの冠をかぶせられ、棒で叩かれ、笑われながら、十字架につけられました。十字架につけられた後も笑われてました。

「キリストなら降りてこい。神の子なら降りてこい」笑われながら死にました。


みんなが手放したようなものを、イエス様はもっとヒドい形で手放しました。悲惨な手放し方、奪われ方です。


けれども、イエス様はそれで終わりではありませんでした。イエス様は僕らのお手本だし、僕らがどうなるか、を先に教えてくれています。


復活して、今、生きています。失ったけど、今すべてを持っています。すべての栄光を権力を富を持っています。イエス様は命も愛も力も美しさもすべての良いものを持っています。

今、富と力と権力と誉れを持っています。これが僕らのお手本です。

イエス様だけが最高、だけでは終わらないです。

僕らも同じようになります。


「背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
神はまた、キリスト・イエスにあって、
私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。

エペソ人への手紙 2章5~6節


何度も「一緒に、一緒に」って書いてます。「ともに」「ともに」です。

僕らもこの世ではそんなに認められないかもしれない。

一時期認められたとしても、それは消えていきます。


けれども、僕らは「ともに天上に座らせてくださいました。」とあります。僕らはイエス様と一緒に天上で座についています。座って、総理の座とか、大臣の座とか、社長の座って言いますよね。

僕らがついているのは「神の子としての座」です。高市さんよりすごい座についています。世界の王の王、支配者、すべての権威と栄光を持っている神の子の座です。

天上の座に、「キリストと一緒に」つきました。

もう確定。もう、ついています。


まだ地上においては途中だから、悲しいことがあったり、苦しいことがあったり、病気になったり、しんどかったりします。でも、もう天上の座についています。

すでに神様と一緒に天上で栄光の座についています。

すごい権力を持ってますよ。


皆さん、ピンと来ないかもしれないです。僕が神様の子どもで、僕がすべての栄光と権威を持ってる?

よく分からん、と思うでしょう。

神様から子どもとされたっていうのは、栄光を受け継ぐことです。

神様から与えられる祝福とか、愛とか、財産とか、神様からの良いものは消えません。


「子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」

ローマ人への手紙 8章17節


「相続」って親のものが僕のものになる、ってことです。

親が亡くなった人いますか?親の貯金はあなたのものになります。兄弟がいたら分けることになります。


ウチの義理の両親も去年二人とも亡くなりました。貯金があったので、それを兄弟で分けましたね。

親の貯金の一部が僕のものになるのが「相続」です。

さて、皆さんは神様の子どもになりました。神様のものを相続します。じゃ、神様の貯金、いくらですか?神様のお金、無限です。


お金だけでなく、お父さんが社長だったら経営を相続することもあります。

社長としての権利、社長としての肩書や立場、全部、息子が受け継ぐってこともあります。

これも相続です。


皆さんのお父さん、神様です。神様の会社、どのぐらい大きいですか?

神様の会社、無限ですよ。

この世を支配し、歴史を支配し、すべてを支配している王、経営者。

それが皆さんのお父さん。


その経営権を、皆さんも一緒に受け継ぐんです。これが相続人です。

そもそも、人間が造られた時に、神様は神様と一緒にこの世界を経営しようとしてパートナーと決めていました。「この世界を支配せよ」と、この経営権を最初から人間に持たせてます。


創世記1章26節

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」


最初から神様の子ども、神様に似て、神様の能力も受け継いで、この世界をお世話し、愛する神様のパートナーです。


ところが、人間は神様から離れて、その栄光も支配権も、全部失ってしまいました。

でも、もう一回回復します。

イエス様を信じた人は神様の子どもです。神様の子どもになった人はもう一回、その栄光も相続権も、全部もらいます。


これが、キリストと一緒に天の座につくということです。すごい身分です。


エペソ2.6

神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。


みんなのお父さん誰ですか?「うちのお父さん、神!」です。

そして、お父さんがお金持ちだったら、子どももお金持ちです。

お父さんが天才だったら、やっぱり子どももそれを受け継いじゃって天才です。お父さん、神様です。


皆さん、すごい立場、肩書き、能力、祝福を受け継いでいます。

地上で手に入れたものが、全部なくなっても、ものすごい立場が与えられています。それは絶対になくなりません。


今は、王国の後継者として育てられている期間です。

経営者も、いきなり経営できるのではなく、選ばれた人が訓練を受けて、だんだん神様の姿に似せられて変えられています。


皆さんは神様に選ばれた王子や王女です。でもいきなり王にはなりません。でも、もう選ばれています。

一生かけてだんだん王子、王女にふさわしくなっていきます。

何かができたら合格ではなくて、悪魔の言いなりだったのに、死んでいたのに、救われて、赦されて、選ばれて、生かされました。それだけじゃなく、神様の子として、相続人として、天の座に着く人にないました。


【絵本】
『そのままの君が好き』


皆さん、王様の子どもです。隣の人の顔、見てください。

ただの人じゃないです。王様の子どもです。神様の子どもであり、神様の栄光を受け継ぐものであり、すべての権力を持っている人です。

今はそう見えないけど、でも、やがてそうなります。


だから、クリスチャンを馬鹿にする人は、ケガします。バックが強すぎるし、その人将来の権力者だからです。相続人をバカにすることは、神様ご自身をバカにすることです。

自分をバカにする人は、神様の宝物をバカにすること。


神様の子どもたちは、宝物、宝の民です。

最近、自分のことを「クズだ」とか、「自分のこと嫌い」とか言う人、多いけど、とんでもないスゴい人です。ちょっと言ってみてください。


「私は神様の息子です。」

「私は神様の娘です。」

「私は尊い。私はすべての栄光を持つ尊いものです。」

「私を悪く言うものは、神様が赦しません。」

これ、本当ですよ。

次期社長以上のすごい人です。

イエス様と一緒に、すべての栄光をもつ、この世界の支配者として、ともに王座についているとはっきり書いてある。何箇所も書いてあります。ほんの一例です


クリスチャンは「王である祭司」(1ペテロ2:9)と呼ばれています。

今は苦しみがあるけど、「耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる」(2テモテ2:12)と約束され、

黙示録では、「キリストとともに、千年の間王となった」とあります。(黙示録20:4)


みんな、すごい人です!


【祈り】


神様、わたしは神様の子どもだと信じます。

わたしはイエス様と一緒に栄光の座に着くと信じます。

わたしを攻撃する人は神様が赦さないことを信じます。

この人生を、神様の王子、王女として相応しく訓練し、用いてください。

わたしは栄光の座に着きます。

感謝します。