僕らは悪いことが起こると「きっとあのことの罰だ」
(1節)
ウツの地に、その名をヨブという人がいた。
(5節)
朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、
(8節)
主はサタンに言われた。「おまえは、
そのような素晴らしいヨブが神様の許可によって全てを失っていき
(20-21節)
このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、
そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。
ヨブは神様が良いことをしてくれるから賛美しているのではありま
僕らは持ち物とか、人からの評価とか、
僕らは悪いことが起こると「きっとあのことの罰だ」
(1節)
ウツの地に、その名をヨブという人がいた。
(5節)
朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、
(8節)
主はサタンに言われた。「おまえは、
そのような素晴らしいヨブが神様の許可によって全てを失っていき
(20-21節)
このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、
そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。
ヨブは神様が良いことをしてくれるから賛美しているのではありま
僕らは持ち物とか、人からの評価とか、
罪の基本は「神様のようになれる」というものです。(
(4章7-9節)
さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、
エリファズのヨブへの断罪はエスカレートし、
(5.2-4)
苛立ちは愚か者を殺し、ねたみは浅はかな者を死なせる。
私は愚か者が根を張るのを見て、ただちにその住まいを呪った。
その子たちは安全からはほど遠く、門で押しつぶされても、
エリファズは繰り返して「不幸は自然に出たのではなく、
(6)
まことに、不幸はちりから出て来ることはなく、
苦しみ悩むヨブの前で、
(9-11)
神は、測り知れない大いなることをなし、
(12-13)
神は悪賢い者たちの企みを打ち砕かれ、
エリファズの説教や賛美は半分は真実です。ですが、
(17-18)
ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。だから、
本質を知らないままに自分の知恵を振りかざして「神様はこうだ」
(1コリント8.1)
知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。
神様の思いは僕らの考えよりもはるかに高く、
どんなに素晴らしい言葉を語っても、愛がなければむなしく、
(14)
落胆している者には、友からの友情(あわれみ、愛)を。
聖書は、泣く者と共に泣きなさい、
(15-20)
兄弟たちは水無し川のように私を裏切った。
それは氷で黒ずみ、雪で隠される。
炎天のころには、流れがなくなり、
隊商はその道筋からそれ、荒れ地に上って滅びる。
テマの隊商はこれを目印とし、
彼らはこれに頼ったために恥を見、そこまでやって来て、
友人にしかできない役割があります。それはどんな時にも愛し、
(箴言17:17)
友はどんなときにも愛するものだ。
期待していた友人達には本当のことが理解されず、
(9-10)
神が望むままに私を砕き、
それはなおも私にとって慰めであり、容赦ない激痛の中でも、
あわれみのない言葉はうるさいドラのようです。(
(25-27)
真っ直ぐなことばは、なんと痛いことか。
苦しみの時こそ友人が必要です。いい時だけでなく、
信仰生活とは神様との対話です。
(4-5)
私は横になるときに言う。「いつ起き上がれるだろうか」と。
(13-14)
寝台が私を慰め、寝床が嘆きを負ってくれると私が思っても、
あなたは、いくつもの夢で私をおののかせ、
ヨブの苦しみは特別に神様に標的にされているかのようです。
(15)
私のたましいは窒息を、私のからだではなく死を選びます。
どうしてこんな小さな自分を神様はターゲットにするのか、
(12)
私は海でしょうか、それとも竜でしょうか。
ヨブの苦しみは神様にとって何もメリットはありません。
(19-20)
いつまで私から目をそらしてくださらないのですか。
私が罪ある者だとしても、人を見張るあなたに、
これらの怒りや嘆きを神様はすベて聞いてくださり、
(詩篇 62:8)
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御
神様がなさることは、僕たちの思いをはるかに超えたものです。
「天が地よりも高いように、わたしの道は、
キリスト教の先輩達は聖書の教えを分類し、整理し、
ヨブの友達のビルダデは自分なりの神学を持っていました。
(4-7)
もし、あなたの子らが神の前に罪ある者となり、
さらにビルダデは自分の教えが正しいことを示すため、
(8)
さあ、先人に尋ねよ。先祖たちの探究したことを確かめよ。
(11-13)
パピルスは沼地がなくても育つだろうか。
確かに、聖書はそのように教えている面もあります。 しかし、神様のなさることはもっと深く高いものでした。
神様を自分の理解の中に押し込めて上から説教をしていた彼らに神
ヨブの友人ツォファルは、「あなたの不幸はあなたの悪のせいだ」
(13-19)
もし、あなたが心を定め、神に向かって手を伸べ広げるなら、
もし、手に不法があればそれを遠ざけ、
(ヨブ42:12-17)
主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。
ツォファルは 「お前にはムリ」と攻撃するかのように話すのですが、「
(5-6)
しかし、神が語りかけ、
神は知恵の奥義をあなたに告げ、
ツォファルの主張は僕らに適用できます。
僕らは小さすぎるし、
(7-9)
あなたは神の深さを見極められるだろうか。
高すぎて知ることができない圧倒的な神様が僕らを愛し、
(ローマ 8:18)
今の時のいろいろの苦しみは、
イエス様を信じる人には栄光が待っています。
こうすればうまくいく、とか、こうすればこうなる、
(4)
私は、自分の友の笑いものとなっている。神を呼び求め、
(6)
荒らす者の天幕には安らぎがあり、神を怒らせる者は安らかだ。
神様は、 「こうだからこうなる」という法則には入らない方です。
(13-16)
知恵と力は神とともにあり、思慮と英知も神のものだ。見よ。
人間誰もが信頼していた知恵や力が神様によって取り去られること
(17-22)
神は助言者たちを裸足にして連れ去り、さばく者たちを愚弄し、
本物の知恵とは「こうすればこうなる」というものではなく、
僕らが取るべき態度は、簡単に「こうすればうまくいく」
(23-25)
神は国々を栄えさせ、また滅ぼす。国々を広げ、また取り去る。
ヨブの友人たちは、ヨブの苦しみは 罪の結果だと説教し責め続けました。ところが、
(4-5)
しかし、あなたがたは偽りを塗る者、みな無用の医者だ。
ああ、あなたがたが沈黙を守っていたら、
ヨブから見ると、
(8-11)
あなたがたは、神の顔を立てるつもりか。神のためにと、
神様のことを伝えたり教えたりするのは大事だし、
ヨブは神様に正直にお願いします。
(20-24)
ただ二つのことを、私になさらないでください。そうすれば、
友人も兄弟も大事です。でも、頼るべき相手は神様、
年上の先輩たちは、 口々に「人生は短い」「あっという間に歳をとる」 と言います。 確かに僕らはどんなに栄えたとしても消えていく存在です。
(1-2)
女から生まれた人間は、その齢が短く、
花のように咲き出てはしおれ、影のように逃げ去り、
ヨブの言う通り、
(4)
きよい物を汚れた物から取り出せたらよいのに。しかし、
ヨブは「だれ一人できません」と言いますが、
(7-10)
木には望みがある。たとえ切られても、
しかし、人は死ぬと倒れたきりだ。人間は息絶えると、
ヨブは神の怒りから完全に守ってくれる場所を願い、そして、
(13-14)
ああ、あなたが私をよみに隠し、
神様は僕らに復活の希望を教えています。
(1コリント15:37)
あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、
(1コリント15:42-44)
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、
夜が言うように、地上の人生は儚く短いものです。でも、 僕らは復活します。罪のない完全な体に変えられます。だから、「
」と言います。(ヨハネ6.27)
どんなに儚く短く、苦しい人生だったとしても希望はあります。
本当に僕らの全てを理解し肯定してくれる人は人間の中にはいませ
(16章19-21)
今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。
私の友は私を嘲る者たち。しかし、
その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。
ヨブはひたすら理解されず、苦しみの中死に向かっていきます。
(17章1-3節)
私の霊は乱れ、私の日は尽き、私には墓場があるだけです。
実に、嘲る者たちが私とともにいます。
ヨブは何も悪いことしていないのに、笑いものとされ、 唾をかけられるものとなりました。その姿はまるでイエス様です。
(6-7)
神は私を人々の笑いものとされ、私は顔に唾される者となった。
私の目は苦悶でかすみ、私のからだはどこも影のようだ。
イエス様が人として生まれたのは、
(へブル人への手紙4章15節)
私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、
イエス様は私たちの弱さを理解するために、
上から見ているだけでなく、
イエス様は僕らの苦しみを知った上で今日も僕らのために祈り、
(ローマ8:33-34)
神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
人から傷つけられても、攻撃されても、
ヨブのビルダデは、ヨブの苦しみは彼の罪の結果だと責め続け、
(2)
いつになったら、あなたがたはその話にけりをつけるのか。
確かに神様に従う人が祝福され、
(申命 28:15)
もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、
(申命 28:20-21)
主は、あなたのなすすべての手のわざに、
これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。主は、
神様は罪人を滅ぼし尽くすのは事実です。
(5-7)
まことに、悪しき者の光は消え、その火の炎も輝くことはない。
彼の天幕の内では光が暗くなり、彼を照らすともしびも消える。
彼の力強い歩幅は狭められ、自らのはかりごとが彼を打ち倒す。
(8-12)
彼は自分の足で網にかかり、その網目の上を歩き回る。
ビルダデはヨブを責め続けたことは、
(ヨハネ9:2-3)
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。
神様は僕らが思うよりももっと大きな、高いご計画があります。
今日も僕らが高ぶって他人を見下すことがありませんように。
(ルカ18.14)
だれでも自分を高くする者は低くされ、
友人たちはヨブを責め続けます。 しかしヨブはどんなに攻撃されても天には自分の無罪を保証して下
(16:19)今でも、天には私の証人がおられます。
この方はイエス様です。ヨブだけでなく、僕らの保証人です。
(ローマ8:33-34)
神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
ヨブは19章でも同じように確信しています。自分を「
(25)
私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、
「贖う」
(13-19)
神は私の兄弟たちを私から遠ざけ、
彼はお金も家族も立場も失いました。それでも希望があります。
ヨブは必ず全てを取り戻します。イエス様によってです。
イエス様は全てを回復させてくださいます。
(27)
この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。
ヨブは贖われます。無罪とされ、祝福を回復します。
下さる神様です。
(28-29)
あなたがたが、「彼をどのように追いつめようか。
人を罪に定めるのは唯一、イエス様だけがなさいます。
どんなにこの世で繁栄しても、 僕らの人生は終わります。 どんなに美しい花でもしおれて枯れるのと同じです。「
(1ペテロ1:24)だから聖書は、
ヨブの友人ツォファルはヨブにこの世の喜びも楽しみも消えて行く
(5-9)
悪しき者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみは束の間だ。
たとえ、その者の高ぶりが天にまで上り、
ヨブが苦しんでいるのは、 どうして正しい人が苦しむのかということです。友人ツォファルは
(19章21-22)
あなたがた、私の友よ。あわれんでくれ。私をあわれんでくれ。
僕らも、 聖書を勉強して、 正しい答えをわかったつもりで 相手に当てはめ裁きがちです。しかしイエス様は真逆です。
神様はあわれみ豊かなお方です。
(ヤコブ2:13)
あわれみを示したことのない者に対するさばきは、
高ぶって他人を裁くための聖書の知識ではなく、
神様のご計画やタイミングは僕らの考えるものとは違います。
ヨブは神様と会いたい、神様と話し合いたいと切望します。 神様は心を止めてくださるはずだとも信じています。 しかし、神様はすぐには現れて下さらず、
(2-6)
今日もまた、私の嘆きは激しく、
ああ、できるなら、どこで神に会えるかを知って、
私は神の御前に自分の言い分を並べて、
神が私に答えることばを知り、
神は強い力で私と争われるだろうか。いや、
聖書に登場する信仰の先輩たちはみんな苦しみの期間を通され、
(8-9)
だが見よ。私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、
左に向かって行っても、神を見ることはなく、
なんと、完全なイエス様でさえも、です。
神様のご計画やタイミングは僕らの考えるものとは違います。