ヨブ1章-2章10節メッセージ
「それでも主のみ名はほむべきかな」
東栄教会では毎日聖書を読むのに、みことばの光という聖書通読のカレンダーがあるんですが、それをお勧めしています。そして毎週のメッセージもその箇所からするようにしています。
昨日からヨブ記になりました。
毎日読んでる方はすでに読んでこられたと思います。
このカレンダーに沿って毎日聖書を読んで祈る方法、お勧めします。
ぜひまだの方はぜひやってみてください。毎日どこを読むかのカレンダーも差し上げます。
1 神様を信じるのは何のため?
僕らは神様に喜ばれたいし、祝福されたいです。
神様も僕らを祝福したいと願っておられます。僕らが健康でいるように、僕らが必要を満たされるように、僕らの生活が愛と平安で満たされるように願っているのはわかります。
僕らも願っています。神様も願っています。
順調で平安で健康でいることを願っています。
ですが、同時に私たちの人生には試練があります。病気があります。死があります。人間関係が崩れていくことがあります。神様どうしてですか?と言う場面があります。
ヨブ記は僕らに「苦しみが与えられることはある」と教えています。
そして、たとえ悲しいことがあっても、神様は良いお方。神様は賛美され礼拝されるべきお方、と教えています。
今日のポイントは4つです。
1 神様を信じるのは、何のため?
2 すべてを失っても、神様を礼拝できるか?
3 苦しみの中でも、神様を信頼できるか?
4 イエス様に支えられて、主を礼拝する
僕らは時々神様と取引するかのように、「ちゃんとするから、良いことしてくださいよ」って思います。
「神様、こんなに献金したからもっとお金くださいよ、神様祝福してくださいますよね。」
そうやって、ご利益目的で、損得のために神様に従う、良いことをするってことがあります。僕もあるなあ、って思います。
このヨブ記というのは、神様がそんな単純な取引みたいな相手ではない、ということを教えてくれます。
こうすれば神様がよくしてくれるから、単純に考える人っています。みなさんどうですか? 僕はかなりそっち系です。
でも、神様の思いは僕らの思いよりも遥かに高く、大きく、その偉大さは比べることはできません。僕らの行いで神様をコントロールできる方ではないです。
全ての権威は神様にあります。全ての決定権は神様にあります。全ての栄光は神様にあります。僕らの行いによって神様が動くのではありません。僕らがどんな状況であっても神様は良いお方、賛美される方、栄光あるお方、権威あるお方です。僕らの状況が良くても悪くても、です。
その神様の圧倒的な大きさをちゃんと教えてくださるのがヨブ記です。
※ヨブの素晴らしさ、そして祝福について
ヨブがすばらしい人だったこと、そして祝福されていたことを聖書はまず語ります。
"ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。"
ヨブ記 1章1節
ヨブはめちゃくちゃ褒められてます。
具体的には「神を恐れて悪から遠ざかっていた。」って書かれてます。
(2-4節)
"彼に七人の息子と三人の娘が生まれた。
彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを所有していた。この人は東の人々の中で一番の有力者であった。
彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の順番の日に、家で宴会を開き、人を遣わして彼らの三人の姉妹も招き、よく一緒に食べたり飲んだりしていた。
大富豪です。しかも、力があったようです。「東の人々の中で一番の有力者」と書かれています。
しかも、子どもたちも素晴らしかったようです。家族が愛し合って、それぞれ自立してるけど、それでもお互いに招きあって、よく一緒に食事をしている、本当にいい家庭でした。
ヨブは財産も祝福され、家庭も祝福されてました。「それに非常に多くのしもべを所有していた。」ともあります。従業員がたくさんいました。人々の中で一番の有力者ってあるので、財産も従業員の数も一番だったようです。
ヨブの祝福の秘訣があります。
彼は財産が大事だったのではなくて、神様が大事すぎて、神様との関係をすごく大切に、慎重にする人手でした。万が一神様との関係が悪くなっちゃいけないと思って、気がつかないことでもいつも赦しを求めて祈るような人でした。
(5節)
宴会の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別した。朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、それぞれの全焼のささげ物を献げたのである。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。
まずは自分自身の罪、心の中の小さな罪、例えば「ちょっとだけあの人のことを上から見下してさばきました。」とか、「ちょっとだけ妻以外の人に情欲を持ちました」とか、まずは自分の心の内側をいつもきよめてもらっていたのは明らかです。さらに、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」「子どもたちが裏でコッソリやった罪があるかもしれない。」と思って、神様から責められないように子どもたちの分も祈り、ささげものをして赦しを求める人でした。
神様にとってもヨブは喜びでした。
神様はサタンに自慢します。
"主はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」"
ヨブ記 1章8節
まだサタンが何も言ってないのに、「お前、ヨブを知ってるか?あんなにまっすぐな人はいない。」「あんなに神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」と褒めます。
自慢の人です。神様から見て、世界一の信仰者です。
2 全てを失っても礼拝できるか?
ヘブル語で「サタン」っていうのは「告発者」って意味です。神様を信じる人間たちの悪口を神様に言いにきます。
サタンは言います。「ヨブが神様を大事にしてるのは、所詮、ご利益目的ですよ。」
「順調に守ってもらってるからですよ、もし、不幸なことがあったら、財産が取られたり、子どもが死んだりしたら、急に態度変えますよ。神様呪いますよ。」と言います。
(9–11)
サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。
あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。
しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
「こんなに良くして至れり尽くせりなら、誰だって神様のこと大事にしますよ。」「見返り目当てですよ」「神様、試しにヨブの持ってる財産を全部奪ってみてください。そしたら手のひら返して神様を呪い出すから」って言います。
悪魔の言ってること、結構当たってます。
「自分にメリットがあるから神様と付き合ってる」って人は自分にとって都合が悪くなると、急に神様に文句を言って去っていきます。そういう人たくさんいます。
新しく教会に来て、最初のころは喜んでたのに、何かがあると、ちょっと気に入らないことがあると、教会からも神様からも離れる人っていると思います。皆さんの周りはどうですか?
サタンは「ヨブも所詮はそうですよ」って言います。
イエス様も、そういう人がいる、っておっしゃいます。
「種まきのたとえ」です。
人生の中でいろんな問題や試練や誘惑が襲ってきた時に、枯れてしまう人がいる、とおっしゃいます。
(マタイ13:21-22)
しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
サタンが言った文句、リアルな人間の弱さです。不愉快なこととか、困難なことがあると、すぐに枯れてしまうことがあります。
※試練を許可する神様
"主はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。"
ヨブ記 1章12節
ここから、ヨブがご利益目的ではない、ということを明らかにするために神様は試練を許可します。
ヨブが信頼して、ヨブが苦しみの中でも神様を大事にすることを証明するためにこの苦しみを許可しました。
※僕らへの適用
僕らに起こる苦しみもまた、神様の許可の中です。
サタンには、何の制限もなく好き勝手にできる力があるわけではありません。自分のやりたいことを何でもできるわけではないんです。サタンは神様から許可を得なければなりません。サタンは神様に制限されています。
ヨブはこれから財産を失い、家族を失い、健康を失っていきます。それは、神様が特別にヨブを信頼してその苦しみを許可したから、です。苦しみも神様の許可の中です。1日のうちに4つの事件が同時に起こりました。
①牛とロバが強盗に奪われ、従業員たちは皆殺し
14,一人の使者がヨブのところにやって来て言った。「牛が耕し、そのそばでろばが草を食べていると、
15,シェバ人が襲いかかってこれを奪い取り、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私一人だけが逃れて、あなたに知らせに参りました。」
②天から火が降って羊も従業員も焼け死ぬ
16,この者がまだ話している間に、もう一人が来て言った。「神の火が天から下って、羊と若い者たちを焼き滅ぼしました。私一人だけが逃れて、あなたに知らせに参りました。」
③ラクダが強盗に奪われ従業員は皆殺し
17,この者がまだ話している間に、もう一人が来て言った。「カルデア人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い取り、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私一人だけが逃れて、あなたに知らせに参りました。」
④子ども全員が建物倒壊で即死
18,この者がまだ話している間に、もう一人が来て言った。「あなたのご子息やお嬢さんたちは、一番上のお兄さんの家で食べたりぶどう酒を飲んだりしておられました。
19,そこへ荒野の方から大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、皆様亡くなられました。私一人だけが逃れて、あなたに知らせに参りました。」
「たった1日のうち」にです。想像してください。
今日、あなたの口座から預金が全て盗まれました。あなたが大事にしていた仲間たち、従業員たちが皆殺しに殺されました。あなたの子どもたち全員即死しました。
※ヨブの態度
ヨブは激しく嘆きます。悲しすぎて、上着を引き裂きます。頭を剃ります。髪の毛を全部剃り落として、自分に顔をつけて泣き悲しみます。当然です。ヨブは平気な顔をしていたわけではありません。嘆きました。でも、よく読むと「礼拝した」ってあります。
(20節)
このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し、
サタンは「不幸になったら神を呪うはず」って言ってたのに、ヨブは「礼拝した。」
ヨブは顔を地面に擦り付けて、自分の神様を「礼拝し始めた」
礼拝、って言葉には最初から「ひれ伏す」って意味があります。
神様が上で自分が下です、という意味です。
人生で辛いことが起きた時でも、神様は変わらず王であり支配者であり「礼拝すべきお方」です。
ヨブは悲しみながらも神様を礼拝しました。
ご利益があるから礼拝していたのではなかった。財産目当てで神様を大事にしていたのではなかったのです。そしてヨブが次に言った言葉です。
(21-22)
21,そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
22,ヨブはこれらすべてのことにおいても、罪に陥ることなく、神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった。
これは、急に思いついたのでなく、いつもそう思って礼拝してた、ってことです。
子どもが与え、祝福されるたびに「この子は僕のものではなく、神様のものです。神様の子です。預かっているだけです」
財産を増えるたびに「この財産は僕のものではなく、神様のものです。預かっているだけです。」
いつも全ての財産や家族や愛する人たちを自分のものと言わず、神様のものです。所有者は神様のもの、支配権は神様にあります、って告白していたことがわかります。
苦しみにあう時の態度は普段思っていることが出ます。
全てのものは神様のもの。世界は神様のもの。家族も財産も神様がひととき預けてくださったもの。所有者は神様。権威も支配も神様のもの。
ヨブがこの世に生まれた時、何もなかったし裸で生まれてきました。
何も所有物なんて持っていませんでした。今まで手に全てのものは、神様の所有物なんだから、それを与えるのも、回収すのも、神様の自由です。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」です。ヨブは、「自分の人生の主導権は神様のものです、」って告白して礼拝しました。
これはお手本だし、他人事ではないです。
必ず僕らは全てを手放してこの世を去ります。
若い時は少しずつ財産を持ち、家族を持つけど、そのあとは、少しずつ力を失います。若い頃できたことはできなくなっていきます。体力は落ちていきます。
僕らは問われます。祝福を愛しているのか、それとも神様ご自身を愛しているのか。それは与えられたものを失ったときにわかります。
年齢とともに、死んでいく家族や友達が増えていきます。そしていつか自分も死んでいきます。
全てを神様にお返ししていきます。
ヨブは僕らのお手本です。
僕らの家族も財産も神様のものです。そして、それが取り去られる日が来ても、それは神様の主導権の中です。
(22)
ヨブはこれらすべてのことにおいても、罪に陥ることなく、神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった。
4 苦しみの中でも礼拝できるか?
神様にとって、こんな試練の中でも礼拝したヨブは自慢でした。
(2章3節)
3,主はサタンに言われた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」
それでもサタンは挑戦します。
(5節)
しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
「今度はヨブ自身の身体に直接ダメージを与えて激痛を味わわせて 絶対そしたら神様を呪うから」
人間の弱さを突いている。
体調がいい時に神様に感謝したり賛美するのはしやすいですが、気分が落ちてる時、痛い時、最悪の体調の時。に神様を崇めるのは難しいです。体の痛みなら、サタンは「これなら絶対ヨブを潰せる!」って思ったようです。神様は許可しました。
(6-8)
6,主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」
7,サタンは主の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。
8,ヨブは土器のかけらを取り、それでからだを引っかいた。彼は灰の中に座っていた。
悪性の腫物(2:7)
激しいかゆみと痛み(2:8)
顔が本人だとわからないほど変形(2:12)
ひどいうつ状態(3章以降)
骨と皮のよう(19章)
灰の中、とは町のゴミが捨てられ、燃やされる場所です。社会から見捨てられた人たちが、そういうゴミ捨て場のようなところで暮らしていたようです。
かつては町を代表する有力者だったヨブが、今では町の外のゴミ捨て場、灰の山に座っています。
全身がドロドロになる皮膚、そして激痛を伴う皮膚病です。子どもは全員死亡。財産は盗まれ、焼けて全滅です。
※さらに奥さんからの攻撃
これ以上悪くなりようがない状況の中で登場するのが、9節のヨブの奥さんです。
(9)
すると、妻が彼に言った。「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」
世界一の信仰者ヨブです。あんなに素晴らしい家庭を作った母親です。
想像ですけど、奥さんだって全財産を失って、10人の愛する子供たち全員を一瞬で亡くしたばかりです。それだけでももう狂いそうになってるはずです。
今度は世界一だった夫が目の前で夫が生き地獄みたいな激痛に悶えて死にかけてる姿を見せられています。耐えられないと思います。
ダラダラ生殺しで苦しむくらいなら、神様を呪って、神様に殺された方がマシだ、と思ったかもしれないです。サタンは子どもたちを殺した時、奥さんを殺しませんでした。それは、奥さんを生かしておいて、奥さんにひどいことを言わせる方が、ヨブにとっては苦しいとわかっていたからです。
ヨブの妻は、サタンがヨブにさせたかったことと、同じことをヨブに勧めています。
サタンは、ヨブに神様を呪って死んでほしいと思っていました。
そして、ヨブの妻も、「神を呪って死になさい。」と言います。
愛する妻がそう言ってることはヨブとってきついことです。
※ヨブの態度その2
妻を見下したり、否定的な態度で言い返したりもしませんでした。書いてないけど、彼は妻を厳しく叱りつけることもしなかったかな、と想像します。
(10)
10,しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。
神様から『幸い。良いこと』を受け取るんだから、『災い 試練』だって受け入れるべきです。
ヨブは、自分が神様から、受ける資格もないほど多くの祝福を受けてきたことに気づいていました。
新約聖書は一箇所だけこのヨブの態度について説明しています。
ヤコブの手紙5章11節
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます
忍耐とは、そこにとどまる、という意味です。
幸いを受けた時も、災いを受けた時もそこにとどまることです。
神様の許可の中だからです。
※神様が与えるものは良いもの
僕はプレゼント選びが苦手なんだけど、上手な人っています。何が相手にとっていいものか、相手への思いやりと親切心と想像力をフル稼働して選ぶ人。
人間でさえそれだけ考えてプレゼントを選ぶなら、神様が人に何かを与える時それ以上です。
誰でも痛みや悲しみは欲しくないです。でも、神様が許可される時もあります。
その理由の全てはわかりませんが、ヨブは言います。
「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」
「試練だって、受け取るべき神様からの意図があるはずだ」って受け止めた。ヨブはどうしてこんな苦しいのかわからなかったはず。
でも、この苦しみを通して、正しい人に与えられ試練とその忍耐の尊さが明らかになっていきます。
そして、神様ご自身が10節の最後にやっぱりヨブを褒めて描いています。
(10)
ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。
4 イエス様に支えられて、主を礼拝する
僕らはラクに行きたいし、苦しみは受けたくないです。でも、それでも苦しみが与えられる場面はたくさんあります。僕らの希望はイエス様が誰よりも苦しんでくださったお方だ、ということです。
僕らは苦しみを通して僕らはイエス様にならうものとされます。聖書は言います。
1ペテロ1.20-23
善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
21,このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
22ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
イエス様と一緒に苦しむ場面はあります。
人から捨てられ、神様からも一度捨てられたイエス様が僕らと一緒です。そのイエス様に似た人と変えられている途中です。そのためにはどうしても苦しみを通らされます。
忍耐し、勝利されるイエス様の御霊が僕らの中に住んでおられます。
神様は「自分の力で忍耐しなさい」と言われるだけのお方ではありません。
イエス様は、僕らの罪を負って十字架にかかり、苦しんだ方です。
だから、僕らも他人の罪によって苦しめられることがあります。
でも、そのあとで復活して死に打ち勝ってくださいました。そして今、聖霊が弱い僕らを助けてくださいます。
僕らの希望は、自分の忍耐力の強さではありません。苦しみの中でも僕らを見捨てない、主が僕らの中に生きておられ、一緒に忍耐し、一緒に勝利させてくださることです。
それでも僕らは訳が分からず、神様に「どうしてですか」「いつまでですか」ということがあります。僕も何度もありました。
ある時期、苦しい時に神様は何度も僕に言ってくださいました。
哀歌3章27-33節
27,人が、若いときに、くびきを負うのは良い。
28,それを負わされたなら、ひとり静まって座っていよ。
29,口を土のちりにつけよ。もしかすると希望があるかもしれない。
30,自分を打つ者には頬を向け、十分に恥辱を受けよ。
31,主は、いつまでも見放してはおられない。
32,主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。
33,主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。
どんなことが起こっては主は良いお方です。
一生懸命祈っていたのに、病気が治らなかったとか、
家族のために祈っていたのに、関係が回復しなかったとか、「どうしてですか」と思うことがあります。
聖書の中にも、神様に「どうしてですか」と叫ぶ人たちがいます。
でも、それでも主は良いお方であり賛美を受けるお方です。
皆さんが受けている試練はなんでしょうか。
主は良いものを与えてくださいます。そして、試練も与えてくださいます。
神様は祝福を与えてくださいます。財産も家族も良いものを与えてくださいます。でも、それを手放すとき、失う時もあります。
それでも神様は礼拝すべきお方、良いお方、ほめたたえられるべきお方です。
ヨブが言った言葉をもう一度皆さんで読みましょう。
(1章21節)
「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
(2章10節)
「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」