2022年12月22日木曜日

ヨブ20章

 どんなにこの世で繁栄しても、 僕らの人生は終わります。 どんなに美しい花でもしおれて枯れるのと同じです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。」とある通りです

(1ペテロ1:24)だから聖書は、この世の虚しい繁栄や成功ではなく永遠の神さまを求めるようにと教えます。 イエス様を信じる人は死んでも生きます。その祝福は永遠に続きます。


ヨブの友人ツォファルはヨブにこの世の喜びも楽しみも消えて行くという正しいことを教えます。それは真理なのですが、「お前が悪い人間だから滅んで行くのだ」というとろこに間違いがありました。


(5-9)

悪しき者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみは束の間だ。

たとえ、その者の高ぶりが天にまで上り、その頭が濃い雲にまで達しても、彼は自分の糞のようにすっかり滅び去る。かつて彼を見た者は「彼はどこにいるか」と言う。彼は夢のように飛び去り、だれにも見つからない。彼は夜の幻のように追い払われる。彼を見慣れていた目は、再び彼を見ることがなく、彼の家も、もはや彼を見ない。


ヨブが苦しんでいるのは、 どうして正しい人が苦しむのかということです友人ツォファルはヨブの一番の悩みには全く心を留めず、ただ、自分が知っている真理を振りかざし、苦しむ ヨブに適用し、お前は糞のように滅びる、と言い切ります。ヨブがこの時何より求めていたのは、友人としての憐れみでした。


(19章21-22)

あなたがた、私の友よ。あわれんでくれ。私をあわれんでくれ。神の御手が私を打ったからだ。なぜ、神のように私を追いつめるのか。



 僕らも、 聖書を勉強して、 正しい答えをわかったつもりで 相手に当てはめ裁きがちです。しかしイエス様は真逆です罪人をあわれみ、愛し、一緒に苦しんでくださる方です

神様はあわれみ豊かなお方ですそして神様が僕らに求めておられることも憐れみです


ヤコブ2:13)

あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです


高ぶって他人を裁くための聖書の知識ではなく、神様の憐れみを知り、隣人を憐れみ愛する人となって行くためでありますように。「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1コリント8.1)

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