ラベル 1歴代 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 1歴代 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年12月28日水曜日

1歴代誌1.29-54

 聖書を読むとイスラエルを神様が選んでいるのは明らかです。「があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれた」と表現します。(申命記7.7)イスラエルとは、先祖アブラハム、その息子のイサク、イサクの息子のヤコブとその子孫のことです彼らを選んで契約を結び、特別な祝福を与えておられます。ところが、アブラハムにはイサクの他にも(選ばれなかった)子どもがいます。女奴隷ハガルの子どもイシュマエルですアブラハムはイシュマエルのことも祝福を祈っています。聖書は選ばれなかった子どもたち関するアブラハムの祈りを聞き入れ、イシュマエルの子孫も祝福してくださいました。


(創世記17.20)

イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たち を生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。


1歴代誌1章の系図はイシュマエルの子どもたちも丁寧に記しています。


(1歴代誌 1:28-31)

アブラハムの子は、イサク、イシュマエル。これは彼らの歴史である。イシュマエルの長子はネバヨテ。ケダル、アデベエル、ミブサム、ミシュマ、ドマ、マサ、ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマ。これがイシュマエルの子孫である。


また、さらにアブラハムには側女ケトラの子どもたちもいました。


(1歴代誌 1:32-33)

アブラハムのそばめケトラの息子たち。彼女は、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。ヨクシャンの子は、シェバ、デダン。ミデヤンの子は、エファ、エフェル、エノク、アビダ、エルダア。これらはみな、ケトラの子孫である。


また、祝福を受けることができなかったヤコブの兄弟エサウの系図も書かれています。


(1歴代誌 1:35-37)

エサウの子は、エリファズ、レウエル、エウシュ、ヤラムとコラ、エリファズの子は、テマン、オマル、ツェフィとガタム、ケナズ、ティムナ、アマレク。レウエルの子は、ナハテ、ゼラフ、シャマとミザ。


イスラエルの系図として選ばれなかった彼らが神様に愛されなかった、とは言えません。聖書は「どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」(使徒10.35)また、天ではあらゆる国の人たちが召されています。(黙示録7.9)

1歴代誌の系図にはやがてイスラエルと敵対するエドムの王たちの系図、そして首長たちさえ書かれています。(43-54)イエス様は言われました。


(マタイ 5:44-45)

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです


僕らのまわりにも神様を知らない多くの人が、神様と敵対するような多くの人たちがいます。それでも神様は彼らを愛し雨を降らせ太陽を与え恵みを与えてくださっています。今日も全ての人たちが神様の恵みと愛の中にいます。僕らから見ると敵であっても、神様は彼らを愛し、良いものを与えようと願っておられるようです僕らがイエス様と同じ心に変えられ、敵を愛する人に変えられますように。

1歴代2.1-20

 神様は全人類の中からイスラエル(ヤコブ)を選び、イスラエルの12人の子どもの中からユダを選び、その子孫の中からダビデが生まれ、その子孫としてキリストがお生まれになります。…ですが、その系図の人たちは偉かったのでも、聖かったのでもありません。聖書はわざわざ彼らの罪がわかるような系図を書いています。


(1-4)

イスラエルの子は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ダン、ヨセフ、ベニヤミン、ナフタリ、ガド、アシェル。ユダの子はエル、オナン、シェラ。この三人は、カナンの女シュアの娘から彼に生まれた。しかし、長子エルは主の目に悪しき者であったので、主が彼を殺された。ユダの嫁タマルは彼にペレツとゼラフを産んだ。ユダの子は全部で五人。


ユダの長男エルは神様に殺されています。理由は「主の目に悪しき者であったので」です。(3)「ユダの長子エルは主を怒らせていたので、主は彼を殺した。」とも書かれています。(創世記38.7)どのように悪かったか書かれていませんが、神様に殺されるような息子でした。長男が子孫を残さずに死んでしまった場合、次男が兄嫁と寝て死んだ兄の子孫を絶やさないようにする、という教えがあります。(申命記25.6)ところが次男のオナンもまた神様を怒らせて神様に殺されます。


(創世記38.9-10)

(オナンは)兄に子孫を与えないために、兄嫁のところにはいると、地に流していた。彼のしたことは主を怒らせたので、主は彼をも殺した。


ユダの長男も次男も罪によって神様に殺されてしまいました。さらに、彼らの父ユダはある時売春婦のところに行きます。その売春婦はなんと死んだ長男の嫁タマルでした。ユダは気が付かずに嫁タマルと寝て彼女は妊娠します。(創世記38.12-18)聖書はそのような性的な罪がわかるように「ユダの嫁タマルは彼にペレツとゼラフを産んだ。」と書いています。(4)そのようなだらけの人々の子孫の中にダビデが生まれます。


5-15

ペレツの子は、ヘツロン、ハムル(…中略…)ヘツロンの子として生まれた者は、エラフメエル、ラム、カレブ。ラムはアミナダブを生み、アミナダブはユダ族の首長ナフションを生み、ナフションはサルマを生み、サルマはボアズを生み、ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。エッサイは、(…中略…)七男ダビデを生んだ。


このダビデの子孫としてイエス様はこの地上に生まれてくださいます。

イエス様は罪だらけの子孫の中に、恥ずかしい失敗だらけの家系の中に生まれてくださいました。罪を犯す人たちを上から目線でさばくことはせず、むしろ同じ罪人の一人かのように、「神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」(ピリピ2.6)


先輩方の失敗が透けて見える恥ずかしい系図は僕らの現実ですそしてその中に来てくださったイエス様は神様の恵みと愛と憐れみです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3.16)神様が愛した世とは傷だらけ、恥だらけの世です。神様はそんな世を愛しておられます。今日も見放してはいません。

1歴代誌2.21-41

 イスラエルの系図を見ると、子どもたちが増えること=神様に祝福されていること、のように見えますが、今日の箇所には子どもがないまま死んだ人たちも登場します。


30

ナダブの子はセレデとアパイムで、セレデは子がないままで死んだ。


32

シャンマイの兄弟ヤダの子はエテルとヨナタンで、エテルは子がないままで死んだ。


だからと言って彼らが祝福されていないとか、愛されていない、ということはありません。子どもが生まれなかったエルカナは妻ハンナに愛され「あなたにとって、私は十人の息子以上の者」と言われています。(1サムエル1.8)大事なことは子どもが多いかどうかでなく、その存在が大切にされ互いに愛し合っているかどうかですそもそも、子どもが生まれるかどうかは神様がお決めになることです

また、イスラエル人たちは基本的には外国人と結婚しません。が、信頼できる外国人と結婚させてイスラエルの子孫が生まれていった例も書かれています。


(34-35)

シェシャンには息子がなく、娘だけであった。シェシャンにはエジプト人のしもべがいて、その名はヤルハといった。

シェシャンは彼の娘をそのしもべヤルハに妻として与えたので、彼女はアタイを産んだ。


たった一人の大事な娘の結婚相手に選ばれたのはその家のしもべであったエジプト人でした。彼はお父さんに信頼されていたことがわかります。また、彼との結婚で生まれた子孫たちはイスラエルの系図の中に書かれていることから、彼もまたイスラエルの神様を信じ、割礼を受けて信仰を表明していたと考えられます。


(使徒 10:34-35)

神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです


子どものいる人もいない人も、ユダヤ人であってもエジプト人であっても、もちろん日本人も、その差はありません。イエス様によってそれはハッキリしました。大事なことはイエス様を信じ神様に受け入れられ愛されていることです僕らはイエス様を信じ受け入れバプテスマを受けることではっきりと神様の子どもとされ、イスラエルに約束された祝福を受けるようになりました。僕らは人種や子どもがいるかどうかを見ますが、神様は僕らがイエス様を信じていることを見てくださり喜び祝福してくださいます。ハレルヤ!


(ガラテヤ 3:28-29

ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからですもしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです

1歴代3章

 ダビデは神様から「彼はわたしの心にかなった者」と言われています。(使徒13.22)ところが、ダビデから生まれた子どもたちの系図を読むと、いちいち母親が違います。ヘブロンにいた7年半だけでも妻が6人、そして息子が6人いたことがわかります。彼の家族は決して幸せではありませんでした。そのリストを見るだけで残念な息子たちだったことを思い出させます。


(1-4)

ヘブロンで生まれたダビデの子は次のとおりである。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人アビガイルによるダニエル。

三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブサロム。四男はハギテの子アドニヤ。

五男はアビタルによるシェファテヤ。六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。

六人の子がヘブロンで生まれた。ダビデはそこで七年六か月王であり、エルサレムで三十三年間王であった。


長男アムノン(1)は自分の姉妹であるタマル(9)をダマして強姦しました。(2サムエル13章)この悪事をアムノンに入れ知恵したのはエルサレムに移ってからのダビデの子どもシャムア(5)の息子のヨナダブですエルサレムに移ってから多くの妻の名前は書かれていません。そして「ほかに側女たちの子もあり」(9節)と書いてあります。妻や子どもが増えるほどに罪も増え、家族が彼の幸せとはなりませんでした。


(5-9)

エルサレムで彼に生まれた者は次のとおりである。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン。この四人はアンミエルの娘バテ・シュアによる子である。またイブハル、エリシャマ、エリフェレテ、ノガハ、ネフェグ、ヤフィア、エリシャマ、エルヤダ、エリフェレテの九人。みなダビデの子であるが、ほかに側女たちの子もあり、タマルは彼らの姉妹であった。


三男アブサロム(2)はタマルが犯されたことで恨み、長男アムノンを殺します。さらにアブサロムはクーデターを起こし、自分が王だと宣言し父ダビデさえも殺そうとします。(2サムエル16-17章)結アブサロムは殺されます。四男のアドニヤ(2)は父ダビデが生きているうちから私が王になろう。」と言った息子です。(1列王1.5)しかし、王位はソロモンに与えられ、アドニヤは殺されます。(1列王2.25)国中、誰もがソロモンが王となることは期待していませんでした。(1列王2.15)だのに、神様はソロモンに王位を与えますが、ソロモン以降、王位を継いでいった子どもたちにも罪を犯す者たちがいました。カッコの中は解説です


(10-16)

ソロモンの子はレハブアム。その子はアビヤ(主により頼んだ)、その子はアサ(異教の偶像を打ち壊した)、その子はヨシャファテ(主により頼んだ)、

その子はヨラム(嫁が偶像礼拝者で彼も神様の前に悪を行った)、その子はアハズヤ(神様の目に悪を行った)、その子はヨアシュ(祭司エホヤダが生きている時だけ主に従った)、

その子はアマツヤ(主に従ったが完全ではなかった)、その子はアザルヤ、その子はヨタム(主の目にかなった)、

その子はアハズ(偶像礼拝をさせた)、その子はヒゼキヤ(主に立ち返った)、その子はマナセ(偶像礼拝をさせた)、

その子はアモン(偶像礼拝をさせた)、その子はヨシヤ(主に立ち返った)。

ヨシヤの子は、長子ヨハナン、次男エホヤキム、三男ゼデキヤ、四男シャルム。

エホヤキムの子孫は、その子エコンヤ、その子ゼデキヤ。


こんなに弱く汚れた系図の中に、ダビデの子孫としてイエス様がお生まれになります。人間の弱さ、醜さを超えて神様のご計画は必ず実現していくことがわかります。僕の家族にも、僕ら自身にもがっかりする罪や弱さがたくさんあります。それでも、神様の偉大なご計画は僕らの失敗だらけの人生さえ用いられて実現します。神様の偉大なご計画は僕らの弱点には関係ないようです弱い者が用いられ、強いものが退けられます。全ては神様のご栄光と恵みによります。神様のご計画や力は僕らの弱さによって妨害されるようなちっぽけなものではありません。信頼しましょう。神様のご計画ははるかに上を行っています。ハレルヤ!

1歴代誌5.18-22

 聖書はシンプルです「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7.7)「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15.7)子どものように神様に求め、助けてもらい、子どものように神様の守りを信じることを神様は願っておられます。もちろん努力したり準備したりすることも大切です。が、準備も神様から与えられるものですイスラエルのルベン族の子孫たちは戦いの訓練をし、神様に叫び求めつつ敵と戦いました。神様に信頼して戦うときに神様は願いを聞いてくださいます。


(18-20)

ルベンの子孫、ガド人、マナセの半部族で、盾と剣を取り、弓を引き、戦いの訓練を受けた勇者たちのうち、従軍する者は四万四千七百六十人であった。彼らはハガル人、およびエトル、ナフィシュ、ノダブと戦いを交えたが、助けを得てこれらに当たったので、ハガル人およびこれとともにいた者はみな彼らの手に渡された。それは、彼らがその戦いのときに神に叫び求めたからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた。


この戦いは神様から与えられた機会でした。彼らは本気の祈りと助けを体験します。


(21-22)

彼らはこの人々の家畜、らくだ五万頭、羊二十五万匹、ろば二千頭、また十万人の人を奪い去った。この戦いは神から出ていたため、多くの者が刺されて倒れたからである。


僕らも苦しい時、危険な時、敵にやられそうな時は神様を叫び求める機会です苦しみこそ神様との本気の交わりが与えられ、神様の力を体験する時です。神様は祈りに答えてくださいます。


2コリント1:4

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。


2コリント1:6

もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです


今日も神様に求めましょう。人に言うよりも神様に訴えた方が確実です人はアテにならなくても、神様は信頼できます。ハレルヤ!

1歴代6.31-33

 賛美はただの歌や音楽ではなく、僕らが神様に最も喜ばれるささげものです礼拝の中心は賛美です。(説教の前座ではありません!!)賛美は天で大軍勢がささげている捧げているものです僕らの地上での賛美は天の賛美が同じ御霊によって地上で現れているものです。地上で賛美することは天の礼拝に参加することです賛美の本場は天にあります。旧約時代にあった会見の天幕も、エルサレムの神殿も「天にあるものの写しと影」でした。(ヘブル8.5)神さまは賛美をする専門家を任命し、毎日賛美するようにさせました。それはまさに天の栄光のほんの少しを地上で表すものでした。


1歴代誌6:31-33

契約の箱が安置所に納められた後、ダビデが主の宮の歌を受け持たせるために立てた人たちは、次のとおりである。ソロモンがエルサレムに主の宮を建てるまでは、この者たちが会見の天幕である幕屋の前で、歌をもって仕え、それぞれ定めにしたがって奉仕を受け持った。奉仕をした者たちとその一族は次のとおりである。ケハテ族からはヨエルの子、歌い手ヘマン。


39

ヘマンの兄弟アサフは、彼の右側に立って仕えた。


彼らの役目は「イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにする」ことです。(1歴代16.4)彼らの賛美は毎日、常に賛美することでした。(1歴代誌16:37)また、彼らは「立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者」でした。歌は神様のことを預言し宣言するものです。(1歴代25.1)会見の天幕からも、そして神殿からもいつも賑やかな歌が聞こえてきました。しかも止むことなく「シンバル、十弦の琴、立琴を手に、主の宮で歌を歌って、」とあります。(1歴代25.6)リズムを刻むシンバルやタンバリンと一緒に歌っていたことがわかります。それが神様に喜ばれる最高の捧げ物であり、天の賛美の現れでした。


演奏や歌の上手さよりも、主の恵みやその栄光の大きさを語り歌うのが彼らの仕事です。「彼らはみな達人であった。」の意味は理解を伴っている、そして聴く人たちに理解を与えるという意味です。(1歴代25.7)賛美はただの歌や音楽ではなく、僕らが神様に最も喜ばれるささげものです。賛美しましょう。天の現れです!ハレルヤ!

1歴代誌6.54-81

 神様がイスラエルに「乳の蜜の流れる地」をお与えになった時に、レビ人だけは土地が与えられませんでした。各部族がそれぞれ自分たちの土地からレビ人への居住地を与えるように言われています。


(民数記35.1-8)

「イスラエルの子らに命じ、その所有となる相続地のうちから、居住のための町々をレビ人に与えよ。また、その町々の周りの放牧地はレビ人に与えなければならない。その町々は彼らが住むためのものであり、その放牧地は彼らの家畜、群れ、そしてすべての動物のためのものである。(…中略…)あなたがたがイスラエルの子らの所有地のうちから与える町々は、大きい部族からは多く、小さい部族からは少なくしなければならない。それぞれ自分が受け継いだ相続地の大きさに応じて、自分の町々の一部をレビ人に与えなければならない。」


レビ人の中でも特にアロンの子孫は祭司です神様は特にレビ人と祭司をなえしろにしないように言われています


(申命記12:19) 

あなたは一生、あなたの地で、レビ人をないがしろにしないように気をつけなさい。


神様が言われた通りに、イスラエルの全国各地に祭司の居住区が少しずつ与えられました。


54-60

彼らの居住地は、地域内の宿営ごとに言えば次のとおりである。ケハテ人の氏族に属するアロンの子らについては、彼らがくじに当たったので、彼らには、ユダの地にあるヘブロンと、その周りの放牧地が与えられた。ただし、この町の畑とその村々は、エフンネの子カレブに与えられた。アロンの子らには、逃れの町であるヘブロン、リブナとその放牧地、ヤティル、エシュテモアとその放牧地、ヒレズとその放牧地、デビルとその放牧地、アシャンとその放牧地、ベテ・シェメシュとその放牧地、またベニヤミン部族から、ゲバとその放牧地、アレメテとその放牧地、アナトテとその放牧地が与えられた。彼らの町は全部で十三あり、各氏族の町になった。


こうして、全国に祭司の町があるようになり、国中どこに言っても神様の言葉を伝える祭司がいるようんなりました。彼らの生活は保証されていました。彼らが大切にされ、彼らがきちんと生活できるようにするのはイスラエル全体の責任でした。


このことから2つのことが教えられます。

①僕らはそれぞれの場所に置かれた祭司です

②専門的に神様に仕える働き人の生活を支える必要があります。


①僕らはそれぞれの場所に置かれた祭司です


イエス様が十字架で処刑された時に、神殿の幕は避け、誰でもイエス様を通して神様の臨在の前に出ることができるようになりました。今はこの時代のような祭司はいません。信じる人には誰にでも神様の御霊が与えられ、とりなしの祈りをし、聖書を理解し教えることができるようになりました。クリスチャン全員が祭司だと聖書は言います。


(1ペテロ2.5)

聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい


僕らは祭司としてそれぞれの土地に住んでいます。その場所で人々の罪の赦しを祈り、神様に喜ばれる賛美をし、みことばを伝え教える役目が与えられています。クリスチャンはその職場の祭司、その学校の祭司、その家庭の祭司として、神様と人との仲介者としてその場所に置かれています。


②専門的に神様に仕える働き人の生活を支える必要があります。


今も専門的に主に仕え、主のみことばを教える役目が与えられている人がいます。彼らをなえがしろにせず、その生活を全員で支えるように聖書は教えます。


1テモテ 5:17

よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬(報酬)を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです


(1コリント 9:13-14)

あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。


祭司は彼らのために祈る人です。僕らは全員が祭司です

また、今も専門的に主に仕える働き人がいます。彼らの生活を支えるのも僕らの役目です神様は僕らを通してみこころが地上で行われるようにされます。僕らを通して御心は実現します。


働き人を支えましょう。そして僕らも祭司として自分を捧げましょう。神様のご計画は僕らを通して実現します。ハレルヤ!


1歴代誌7.1-20

 「勇士」とは勇気があり強い人のことです聖書は勇士について「みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たち」と表現します。(詩篇103.20)イスラエルの系図には「勇士たち」の数が書かれていますが、彼らの強さは人間的なものではなく、神様を信頼し、神様から力を与えられているゆえのものです


(1-2)

イッサカル族の者は、トラ、プア、ヤシュブ、シムロンの四人。

トラの子は、ウジ、レファヤ、エリエル、ヤフマイ、イブサム、シェムエル。これらは彼らの父トラ一族のかしらたちで、その家系の勇士たちであった。その数はダビデの時代には二万二千六百人であった。


勇気と強さは神様のみことばを聞き、信頼し、従う結果です神様は何度も彼らに言われました。


(申命 31:6 

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。


(5)

イッサカル全氏族の同胞で、系図に記載された勇士は全部で八万七千人であった。


この後も「彼らは一族のかしらであり、勇士であった。」(7)「勇士である者の数は、二万二百人であった。」(9)「彼らは一族のかしらで勇士であり、一万七千二百人が従軍して戦いに出る者であった。」(11)と勇士の数が記録されています。これは彼らの神様のみことばへの信頼を表しています。


イスラエルを励まし、イスラエルと一緒にいてくださった神様は僕らとも一緒にいてくださいます。僕らも勇士です。自分に信頼せず、神様が一緒にいてくださり、必ず悪に勝利させてくださることを信じる人こそ勇士です神様は軍事力を喜ぶ神様ではなく、神様のを信頼する人を喜んでくださいます。


(詩篇 147:10-11) 

神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。


僕らも勇士です。神様には無限の力がああり、その神様が僕らと今日も一緒にいてくださいます。今日も信頼しましょう。自分は弱くても一緒にいてくださる方が無敵です僕らは勇気を失いません。今日も一緒にいて愛してくださる主は勝利者です。ハレルヤ!


(ヨシュア1.9)

強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」


1歴代誌7.20-29

 歴代誌に書かれた系図中に、突然悲しい話が出てきます。エフライムの子孫の中の2人が他人の家畜を奪おうとして殺された、と言う話です。ずっと名前だけが続いていたのに、これだけは伝えたい、と言わんばかりのエピソードです


20-22)

エフライムの子はシュテラフ。その子はベレデ、その子はタハテ、その子はエルアダ、その子はタハテ、その子はザバデ、その子はシュテラフ。そして、エゼルとエルアデ。二人はこの地の生まれであるガテの人々に殺された。下って行って家畜を奪おうとしたからである。彼らの父エフライムは、何日もの間喪に服したので、彼の兄弟たちが来て彼を慰めた。


親にとって子どもや孫が先に死ぬことは悲しみです。しかも、死因は彼らが泥棒をしようとして殺されたことですエフライムの子孫は祝福が約束されていした。(創世記42.22-)だのに、彼の家系には盗人が起こり、しかも殺されました。エフライムは何日も悲しみ、そんな彼を兄弟たちが慰めます。


22-23)

彼らの父エフライムは、何日もの間喪に服したので、彼の兄弟たちが来て彼を慰めた。それからエフライムは妻のところに入った。彼女は身ごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいの渦中にあったからである。


悲しいことは起こりますが、それでも慰めがあり助けはありまた、神様のご計画は進みます。兄弟たちは子孫を失ったエフライムを慰め、そしてさらに子孫は与えられ増えていきます。


(24-28)

エフライムの娘はシェエラであった。彼女は上および下ベテ・ホロン、そしてウゼン・シェエラを建てた。

彼の子はレファフ。その子はレシェフ、その子はテラフ、その子はタハン、

その子はラダン、その子はアミフデ、その子はエリシャマ、

その子はヌン、その子はヨシュア。

彼らの所有地と居住地は、ベテルとそれに属する村々、東方ではナアラン、西方ではゲゼルとそれに属する村々、それからシェケムとそれに属する村々、そしてアヤとそれに属する村々に至る。


僕らの人生にも同じように罪があり、罪のせいで起こる悲しみがあり、僕らはそのおかげで何日も倒れ絶望してしまうこともあります。それでも神様のご計画は止まることがありません。罪があり死がありますが、神様が僕らの罪によってご計画が崩れてしまうことはありません。


聖書はわざわざ系図の中に罪と死についてのエピソードを書いています。同じように僕らの人生にもつまづきがあり、悲しみがあり、死があります。それらは全て罪が原因です。「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6.23)

それでも神様のご計画は必ず実現します。罪がある人間を用いて神様のご計画は進みます。人の立派さとか行の良さに関係なく、100パーセントです僕らの罪は神様のご計画を止めることはできません。「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5.20)

今日も悲しいことが起こります。それでも神様の愛と恵みのご計画は終わっていません。信頼しましょう。大丈夫です。ハレルヤ!


(ローマ 8:28

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

1歴代11.1-19

 神様のご計画はどんなに遠回りに見えても必ず実現します。ダビデが王様に選ばれたのはまだ少年だった時です神様は預言者サムエルにダビデを王様にすると示されました。


1サムエル16:12-13)

その子(ダビデ)は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」

サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。


それから何年も経って、神様のことばのとおりにダビデは王様になり油を注がれます。聖書は「サムエルによる主のことばの通り」と繰り返しています。


2-3)

あなたの神、主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがわたしの民イスラエルの君主となる』と。」

イスラエルの全長老はヘブロンの王のもとに来た。ダビデはヘブロンで、主の御前に彼らと契約を結び、彼らはサムエルによる主のことばのとおりに、ダビデに油を注いでイスラエルの王とした。


また、聖書は勇士たちが命をかけてダビデに仕え勝利したことが書かれています。彼らが命がけで戦った理由は、ダビデの王国を強くすることが神様のご計画だと知っていたからです。聖書は「イスラエルについての主のことばのとおり」と繰り返します。


10

ダビデの勇士のかしらたちは次のとおりである。彼らは、ダビデとともにその王権を強固にし、全イスラエルとともに、イスラエルについての主のことばのとおり、彼を王とした人々である。


神様のご計画は、どんな困難があっても最終的には成就します。そしてそれを知っている人はただ主のことばだけを信頼して最後まで戦うことができます。彼らは命をかけてダビデに仕え、神様に仕えました。


13-14)

彼がダビデとともにパス・ダミムにいたとき、ペリシテ人が戦うためにそこに集まった。そこには、大麦が豊かに実った畑があった。兵はペリシテ人の前から逃げたが、彼らはその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもって救われた。


勇士たちがダビデのために敵陣を突き破って水を汲んで来たエピソードが書かれています。ダビデに仕えることが神様に仕えることだと信じたからですダビデもまた、貴重な水を自分で飲まずに神様に捧げます。


(18-19)

ダビデは切に望んで、「だれか私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが」と言った。

三人はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、

こう言った。「そんなことをするなど、私の神の御前に、絶対にできない。いのちをかけて行った人たちの血を、どうして飲めるだろうか。彼らは、いのちをかけてこれを運んで来てくれたのだ。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである。


僕らにとっては神様のことばの通りに油注がれた王とはイエス様です。そしてイエス様こそ僕らが命をかけて仕えるにふさわしいお方です。イエス様はこの世を治める方であり、全てはこの王様の前にひざまずく日が来ます。神様のみことばはその通りに実現します。僕らはこの王様にすでにお仕えしています。命をかけるにふさわしい王はイエス様ですそしてイエス様こそ全てに勝利する王の王です。ハレルヤ!

1歴代誌11.20-25

 恐ろしく見える人や物事も、神様にとっては敵ではありません。だから聖書はシンプルに「あなたがたの神、主にすがらなければならない。」と言います。(ヨシュア23.8)そして、主ご自身が敵と戦ってくださいます。ダビデの時代には実際に自分の手足を使って敵と戦いましたが、それでも、戦ってくださるのは神様ご自身です


(ヨシュア23:8-10

ただ、今日までしてきたように、あなたがたの神、主にすがらなければならない。(…中略…)あなたがたのひとりだけで千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。


神様が言われた通り、主にすがるダビデと勇士たちは神様の勝利を何度も体験しました。神様にすがり、信頼して戦うときに神様が言われる通り自分の能力以上にことをさせてくださったことが記録されています。これらは神様ご自身が戦ってくださった証拠です


20-23)

さて、ヨアブの兄弟アビシャイは三十人のかしらであった。彼は槍を振るって三百人を刺し殺し、あの三人とともに名をあげた。中略

エホヤダの子ベナヤは、カブツェエル出身で、多くの手柄を立てた力ある人であった。彼はモアブの英雄二人を打ち殺した。また、ある雪の日に、洞穴の中に下りて行って雄獅子を打ち殺した。彼はまた、身長が五キュビトもあるエジプト人を打ち殺した。このエジプト人は、手に機織りの巻き棒のような槍を持っていた。ベナヤは杖を持ってその男のところに下って行き、エジプト人の手から槍をもぎ取って、その槍で彼を殺した。


聖書はダビデに仕え、神様に用いられた勇士たちの名前を伝えています。彼らは最初から強い勇士だったのではなく、困窮し、負債があり、不満がある者たちでした。


1サムエル 22:1-2)

ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。


弱くて困窮していた人たちが神様の恵みによって強くさせられ、驚くような勝利をする者たちに成長しています。これは彼らの信仰の成長です。ますます神様にすがり、神様に信頼して戦うようになった証です戦ってくださるのは主ご自身です。(ヨシュア23.10)


僕らも同じです。主ご自身が戦ってくださいます。僕らはすがるのみです。強くなるとは、戦ってくださる神様にもっと信頼して自分の身を預けることです弱い者が強くされます。全ては主の力、主の恵みです

1歴代12.23-40

 イエス様は世界の王ですやがて再びこの地上に来られると聖書は繰り返します。(マルコ13.26,ヘブル9.28,2テサ2.1,1コリント4.5など多数)イエス様が地上に来られる時には王として正しい裁きをなし、世界を支配し、全ての人はイエス様にひざまずきます。まだ来られていないイエス様ですが、僕らクリスチャンはすでにイエス様を王様として迎え、聞き従っています。そこには喜びがあります。


同じように、ダビデが正式に王様になる前から忠誠を尽くした人たちのことが聖書に書かれています。イスラエル全国からヘブロンにいるダビデの元に代表者たちや勇士たちが集まり、ダビデを王様にしようと動き出しました。彼らは主のことばの通りになることを知っていた人たちです彼らは喜んで集まっていることがわかります。


23-26)

主のことばのとおりにサウルの支配をダビデに移すために、ヘブロンにいるダビデのもとに来た武装した者のかしらの数は次のとおりである。ユダ族で、大盾と槍を手にして武装した者六千八百人。シメオン族からは、戦に出る勇士七千百人。レビ族からは四千六百人。


今までサウルに忠誠を尽くしてきた人たちでさえ、ダビデが王となることを知ってダビデのところにやってきます。


29

サウルの同胞ベニヤミン族からは三千人。その大多数は、それまでサウルの家を守り続けてきた。


聖書はダビデに忠誠を誓う人たちのことを「時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っていた」と表現します。


32

イッサカル族からは、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っていた、かしら二百人。その同胞はみな彼らの命令に従った。


ゼブルン族の人たちはダビデを王様とすることで「心が一つに」なっていました。他にも「全き心で」ダビデの元に集まってきた人たちのことが書かれています。


33

ゼブルンからは、完全に武装して戦いの備えをして従軍していた者五万人。彼らは心を一つにして集まった。


38

これらすべての、戦いに備えて集まった戦士たちは、ダビデを全イスラエルの王にしようと、全き心でヘブロンに来た。イスラエルの残りの者たちも、ダビデを王にすることで心が一つになっていた。


二心の時には喜びがありません。でも、神様のことばを信じて一つの心となる時には喜びがあります。ダビデを王様にする人たちには喜びがありました。この時集まった人たちを合計すると30万人にもなりました。しかも、近隣の人たちは遠くからきた人たちを歓迎し、彼らに食事を提供しました。喜びがあるときにはどんなに犠牲を払っても苦にはなりません。聖書はこれだけの人たちを歓迎し飲み食いすることを「イスラエルに喜びがあった」と書いています。


39-40

彼らはダビデとともに三日間そこにとどまり、食べたり飲んだりした。彼らの兄弟たちが彼らのために用意したのである。

彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、らば、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などが数多くあった。イスラエルに喜びがあったからである。


僕らの王はイエス様です将来地上に来られますが僕らはすでにイエス様を王として従っています。そこには喜びがあります。ダビデはイエス様の姿を表しているかのようです。二心でなく、イエス様だけで生きましょう。イエス様は王として支配されます。もうそれが始まっています。ハレルヤ!

1歴代12.16-18

 神様に従う選択には平安があります。御霊の実は平安です

ダビデは何年もサウルに命を狙われ洞穴での逃亡生活を続けました。ダビデのもとにはいろんな人が近づいて来るのですが、敵か味方かわかりません。特にサウルと同じ部族のベニヤミン族からの助けはワナかもしれません。ダビデは彼らを警戒します。


(16-17)

ベニヤミンとユダの子孫からも、要害のダビデのもとに来た人たちがいた。ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。「もし、あなたがたがやって来たのが平和のためであり、私を助けようとするのなら、私の心はあなたがたと一つだ。しかし、もし、私の手に暴虐がないのに、私をだまして、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神がそれを見て、責められますように。」


疑うダビデに対して、御霊に満たされたアマサイは言います。


(18)

そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。「ダビデよ、私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」ダビデは彼らを受け入れ、部隊のかしらとした。


御霊はアマサイを通して「平安があるように」といい、ダビデは平安に満たされたようです神様に従う時には神様からの平安があります。神様の人を助ける人にも平安があります。神様の願いは今日も「平安があるように」です。聖書は「恵みと平安があなたがたの上に豊かにありますように」と何度も繰り返しています。御霊の実は平安です


アマサイは命を狙われて不安定なダビデに平安があるようにと言いました。これは今日も同じ御霊の願いです神様が今日も助けを与えてくださることは確かです平安がありますように。

1歴代16.1-22

 「あの人こんなことしてくれて最高!」って言いふらすことは賛美です賛美は本人に向かうだけでなく周りの人たちに語り伝えます。同じように、神様のスゴさをみんなに話すことは賛美ですもちろん直接神様に「あなたに感謝しています。ありがとうございます。すごいです!」と言うことも賛美です賛美することは「神様に」であり、同時に「全ての人に」です


(8-10)

主に感謝し、御名を呼び求めよ。そのみわざを諸国の民の間に知らせよ。

主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざを語れ。

主の聖なる御名を誇りとせよ。


賛美は神様がしてくださったことを思い出し、誇り、喜び、歌い、語ることです


(10-12)

主を慕い求める者たちの心よ、喜べ。

主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。

主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇跡と御口のさばきを。


神様が約束してくださったことは必ず実現します。神様がイスラエルを祝福する、と約束してくださった契約は実現します。そして、イエス様を信じる僕らも同じように祝福してくださいます。「信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3.9)それは必ず実現する契です


(15-17)

心に留めよ。主の契約をとこしえに。命じられたみことばを、千代までも。

それは、アブラハムと結んだ契約。イサクへの誓い。

主はそれをヤコブへの定めとして立てられた。イスラエルへの、永遠の契約として。


神様の約束を歌うことは喜びです。ダビデは神様の前で「常に」神様への賛美を絶やすことがないようにチームを整えました。


(4-6)

それから、レビ人の中のある者たちを任命して主の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、主に向かってその御名を呼び、告白し、賛美するようにした。(…中略…)彼らは琴や竪琴などの楽器を携え、アサフはシンバルを響かせた。祭司ベナヤとヤハジエルは、ラッパを携え、常に神の契約の箱の前にいた。


歌や楽器は神様の素晴らしさを思い出し、感謝し、賛美し、語り、喜ぶための道具です


僕らも歌いましょう。神様に、そして周りの人たちに、全ての人たちに歌いましょう。賛美は天国の表れです賛美の聞き手は神様であり、人々であり、自分であり、全てです賛美は命令です。感謝しましょう。歌いましょう。語りましょう。神様の素晴らしさを思い出しましょう。彼らは「常に神の契約の箱の前に」いました。僕らも常に神様の前です。讃えましょう。ハレルヤ!