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2024年3月21日木曜日

イスラエルとガザ地区の平和が実現する日とは ローマ11.25-33、ゼカリヤ9.9-10、マタイ23.29-39

 イスラエルとガザ地区の平和が実現する日とは 

ローマ11.25-33、ゼカリヤ9.9-10、マタイ23.29-39


新しい契約とは、イエス様による赦しの契約です。聖霊が与えられ、敵を赦し、敵を愛する新しい契約のことです。

イスラエルがイエス様をメシアだと受け入れる日に全ての戦車や武器は廃棄され、完全な平和が実現することが約束されています。


(ローマ11.25-33)

25,兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、

26,こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。

27,これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。

28,彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。

29,神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。

30,あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。

31,それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。

32,神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。

33,ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。


① イスラエルは今は神に敵対している(28、30、31)


(28)

彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です


(31)

それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。


(マタイ23章37-38節)

37,エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。

38,見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。


イエス様はマタイ23章で「わざわいだ」と繰り返しています。それはユダヤ人たちが預言者を迫害し、イエス様を王と認めず、逆に自分達を義とし高ぶってエルサレムを支配しているからです。

神様はイスラエルを愛する宝の子どもたちとして何度も彼らを集め保護しようとくださいました。その翼の下にいる時にはどんな敵や災いからも守られます。「わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。」(37)とイエス様はおっしゃいます。神様の翼の下にいることは最新のレーダーや迎撃ミサイルよりも信頼できるし安全です。でも、彼らはそこにいるのを望まず、預言者たちを嫌い殺しました。また、彼らを祝福し愛ち守るために遣わされたイエス様を嫌い、殺します。


自分から羽の下から出ていくことは自分を荒れ果てたまま見捨てられるようにすることです。約束された安全保証はなくなり、敵にさらされ、自力で戦わざるをえなくなります。今のイスラエルはまるでそのようです。イエス様を拒否したことによってエルサレムは崩壊し、イスラエル人たちは祖国を失い苦しみ続ける歴史が始まりました。今もイスラエル人たちは敵に囲まれ苦しんでいます。回復の道はただ一つ、悔い改めてイエス様を受け入れ、愛し、祝福することです。


②  イスラエルはそれでも愛され選ばれ召されている(28-29)


(ローマ11.1)

神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそんなことはありません。


(28-29)

彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。


(マタイ23.37)

わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。



③ イスラエルもガザ地区も不従順になっているのは神様の憐れみだけがが表されるため(31)


人の努力とか行いで平和が実現することはなく、平和や祝福は100パーセント神様の憐れみです。神様の憐れみだけが明らかになるためのプロセスとして、今、イスラエルはイエス様に対して不従順になっています。それはまるで壊されて当然の壊れた器が見捨てられなかったようです。それは、イスラエルだけでなくどの国の人も同じです。僕らが救われたのは100パーセント憐れみです。


(ローマ9.22-24)

滅ぼされるはずの怒りの器を、豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。(…中略…)

このあわれみの器として、神は私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。


(30-32)

30,あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。

31,それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。

32,神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。



④ イスラエルにもガザ地区にも平和が来るのはイエス様を受け入れる日(26)


(25-27)

25,兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、

26,こうして、イスラエルはみな救われるのです。救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。

27,これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。



救い主イエス様が王として来られる日には全ての戦いが不要になります。それは旧約聖書ゼカリヤ書に預言されており、預言の通りにイエス様は子ロバに乗って入場されました。(マタイ21.5)ですが、イスラエルはそれを拒絶してイエス様を殺しました。もしもエルサレムの人々がイエス様を王として受け入れるならば、その時に戦争は終わりイエス様による平和が世界に実現します。


(ゼカリヤ9章9-10節)

9,娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。

10,わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。


平和の王キリストが登場する特徴はへりくだった姿です。イエス様が軍馬でなく荷物を運ぶ小ロバで登場したことは平和の象徴です。軍馬でなく小さなロバに乗って登場する姿は全ての軍事力を不要なものとすることを表しています。イエス様のへりくだりは徹底しています。人々の罵りを受け、憎しみを受け、神様の裁きと呪いを受けて殺される側になってくださいました。


イエス様の教えは「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」(マタイ5.39)「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」です。(マタイ5.44)これは肉のままの人間には無理です。ところが世界の支配者である王キリストがそのように変えてくださいます。僕らの中にある怒りや憎しみを全部引き受けて、心も体も傷つき殺されながら僕らを赦し、祈り、祝福してくださいました。


聖書は、あの十字架の処刑ゆえに僕らが神様との平和を持っていることを何度も書いています。次に僕らがすべきことは、赦されものとして重荷、憎しみなどを全てイエス様に委ね手放すことです。そして、イエス様に赦されたように互いに赦し合うことです。

一瞬で世界を滅ぼすことができる神様が、すべての人の罪を背負って呪われ捨てられる側になってくださいました。これが王であるイエス・キリストです。このキリストを喜び受け入れ祝福する日に、イスラエルは回復します。


(マタイ23章39節)

わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」


イスラエルがイエス様を受け入れ、喜び、祝福するときに、彼らは完全に回復します。イスラエルの回復、そして世界の平和の実現は、イエスキリストを信じ受け入れることにかかっています。方法はただ一つです。

その日は親鳥の下で安心するヒナのように全ての人に平和が来る日です。もう自分を守るために最新鋭のミサイルを購入する必要もないし、SNSで有利な情報を発信し続ける必要もありません。


僕らが平和のためにできる最高の方法はイエス様を受け入れるように伝えることです。神様の翼の下はどんなことよりも安心安全です。「わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。」(37)とイエス様はおっしゃいます。神様の願いは僕らが傷つくことでも戦うことでもなく、完璧な愛と保護の中にいることを願っておられます。


その日、神様の愛が全てを支配します。心の板に聖霊によって愛の律法が刻まれる日です。聖霊によって全ての人に神様の愛が注がれる日です。(ローマ5.5)その日こそイスラエルの平和の日です。そして、世界が平和になる日です。


(1コリント 13:4-7)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。



2023年12月3日日曜日

ゼカリヤ9.9-12 メッセージ

 聖書 ゼカリヤ9.9-13 題 大いに喜べ、あなたの王が来る


※友人からの質問です。

イスラエルの戦争のニュースを見て、友達に、「キリスト教の福音派はイスラエル支持なんでしょう…?」と言われたらなんて答えますか?


聞きたいことは、神様はイスラエル人だけが大事なんですか?神様はえこひいきがなくて、どんな人でも、国籍に関係なく愛してるんじゃなかったんですか?というものです。


ガザ地区を攻撃するイスラエルをほとんどの国は停戦を求め攻撃を支持しないのに、アメリカだけが特にイスラエルを支持するのか?ニュース解説ではアメリカは聖書をそのまま信じるキリスト教の福音派と言われる信者が多くて、だから、今もイスラエル人は特別な愛されてる民なんだ、という人が多いからアメリカはイスラエルを支持するんだ、と言われます。

友達から、あなたクリスチャンでしょ。あなたの教会、福音派でしょ。イスラエル支持なんだよね、と言われたら、僕は今までうまく答えられないと思っていました。



1神様はエルサレムを特別扱いで愛しているのか?

2軍事力ではなくみことばで治める王が来ている

3私たちは希望のある囚人



1神様はエルサレムを特別扱いで愛しているのか?


9,娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。


シオンもエルサレムも同じあのエルサレムの神殿の町です。そのことをまるで自分の娘のように呼びかけます。大いに喜び、喜び、叫べ、あなたの王があなたのところに来る、と。


聖書でいつもエルサレムは特別です。神殿が与えられた場所です。で、私たちの疑問は、他はどうなの?パレスチナはどうなの?日本人はどうなの?と言うことです。ところが、イエス様はエルサレムを特別扱いしていることがわかります。


イエス様がエルサレムを丘の上から見たときに涙を流した、とあります。


ルカ19:41,エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。

42,「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。


「あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」だのに、彼らはそれがわからない、とおっしゃって嘆いて泣いておられます。

イエス様にとってエルサレムとその町にいるユダヤ人たちは文字通り、自分の愛する娘、子どもたちです。そして、愛する子どもたちが祝福されていることも愛されていることも、王が来ていることわからなくなっていることを泣いておられます。


イエス様はめんどりが雛を集めるように、何度も何度も愛するユダヤ人たちイスラエル人たちを大事に保護しようとされました。でも、エルサレムの人たちは何度も拒否しました。


ルカ13.34

エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。


ひなを育てたことはありませんが、斉藤さん家の小鳥のお世話はちょっとだけ見るだけでも驚きます。斎藤家の愛を感じますね。小鳥のための専用ヒーターがあって、いつも一定の温度で絶対消さないです。そして丁寧に丁寧に餌を作ってちょっとずつちょっとずつ食べさせて、少しずつ大事にされながらひなは育ちます。斎藤家でもあんなに大事にしているのなら、それ以上に、神様は、雛を愛するように、その翼の下に集めたいと願っておられます。もっと大事にしようとしておられます。だのに、何度もイスラエルは預言者を拒否します。イエス様は涙を流されています。そして、この一週間後にイエス様も殺されます。


イエス様にとって、イスラエル人は今も大切な娘、愛する子どもたちです。同時に、イスラエルは自分を拒否する人たちです。イエス様は今日も愛しています。そして、今日もエルサレムを嘆いていることがわかります。



※証

牧師会に行くとすごくイスラエルを愛する、イスラエルのために祈る先生たちがいます。そのような教会があります。反対にイスラエルのやってる事はけしからん、と言う牧師もいます。両者とも聖書を信じています。どうして反対のこと言うのか、疑問でした。僕の中ではきちんと聖書から整理されないとと思うようになってきました。


僕の理解はイエス様を信じる人は、ユダヤ人も異邦人も日本人もその差は無く、えこひいきは無い。と言うものです。そう書いてあります。わかりやすい箇所はローマ2章です。


ローマ2.9-11

9,悪を行うすべての者の上には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、苦難と苦悩が下り、

10,善を行うすべての者には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。

11,神にはえこひいきがないからです。


どちらが上とか下とか区別はないです。聖書がそう言っています。

じゃ反対に、神様はイスラエルへの愛はなくなったのか、というと、それもまた違います。いまも神様はイスラエルを愛しエルサレムを愛している、と書かれています。これもわかりやすいところだけ紹介します。


ローマ10章

21,そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」


2日前です.牧師会がありました。作文が与えられました。降ってくるように。

でも、自分だけでは偏ると思って、知り合いの牧師さんたち、特にイスラエルに関心のある先生たち、そして、自分の出身の神学校の聖書宣教会の先生にも見てもらって、アドバイスをもらいました。作文のタイトルは「どうして、イスラエルを嫌う教会、慕う教会に分かれるのか」です。祈り会のライングループにも最初の原稿を載せたけど、そのあと、先生たちのアドバイスを受けて、すごく直しました。完成版、興味のある方はお読みください。


僕の中でもすごくストンきています。結論は3つです。


1 神様の愛と祝福はイスラエルも異邦人もその差別とか優劣は無い。

2 神様はイスラエルを最初に愛し、祝福し、救いたいと願い、それは今も変わらない。

3 神様はイスラエルへの愛と祝福と同じものをイエス様を信じる世界中の人に与えようとしている。


だから今日の箇所、娘シオンを大いに喜ぶ。娘エルサレム、大いに喜び大いに叫ぶ。この神様の愛と祝福はまず文字通りエルサレムに対してです。イスラエル人に対して、神様は愛して祝福して娘たちをまるで雛を集めるように愛すると言ってくださっています。だから神様今も同じようにエルサレムを愛してます。


そして、この愛と祝福をイエス様を信じるすべての人がいただけるというのが聖書全体の主張です。娘エルサレムよ、喜べ、と言われる愛の言葉は僕らにも言われています。同じです。


だからイエス様はエルサレムを見たときに泣かれました。あぁエルサレム、エルサレム、こんなに愛してるのに預言者を殺し、神の言葉を拒否してきた、と。今も、主は愛し、憐れんで、ずっと手を差し伸べて続けておられます。同じように、イエス様を拒否するすべての人を嘆き、涙を流し、手を差し伸ばしてくださっています。


ゼカリヤの預言の通りに、イエス様はロバに乗ってエルサレムに入場されました。


9,娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。


彼らはその後、イエス様を殺しました。それでも、殺されても愛することをやめはないんです。イエス様のことばは必ず実現します。神様の言葉必ず実現します。人間の罪とか悪意より神様の言葉の方が力があります。


9,娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。


この愛と祝福は変わりません。あなたの方があなたのところにくる、言う言葉は必ず実現します。


※証 エルサレムでの祈り


エルサレムに行った時に、神殿の壁のとこrで祈りました。

祈る前に読んだ箇所です。


1列王記 8:41-43

また、あなたの民イスラエルの者でない外国人についても、彼があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、

――彼らは、あなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕について聞きますから。――この宮に来て祈るとき、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。


これは僕のことだ、と思って、短い時間だったけどいつも祈ってること全部祈りました。

全部お願いしますと祈ったんです。ほんとにここに主がおられるって言う臨在を感じて感動しました。圧倒的な愛、安心感、平安が満ちている空間でした。神様から「あなたの祈りは全部聞いてるよ。」と語りかけがありました。涙が出ました。次に、「日本にいても聞いているよ」と語られたと思います。

みーこに聞いたら、同じように臨在に溢れて感動と喜びがあって、永遠にここにいたい、と思ったそうです。


皆さんにこのエルサレムへの愛が日本にも同じように注がれてるってことを伝えたいです。

日本で祈ってても同じです。神殿は今、あなた方の体は聖霊の宮です。と書かれています。


1コリント 6:19

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。


宮っていうの神殿のことです。エルサレムまで旅行してもいいけど、凄く祝福があったけど、でも日本にいて1人でも2人でも3人でもイエスの名前によって集まるのでそこに主はおられます。


マタイ 18:20

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。


私たちは神殿です。神様が愛しているエルサレム、愛する娘、同じように愛と優しさで柔和さで一緒にいてくださいます。


エルサレムは、やがて夫のために整えられた花嫁のように美しくなりますと黙示録にあります。そしてその時に教会も、同じくキリストの花嫁として、一人の人として一緒になる、と聖書は言います。


奥義といいますが、隠されていたけど、表された真実です。だと言うことです。カーテンが開かれたようだといいます。異邦人とユダヤ人が一つになってキリストの花嫁となります。


すべての人たちが膝をかがめ、この言葉に従います。しかもさせられているのではなくて、喜びの中で花嫁が花婿の言葉を喜ぶように愛によって喜んで従う日が来ます。しかも世界中がです。


●軍事力ではなくみことばで治める王


10,わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。


攻撃されたらやり返す、と言うハリネズミのような時代は終わります。イエス様はもう一度エルサレムに来られて、平和を実現します。ミサイルにでなく、柔和な言葉で支配します。


しかも、これはイエス様がもう一回来るときのエルサレムだけの平和ではなく、世界中に関わる預言です。

世界中がイエス様の言葉によって平和の支配の日が来ると言う預言です。


10の後半

彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。


ゼカリヤの預言は2つの面があります。1つはイエス様の時代に半分実現しました。ろばに乗って入場したことは実現しました。でも世界中が平和になっているのはまだ実現していません


神様は言葉だけで世界を支配します。

そもそも言葉だけで世界をお創りになりました。光をあれと言ったら光ができました。だから神様は戦闘機を使わなくても、ミサイルを使わなくても平和を作ることができるんです。言葉だけで世界を治める時がきます。


※証

最近私は阿部先生のことをよく思い出します。

僕が20代だった時ある時めんどくさくてなぜ聖書を読まなきゃならないのか、と不満を先生に言いました。字が小さくて難しい、と。


阿部先生の答えです。

王様の言葉というのは死ねって言ったら死ぬんだよ。

真面目な顔で言ってました。「お前死ねって言ったら死ぬんだよ」それほど形のある言葉なんだよ。王様の言葉には誰も逆らえない。これが人間の王様でもそうなんだ。だったら、本当の王である神様の御言葉は、私たちは恐れを持って聞くべきだ。遠藤さん、この聖書はね、あなたに書かれているんだから読んでください。恐れを持って読んでください。


神様の御言葉、必ず実現します。霊感された神様の書物を読んでいます。

その神様が娘エルサレム、喜び叫べと言っています。

あなたの方があなたのとこに来ると言っています。

しかも軍事力でミサイルで治めるのではなくて、柔和な方でロバに乗って来られます。この御言葉は実現しました。ほんとにイエス様はへりくだって来てくださいました。剣ではなく、暴力ではなくて、貧しい赤ちゃんになって、そして、大人になってからは人からののしられ、傷つけられる側に来てくださったんです。

神様の御言葉は必ず実現します。


そしてもう一度この世界に来られます。その時は完全に10節が実現します。


10,わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。


もうミサイルで戦車で支配するのではなく、世界が神様の言葉で支配される時が来ます。


●希望のある囚人


今の現実は闇です。いろんな問題だらけです。

でもこれで終わることがありません。囚われ人です。


11,あなたについても、あなたとの契約の血のゆえに、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ。

12,望みを持つ捕らわれ人よ、砦に帰れ。わたしは今日もまた告げ知らせる。二倍のものをあなたに返す、と。


しかも、12節望みを持つ囚われ人です。


帰ってきなさいと。イエス様のゆえに、あの十字架で血を流して、無罪と言ってくださる契約ゆえに帰っておいで。と。


今苦しいかもしれない。でも、12節は望みを持つ囚われ人だと言います。

二倍のものをあなたに返す。どんなに反抗していても、主の元に帰ってくるなら2倍の祝福を与えるから、もう自分で頑張らなくていいし、もう自分で力を持とうとして戦わなくて良い。と言ってくださいます。大いに喜ぶ柔和な王が、救い主がきた。しかもその言葉は、力があるから、と。


当時、この土地では、刑務所を作るのではなく、空の井戸の穴の中に囚人を投げ込むだけでした。いつも乾いているわけではなく、井戸の底の泥にずっと沈んでいくと言うものでした。エレミヤもいちど王様に1度に投げ込まれ、泥の中に沈んでいったことが書かれています。


あまりにも過酷で、普通囚人はそこで餓死するために放置されるだけでした。生き埋めにされるようなものです。時々家族や友人が飢え死にしないように上から食べ物を落としてくれる事はありました。

それでもそこに落とされた主人は、深い穴の中で絶望していました。


私たちも時々絶望の穴の中に入れられることがあります。どうもがいても、自分からは脱出できない深い暗闇の穴です。

人間関係のために、その深い穴に落としられているかもしれないし、自分がまいた種で、あるいは何かの依存症になって、病気になって、そこから脱出できないと言う穴に入るかもしれません。

良くなりたいと思っていろいろやってみるけども、気がついたらまた同じ穴の中にいるということがあるかもしれません。


ゼカリヤは希望の囚人と呼びかけます。見える状況は絶望的なのに、彼には希望があります。

僕らの希望はイエス様の到来にあります。その時に、すべての苦しみに終わりが来ます戦争は終わります。完全な平和が実現します。しかもそれは終わりがない平和です


あなたは水のない穴に沈んでいく囚人ですか、出口のない暗闇に沈んでいく囚人ですか。それとも希望を持ち続けるそして希望を持って艱難を忍耐する主人ですか?

忍耐とはやせ我慢ではなくて、希望を持って過ごすことのです

その希望は失望とはなりません。と聖書はいます。(ローマ5章)


クリスチャンはもうこの王様を心にお迎えしています。苦しいけどうれしい。悲しいけど喜びが根底にある。苦しい穴の中に入っているけど、でも希望がある。


私たちは病気があります。私があります。人間関係は難しいです。でも聖書は望みを持つ囚われ人4砦に帰れといいます。苦しいけどこれは終わるしやがって喜び叫ぶ日がくるってのはわかっているから希望を持って忍耐すると言うのが聖書の教えです。


自分の名前入れて読んでみてください。


9,(   )よ、大いに喜べ。(    )よ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。