マルコ9.14-29
神様が願っておられるのは僕らが神様を信頼することです。神様の愛と憐れ
み、そしてその力と癒しを信じることです。神様に不可能はありません。悪霊に取り憑かれて苦しむ息子をもつ父親がイエス様に救ってくださるようにお願いしました。でも、その願い方は、もしおできになるのなら、というものでした。イエス様は「できるなら」というのですか?と返します。
つまり、この父親は、イエス様が少年を癒せるかどうかが問題だと考えました。ところがイエス様は反対に、この父親がイエス様の癒しの力を信じているかどうかが問題だとおっしゃいます。これは僕らにも問われています。僕らは「神様って本当に癒してくれるの?」と信仰と不信仰の間で揺れます。そしてイエス様は「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」とおっしゃいます。
(21-24)
21,イエスは父親にお尋ねになった。「この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。」父親は答えた。「幼い時からです。
22,霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」
23,イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
24,するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
父親は自分の不信仰を認めました。そして、イエス様に叫んで助けを求めます。イエス様はその父親の必死の願いを聞いて悪霊を追い出し、息子を癒してくださいました。
(25-27)
25,イエスは、群衆が駆け寄って来るのを見ると、汚れた霊を叱って言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
26,すると霊は叫び声をあげ、その子を激しく引きつけさせて出て行った。するとその子が死んだようになったので、多くの人たちは「この子は死んでしまった」と言った。
27,しかし、イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった。
実はこの前に、この父親は弟子たちに息子から悪霊を追い出してくれるようにお願いしていました。でも、弟子たちにはできませんでした。
(17-18)
17,すると群衆の一人が答えた。「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、あなたのところに連れて来ました。
18,その霊が息子に取りつくと、ところかまわず倒します。息子は泡を吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。それであなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」
あとで、弟子たちはイエス様にそっと質問します。「私たちが霊を追い出せなかったのは、なぜですか。」(28)イエス様は答えます。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。」(29)ほかの箇所を読むと「あなたがたの信仰が薄いからです。」とも言われています。(マタイ17.20)
神様が願っておられるのは僕らが神様を信頼することです。信仰とは信頼です。お祈りすることは信頼して祈ることです。弟子たちが悪霊を追い出そうとした時は祈ってないか、神様に信頼しないで祈ったのかもしれません。癒しの力とか悪霊を追い出す力はイエス様の力です。だのに、自分の力であるかのように、神様を頼らないで悪霊を追い出そうとした可能性は大きいです。
イエス様ご自身が悪霊を追い出してくださいます。今イエス様は天におられます。そして、イエス様の御霊が、私たちのこの体を住まいとしておられます。イエス様が悪霊を追い出し病気を癒してくださいます。そして実際にはイエス様に繋がる一人一人が祈りつつそうすることができます。イエス様の権威によってです。イエス様は、私の名によって祈りなさいと教えられました。イエス様の御名によって、と言う意味は、イエス様の力によってということです。僕らが祈ること、悪霊に立ち向かうことは僕らの力ではありません。私の名前ではありません。イエス・キリストの名前によってです。イエス様が勝利しています。
(1ペテロ 5:9)
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。
基本的に、聖書は悪魔に立ち向かいなさいと言っています。恐れることなく、信仰に立ってです。信仰とは信頼です。
今日もイエス様を信頼しましょう。「もしもおできになるのなら…」ではありません。イエス様に不可能はありません。今日も信仰と不信仰の間で揺れてしまう僕らです。弱さを告白して、信じましょう。信じる者には、どんなことでもできるのです。ハレルヤ!
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