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2025年8月19日火曜日

2列王15.1-7、2歴代26.16-23

 2列王15.1-7、2歴代26.16-23


「成功体験が大事」って人は言います。でも、偉業を成した人が最後まで謙遜さを保つのは大変です。金メダリストが引退後に普通の生活に適応するのは大変だそうです。同じように、神様に従うリーダーが偉業をなし遂げ、人々から誉められ、周りにイエスマンしかいなくなってもなお謙遜に神様に聞き従うのはかなり大変です。


ノアは「正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。」と書かれています。(創世記6.9)でも、洪水から救われた後が大変です。最後には「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」(創世記9.21)とあります。


ソロモン王も最初は立派で、神様を求めて「富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。」(1列王10.23)とあります。でも最後の方は「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、(…中略…)ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。」ともあります。(1列王11.4)


サウル王もそうです。最初は良かったんだけど、最後は孤独になり、霊媒師を探し求めたほどです。(1サムエル28.6-7)


成功体験が大事、って人は言うけど、うまくいくほどに人前でのイメージや地位や業績のほうが神様よりも大事になりがちです。


イエス様は「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」とおっしゃいます。(マタイ23.12)だから「師と呼ばれてはいけません。」と警告してくれています。(マタイ23.10)順調な時こそ神様に感謝しているか、栄光と力を主にささげているか、小さな高ぶりはないか、自分の内側をチェックしてくことが大事です。


アザルヤ王は16歳で王様になりました。お父さんは神様に従う素晴らしい人だったようです。彼はお父さんに習って神様を求めました。


(2-3節)

彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。

彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。


さらに、彼には神様のことばを教えてくれる先生も健在でした。


"神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が主を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。"

歴代誌 第二 26章5節



アザルヤ王は教えられた通りに神様を求め、祈り、神様はそれに答えて祝福を与え、繁栄と成功を与えてくださいました。

でも、やっぱり成功したその後が大変です。年をとり、繁栄を手に入れ、指導してくれる先生がいなくなったときに、彼は高ぶります。


(2歴代26.16)

しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、主の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入ったのである。



彼はやってはいけない一線を超えます。祭司にしか許可されていない神殿の中に入って香をたこうとします。しかも、それを注意された時に「激しく怒った」とあります。彼は神様に打たれ、死ぬまで病気になり、隔離された晩年を迎えます。



"主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。"

列王記 第二 15章5節



あんなに素晴らしかった人がなぜ?と僕らは思います。力を持ち、富を持ち、繁栄した時こそ危険な時です。注意してくれる仲間や先生を失った時こそ危険です。「あの人がうるさい」と思っていること自体が「思い通りになりたい、自分が支配者になりたい」という願望の表れです。最近、周りに助言をしてくれる人や一緒に考えてくれる兄弟姉妹はいるでしょうか。神様は1人で考えてたかぶらないように、思い上がらないように、「知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め」るようにおっしゃいます。(コロサイ3.16)


何よりも神様のことばを聞くことは大事です。忠告してくれる人、反対意見を言ってくれる人は宝です。そのような人たちがいるからこそ、僕らは裸の王様にならずに済みます。思い通りにならない事は宝です。困難があるからこそ、僕らは低くされ、神様に求めつづけることができます。心貧しい者は幸いです。ハレルヤ!

2023年1月11日水曜日

1列王記15.9-24、2歴代誌16.7-13

 八尋牧師が退職されてしばらくして、久しぶりに説教を聞く機会がありました。すると「私は死ぬまで生きていたい」とおっしゃっていました。つまり、死ぬまで、命であり力そのものである神様から死ぬまで離れたくない、という意味です

アサという王様はユダとエルサレムを41年間治めた信仰的な素晴らしい王様です。素晴らしい信仰者なのに、それでも最後に成功や栄光や力を自分に求め、神様から離れて行きました。


●生い立ちによらない信仰と宗教改革


アサが育った家庭環境はかなり悪かったようです

お父さんもおじいちゃんも神様を信仰している、と言いながら実際は偶像礼拝をする人でした。そして、祖父であるレハブアムの妻であるマアカが今だにこの国の権力者であったことがわかります。アサの時代にも皇太后としてかなり権力があり、偶像を作り、その偶像の前で性行為をさせる気持ち悪い宗教を取り入れている女です。そういう劣悪な環境で育ったのがこのアサです

でも、神様は人を変えます。親の世代とは全然違う、新しい人に変えられて信仰が与えられがアサですこれは僕らにも適用できて、イエス様を信じた人は、過去とは全然違う人に変えられます。


(2コリント 5:17)

その人は新しく造られた者です

古いものは過ぎ去って、

見よ、すべてが新しくなりました。


アサはいつも神様の目に良いことは何か、と考える人でした。


(14)

アサの心は生涯、主とともにあり、全きものであった。


「全きもの」とは完全になる、平和である、という意味ですもとの言葉はシャロームと同じ言葉です人間は神様と一緒にいて、神様の心を自分の心としている時に平安でいられます。彼は神様から確信が与えられ、力が与えられ、恐れなくこの国の偶像崇拝を一掃しました


(12-13)

彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。

た、母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロンの谷で焼いた。


権力を持っていた母マアカに対しても恐れなく、追放しました。その憎むべき像を切り倒して燃やしました。「憎むべき像」にはいろんな翻訳があって、身震いする偶像、胸が悪くなる偶像、わいせつな偶像とも訳されています。

彼がいつも神様と共にいることだけを求めていたエピソードが2歴代誌14章に書かれています。南のクシュ人(エチオピア)が攻撃して来ました。クシュ人は100万人で攻めて来て、それに対してアサは58万人の兵士でした。兵力では負けています。それでも彼は知恵と力を尽くして国を守るための準備をし、最も大事な準備は神様を求めることでした。


(2歴代14.10-12)

アサは彼に対して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。

アサは自分の神、主を呼び求めて言った。「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。」

主はアサとユダの前でクシュ人を打たれたので、クシュ人は逃げ去った。


「主はアサとユダの前でクシュ人を打たれた」と書かれています。神様に祈り、信頼し、頼ることは人間の戦いでありながら、同時に主ご自身の戦いでもあります。神様はイスラエル人たちのことを愛する妻のように恋い慕って、愛する子どものように、宝のように思っていることが申命記に書かれています。愛する子どもが攻撃されたら神様は黙っていないです。愛する妻、宝物が攻撃されたら神様は黙っていないです。そのように、敵の攻撃を受ける時もアサは何よりも神様に助けを求めました。そして、神様はご自分のことのように戦ってくださいました。


(申命記7.6-8)

あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。

事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから…


アサの人生のほとんどは神様と心が一つになっていました。


●神様を求めなくなるアサ


ところが、最後になって彼は神様に相談も祈りもしなくなって行きます。

アサは北イスラエル王国からの攻撃を受けていました。北イスラエルはアサの目前、8キロくらいのラマに基地を作り、アサが身動きできないようにしました。


(16-17)

アサとイスラエルの王バアシャの間には、彼らが生きている間、戦いがあった。

イスラエルの王バアシャはユダに上って来て、ラマを築き直し、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにした。


ここに基地を作られると致命的です。もうすぐそこです。そこで、今までのアサなら神様に叫び求め、祈りながら戦いの準備をする場面ですが、ここで、もっと北の、そしてものすごく強い軍事力を持つアラムの王様に助けを求めます。今までだったら神様に叫び求めているようなことを、アラムの王様に求めます。しかも、神様に捧げられた金銀を全部取り出して、アラムの王様に莫大なお金を払って助けを求めました。


(18-19)

アサは、主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉に残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王、ヘズヨンの子タブリンモンの子ベン・ハダドのもとに遣わして言った。

「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間にも盟約を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バアシャとの盟約を破棄して、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」


お金を払って助けを求めたお陰でアラムは軍を出してくれ、アサは助かります。北イスラエルの王バアシャは撤退しました。


(20-21)

ベン・ハダドはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の軍の高官たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、およびキネレテ全域とナフタリの全土を攻撃した。

バアシャはこれを聞くと、ラマを築き直すのを中止して、ティルツァにとどまった。


すべてが上手くいきました。敵は逃げていき、アサは国中に命令して敵のラマの要塞を解体します。しかも、石材や木材という物資も手に入れることができて、さらに、その物資を使って、国境の2つの町を作り、軍備をさらに強くします。


(22)

そこで、アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バアシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパを建てた。


人の目から見ると大成功です。さすがの対応です内閣支持率が上がる場面です

けれども、明らかにこれは神様にとって悲しみであり怒りでありました。外国の助けが悪いといっているのではなく、神様にとっての悲しみは、神様を求めなくなることです


(2歴代誌16.7-8)

そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。


(2歴代16.9)

主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。これから、あなたには数々の戦いが起こるでしょう。」


全く一つになっている、先ほども紹介しましたが、シャロームと同じ言葉です平安とは神様と交わっていることです神様の願いは人が神様と同じ心になって行動することですアサは神様を求めず、自分の外交力だけで危機を乗り越えました。作戦成功にもかかわらず、神様は「愚かなことをした」と言います。愚かなことは、神様を求めないことです


どんな人にも試練はあるし、問題はありますが、でも、苦しみは神様と深く交わるための機会です目に見えない神様よりも、目に見える強くて頼りになる人や便利なことに私たちは流されやすです。神様を後回しにして、そっちばかりを求めるようになります。それを神様は悲しみ、怒っておられます。アサの晩年はほとんど神様に敵対するような人になっていきます。


(2歴代16.12)

アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気になった。それは非常に重かったが、その病気の中でさえ、彼は主を求めず、医者を求めた。


聖書がいう悪とは、神様を無視し神様から独立して歩んでいることです神様は医療も用いてくださるし、必要な時には外国との協力関係も用いられます。医者とか政策がダメということでなく、神様を求めないことが悪であり罪です

悪魔のささやきは最初から決まっています。創世記3章にあるように悪魔は今日も「あなたは目が開かれている」「あなたは神のようになれる」「あなたたの善悪判断は正しい」とささやき、神様に求める必要はない、あなたは神様から独立できるよ、と誘っています。


アサの最後は神様の言葉を伝える預言者を怒り迫害するようにさえなって行きました。


(2歴代誌16.10)

アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼を牢獄につないだ。彼に対して、このことで激しい怒りを抱いたのである。アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。


●人生の価値は人に見える結果ではなく、神様と一緒に行動していたかどうか。


人生の価値は地上の成功や作戦がうまく行くことではありません。地上でうまく行くように見えて、それで神様に求めなくなっているなら大問題です神様に頼り求めなくなれば、神様の圧倒的な力も体験しなくなっていきます。


これは私たちの人生に適用できます。

神様の名だけが聖なるものとされますように、そう祈りなさい、とイエス様はおっしゃいます。

み名とは力、権威、神様の知恵、神様の全てです神様の力や栄光なのに、僕ら人間がそれを他のものに置き換えたり、自分のものにしようとします。み名だけが崇められ、聖なるものとされるように、毎日祈りなさい、というのが主の祈りです


み国が来ますように、この世の全てが神様の支配、神様の国でありますように、と毎日祈りなさい、とおっしゃいます。

攻撃された時こそ、神様のご支配、神様を求めて従う時です


神様への感謝、神様への祈り、そして平安があるかどうかは、僕らのバロメーターです神様への感謝と信頼がなくなるとイライラしたり不安になりすぎたりします。祈りと信頼のなさは、不安や不満を招きます。そして、自分がまるで王様のように人間的な対応ばかりを求めます。


自分は王様ではありません。み国が、神様の王国が来ますように、と毎日祈りましょう。

信仰者アサでさえ、最後には傲慢になり、イライラし、不満と不安を爆発させて、預言者を牢屋に入れ、周りの人たちを虐待しました。


(2歴代16.10)

10,アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼を牢獄につないだ。彼に対して、このことで激しい怒りを抱いたのである。アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。


人間の怒りは神様から離れていることの証しです


(ヤコブ 1:20)

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。


自分に傲慢さがあり、自分の力や知恵ばかり求めることを認めて祈りましょう。聖書の言葉はいつも僕らを矯正してくれます。傲慢さを示してくださり、神様を後回しにしていることを教えてくださいます。アサでさえずれて行くなら、私たちはなおさらです


毎日、み名だけが聖とされますように、御心が天でなるように地でもなるように祈りましょう。イラつき、不満、不安は神様と一つの心になっていなことの印です神様より自分のやり方、自分の知恵を求めいることの印です


求めましょう。神様と一つの心にされますように、自分を明け渡しましょう。自分はキリストとともに死に、キリストがわたしの中に生きていると認めましょう。人生は一時的です。旅人にすぎません。神様と一緒にいることは永遠です

2022年12月27日火曜日

2歴代誌1章

 神様はなんでも願いを叶えてくれるドラえもんではありません。…が、「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。と言ってくださいます。(ヨハネ15.7)そうすると僕らはお金がほしい、名誉がほしいと、欲望のままに言いそうなものです。でも、イエス様がおっしゃったのは「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」です。(ヨハネ15.7)イエス様にとどまり、くっついているなら、僕らの願いとイエス様の願いがだんだんと同じになってきます。神様は王様に就任したソロモンにも欲しいものを願うように言いました。


(7-10)

その夜、神はソロモンに現れて仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」

ソロモンは神に言った。「あなたは、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。そして、父に代わって私を王とされました。

神、主よ、今、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。あなたは、地のちりのように数の多い民の上に、私を王とされたからです。今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。」


同じ話が1列王記にもあります。そこでは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と書かれています。(1列王記3:9


知恵も知識も善悪の判断も神様から与えられるものです。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」と聖書は言います。(箴言3.5)もしも、知恵や知識が人間から出たものならば、それは虚しく重く自分を苦しめます。ソロモンは人の知恵の虚しさと苦しみを知っていたようです


(伝道者1:16-18) 

私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」(…中略…)それもまた風を追うようなものであることを知った。実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。


神様が与えてくださる知恵と知識には喜びと平安があります。神様を恐れ、神様を知ることこそが知恵です。(箴言9.10)イエス様にとどまり、イエス様にくっついていることは、知恵と知識に繋がることです。「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」とあります。(コロサイ2.3)神様を求めることは知恵と知識そのものを求めることですそれは何よりも価値のあることです


(11-12)

神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、富も、財も、名誉も、あなたを憎む者たちのいのちさえ願わず、また長寿も願わず、むしろ、わたしがあなたをその王として立てたわたしの民をさばくための知恵と知識を願ったので、

その知恵と知識があなたに授けられる。またわたしは、あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れをあなたに与える。」


僕らも求めましょう。まず主を求めましょう。神様を求めることこそ大正解であり、祝福と喜びの道です知識も知恵も神様のものです。ハレルヤ!


(マタイ 6:33

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

2歴代誌2章

 僕が音楽制作会社にいた時、制作費を多く払ってくれる大企業のお客様には最高の対応をし、最高の機材を調達し、演奏家も増やして(外注して)対応しました。報酬に見合うできる限りの質の良い作品を提供したいと思ったからです。それに比べ、世界を作り支配者である神様に捧げる音楽は余りにも質の悪い、いい加減なものだと反省しました。神様に捧げるものこそ、最高に良いものを捧げるべきです。もちろん、神様に見合う音楽が人間に作れるはずはありません。それでも、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして」です。(マタイ22.37)ソロモンは神様を礼拝する宮を建築しましたが、そもそも、神様にふさわしい宮など人間に作れるはずがありません。ソロモンは言いました。


(5-6)

私が建てようとしている宮は壮大なものです。私たちの神は、すべての神々にまさって大いなる神だからです

しかし、だれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょう。天も、天の天も主をお入れできないのです主のために宮を建てようとする私は何者でしょう。ただ主の前に香をたく者にすぎません。


神様に見合った宮は作れないと知りつつも、それでもソロモンは当時最高だった技術と材料を用いたいと願い、ツロの王ヒラムに協力を願います。彼らが持っているものが当時最高の技術と材料だったからです


(7-9)

そこで今、私のもとに、金、銀、青銅、鉄の細工、および紫織物、紅織物、青織物の製造に熟練した人で、各種の彫り物の技術を心得ている人を送ってください。父ダビデが備え、私のもとにいるユダとエルサレムの熟練した者たちも一緒に働きます。

また、レバノンから杉、もみ、白檀の木材を私のもとに送ってください。あなたの家来たちがレバノンの木を切ることに熟練していることを知っております。もちろん、私の家来たちも、あなたの家来たちと一緒に働きます。私のために、木材を多量に用意させるためです。私の建てる宮は壮大であり、すばらしいものだからです


宇宙をお造りになった神様から見れば、どんなにすごい技術や材料を用いてもそれらは小さなものですそもそも、その技術や材料を用意してくださったのは神様ですそしてソロモンにそのような願いを与えてくださっているのも神様です。ツロの王ヒラムは要望に答え、技術者も材料も協力することにしました。その時に彼は次のように言っています。


(12)

またヒラムは言った。「天と地を造られたイスラエルの神、主がほめたたえられますように。主はダビデ王に知恵のある子を与え、思慮と悟りを授けて、主のための宮と、自分の王国のための宮殿を建てさせられます。


ダビデもまた、建材のために莫大な金銀を捧げましたが次のように言っています。


1歴代誌29:14

まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。


全ては神様から与えられたものです技術も材料も人材も神様からのものです世界最高のものは全部神様のものです神様が願っておられるのはお金でも材料でなく、僕らが神様を愛し敬い感謝する心です今日も自分の全てを感謝して主に捧げる日でありますように。ハレルヤ!

2歴代誌3章

 天国の美しさを幻で見た人がいます。ヨハネですヨハネはその様子を黙示録に記録していますが、まさに絵にも書けない美しさですその様子を完全にことばで表わすことができません。それでもヨハネはその美しさを伝えようとしています。


(黙示録4:2-6

天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。(…中略…)御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。天から下ってくる新しいエルサレムはあらゆる宝石で飾られ、栄光に満ちています。


(黙示録21:11

都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。


神様の住まいは美しすぎます。人間には表現できません。が、その天の模型をソロモンはエルサレムに神殿として作りました。

本物は天にあり、地上に作られた神殿は「天にあるものの写しと影」(ヘブル8.2)「天にあるものにかたどったもの」(ヘブル9.23)「本物の模型にすぎない、手で造った聖所」(ヘブル9.24)とあります。もちろん本物には到達できませんが、それでも当時の最高の技術で最高に美しさを作り表現しています。


(5-7)

この広間はもみの木の板を張り、良質の金でおおい、さらにその上になつめ椰子の木の彫刻と鎖を置き、

また、この神殿は宝石で美しく飾った。金はパルワイムの金であった。

この神殿の梁も、敷居も、壁も、扉も金でおおい、壁にはケルビムを刻んだ。


天では神様の周りには数えきれない御使いがいて、またケルビムが仕えています。それを表わすために「壁にはケルビムを」刻み(7)垂れ幕にも「ケルビムの模様を縫い付け」ました。(14)また「ソロモンは至聖所の中に、彫像のケルビムを二つ作り、これに金をかぶせた。」とあります。(10)これもまた天の様子の模型です


天国は美しすぎます。ソロモンの神殿はそれを表わすものでした。今はエルサレムに神殿はなく、聖書は僕らのからだが神殿であり、教会が神殿だと言います。(1コリント3.16-17、2コリント6.16、エペソ2.20-21など)

ソロモンが最高の美しさで神殿を作ったように、僕らも天の美しさを表わす神殿ですそれは外側の美しさではなく、心の中の隠れた美しさです内側にある汚い罪を認め、告白し、やめます、捨てます、手放します、と祈りイエス様に明け渡して行くなら必ずきよめていただけます。イエス様は「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」とおっしゃいました。(マタイ23.26)僕らはすでにきよめられた美しい神殿です。が、まだ不完全ですますますイエス様の栄光に似たものと変えられて行きます。(2コリント3.18)僕らは本来は美しく、神様の似姿として作られたものです。必ず変えられて行きます。明け渡していきましょう!ハレルヤ!


1ペテロ3:4

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです

2歴代6.24-42

 聖書が僕らに伝えているのは福音、つまり良い知らせです人が自然災害や疫病で苦しむ中で、聖書は僕らにその原因と回復を伝えています。全ての苦しみは人間の罪によるものだと聖書は言います。罪がない世界は「それは非常によかった。」とあります。そこには死も苦しみもありませんでした。(創世記1.31)人が神様より自分が正しいと思うようになった時から人間関係は崩れ、自然は崩れ、人は死に向かうようになりました。(創世記3章)


聖書が伝えているのは福音です。原因である罪を神様は赦し、回復させてくださいます。だから罪を認め、告白して祈りなさいと聖書は言います。敵に囲まれたとき、干ばつで苦しむとき、人と人が争うとき、僕らがするべきことはまず自分の罪を認め、罪をやめ、神様に立ち返って神様を賛美し祈ることです


(24-30)

あなたの民イスラエルが、あなたの前に罪ある者となって、敵に打ち負かされたとき、彼らが立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で御前に祈り願うなら、あなたご自身が天からこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らとその先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。彼らがあなたの前に罪ある者となって、天が閉ざされ雨が降らなくなったとき、彼らがこの場所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたが苦しませたことによって彼らがその罪から立ち返るなら、あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦してください。彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。この地に飢饉が起こり、疫病や立ち枯れや黒穂病、いなごやその若虫が発生したときでも、敵がこの地の町々を攻め囲んだときでも、どのようなわざわい、どのような病気であっても、だれでもあなたの民イスラエルが、それぞれ自分の疫病や痛みを思い知らされて、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、あなたご自身が、御座が据えられた場所である天から聞いて、赦し、一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。あなただけが、すべての人の子の心をご存じだからです


僕らは先祖代々罪を犯して生きてきた人間です僕らの性格が意地悪なのも、世界が破壊されていることも、愛しあえず、傷つけあってしまうのも、生まれつき罪がしっかり受け継がれてしまっているからです。「罪に陥らない人は一人もいません。」とあります。(36)それでも、僕らは回復します。罪を認めて告白し、謝るなら赦されます。


1ヨハネ1:9

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。


ソロモンの時代は神殿に行って罪を告白し、祈っていました。しかし、イエス様が地上に来られてからは世界のどこにいても祈ることができ、悔い改め赦されることができるようになりました。僕らは赦されます。赦されただけでなく生活が変えられてきます。他人を赦し、愛し、自然を愛し大事にするように変えられていきます。これが福音ですイエス様は壊れてしまった世界を回復させる権威がある方です人の罪によって世界は崩れ、うめいています。しかし、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18人間だけでなく、世界が滅びの束縛から回復すると聖書は言います。


(ローマ 8:21

被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。


聖書が僕らに伝えているのは福音、つまり良い知らせです。罪は赦され回復します。今日も罪を認めて立ち返りましょう。主のもとに帰りましょう。主は祈りを聞いてくださいます。ハレルヤ!

2歴代誌7章

 神様に近づく時には人間はいつも恐れを感じます。聖なる神様に殺されるかもしれない、という恐れですソロモンは神殿を作って神様に祈り、その祈りが終わった直後、天から火が降り、いけにえは焼き尽くされました。人々は顔を地面につけて神様をほめたたえています。


(1-3)

ソロモンが祈り終えると、天から火が下って来て、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、主の栄光がこの宮に満ちた。

祭司たちは主の宮に入ることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。イスラエルのすべての人々は、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現れたのを見て、膝をかがめて顔を地面の敷石に付け、伏し拝んで、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主をほめたたえた。


神様は人を生かし、赦してくださいます。神様はソロモンに言われました。


(14-15)

わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。今、わたしはこの場所でささげられる祈りに目を開き、耳を傾ける。


人は赦されます。が、多くのいけにえが代わりに殺され焼き尽くされました。その圧倒的な光景を見て人々は恐れつつ賛美しました。人が赦され受け入れられるのことは命がかかったことです安っぽいことではありません。天から火を降らせ、人々が恐れひれ伏す神様は今日も同じく僕らの神様ですそして僕らが赦され受け入れられるのは、全焼のいけにえの血によるのではなく、イエス様の十字架で流された血によります。


(ヘブル 10:6

あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。


(ヘブル 10:19

こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです


イエス様の犠牲によって、僕らの罪は赦されます。へりくだる僕らの祈りを神様は今日も聞いてくださいます。恐るべき神様が今日も僕らを招いてくださっています。今日も感謝しましょう。イスラエル人たちに火を降らせて栄光を現してくださった神様が今日も僕らを愛し、赦し、慈しみと恵みを注いでくださっています。今日も感謝の歌を歌いましょう。「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」

2歴代誌8.13-16

 中央区で立派な教会堂を新築した教会の牧師さんは「建物を作ること」と「中身である一人一人が作り上げられていくこと」この両面が会堂建築だと言っていました。外側だけ立派でも、中身がなければ無駄です。ソロモンは神殿を作りましたが、大事なのは中身でした。


(13-16)

また、モーセの命令どおりに、安息日ごと、新月の祭りごと、年三回の例祭、すなわち、種なしパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りごとに、日ごとの定めにしたがって献げた。

彼は父ダビデの定めにしたがい、祭司たちの組分けを定めてその務めに就かせ、レビ人もその任務に就かせ、日ごとの定めとして、祭司たちの前で賛美と奉仕をさせた。門衛たちも、その組分けにしたがって、それぞれ門に立たせた。神の人ダビデの命令がこうだったからである。

彼らは、王がすべてのことにつき、また宝物倉のことについて、祭司たちとレビ人たちに命じたことからそれることはなかった。ソロモンの工事全体は、主の宮の礎を据える日から完成まで確かに遂行され、主の宮は完成した。


神殿は祈りの家であり、神様に心からの賛美と献身を捧げる場所でした。ソロモンの父ダビデはあらかじめ祭司たちが毎日神様に賛美や捧げものを捧げるためのチーム編成を準備していました。(1歴代誌25章)神様に毎日賛美や奉仕を捧げることができた時、聖書は「主の宮は完成した。」と言います。(16)建物も大事ですが、内側はもっと大事です

僕らは聖霊の住まいであり、神殿です僕らが毎日心から神様に感謝と賛美のくちびるの果実をささげますように。(ヘブル13.15)ハレルヤ!

2歴代誌9.1-12

 イエス様は「求めなさい。そうすれば与えられます。」とおっしゃいます。(マタイ7.7)求めて与えられた物事は「神様は素晴らしい」と語りかけるものばかりですソロモンは神様に知恵と知識を求め、神様はそれを与えてくださいました。それらは神様の栄光を現していました。


(1歴代誌1.11-12)

神はソロモンに仰せられた。(…中略…)「わたしの民をさばくための知恵と知識を願ったので、その知恵と知識があなたに授けられる。」


ソロモンの知恵を聞きにはるばるやって来たシェバの女王は息も止まるほどに驚いたようです。そして、彼女は神様の栄光を賛美します。


(1-6)

ときに、シェバの女王は、ソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試そうと、非常に大勢の従者を率い、バルサム油と多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。

ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。ソロモンが分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。

シェバの女王は、ソロモンの知恵と、彼が建てた宮殿と、その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たちとその服装、そして主の宮に上る階段を見て、息も止まるばかりであった。

彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。

私は自分で来て、自分の目で見るまでは、彼らの言うことを信じなかったのですが、なんと、私にはあなたの知恵のすばらしさを半分も知らされていなかったのです。あなたは、私が聞いていたうわさを上回る方でした。


ソロモンの偉大さは、全て神様が与えてくださったものです神様が下さったものは「神様の」栄光をあらわします。シェバの女王はソロモンの知恵を聞き、神様を賛美します。


(8)

あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、その王座にあなたを就かせ、あなたの神、主のために王とされました。あなたの神はイスラエルを愛して、これをとこしえに確立されたので、あなたを彼らの上に王として与え、公正と正義を行わせるのです


知恵は人からではなく神様から与えられます。神様からの知恵を求めてはるばるやって来たシェバの女王はイエス様にほめられています。知恵を求めないことは罪だとさえイエス様はおっしゃいます。そして、イエス様ご自身が知恵の源です


(マタイ12.42)

南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからですしかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです


難しい質問は全部イエス様に聞きましょう。ソロモンより偉大な知恵そのものであるイエス様が必ず教えてくださいます。求めるものは与えられます。そして与えられたものは全て「神様の」栄光をあらわします。イエス様こそ全ての源です。ハレルヤ!

2歴代誌12章

 僕らは苦しい時には主を求めやすいですが、順調なときには、その成功や平和が主から来ていることをすっかり忘れてしまいます。イエス様は「心の貧しい者は幸いです」とおっしゃいました。(マタイ5.3)貧しい時こそ僕らは神様を求め、より頼みます。イエス様は「天のみ国はその人のものだから」とおっしゃいます。レハブアムは自分の立場が強くなると神様を捨てました。自分が安全だとわかると、もう宗教はいらないと考えたようです


(1)

レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした。


神様はそんなレハブアムを放っておきません。愛しているからです敵エジプトを使って懲らしめを用意し預言者を通して警告してくださいます。主は愛する子を懲らしめます。(ヘブル12.5-7)敵の攻撃は「イスラエルが主の信頼を裏切っていたから」です


(2-5)

さて、レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来た。イスラエルが主の信頼を裏切っていたからである。(…中略…)彼はユダに属する防備の町々を攻め取り、エルサレムまで攻め寄せて来た。そのとき、預言者シェマヤが、シシャクのことでエルサレムに集まっていたレハブアムとユダの首長たちのもとに来て言った。「主はこう言われる。『あなたがたがわたしを捨てたので、わたしもあなたがたを捨てて、シシャクの手に渡した。』」


神様からの懲らしめはレハブアムを悔い改めさせました。そして、神様は悔い改めとへりくだりを見て憐れんでくださいます。


(6-7)

すると、イスラエルの首長たちと王はへりくだり、「主は正しい」と言った。主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。


神様はレハブアムを憐れんでくださいます。エジプト軍の攻撃は神様からの警告でした。レハブアムの悔い改めにより敵の攻撃は過ぎ去り罪は赦されましたですが、後遺症は残ったようです


(9-12)

エジプトの王シシャクはエルサレムに攻め上り、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取った。彼は何もかも奪い取った。ソロモンが作った金の盾も奪い取った。レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。

(…中略…)王がへりくだったとき、主の怒りは彼を離れ、主は徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったのである。


僕らも順調さゆえに高ぶり、自分を誇り神様を見下すことがあります。神様の懲らしめは僕らを謙遜にし、もう一度神様を崇めるようにしてくださいます。主は罪を赦してくださいます。…が、罪の影響を残しておられます。そのことによって、僕らは罪がひどい結果をもたらすかを経験します。

高ぶって神様を裏切るなら何も良いことがありません。

僕らに与えられている順調さも、安全も、力も、全ては神様からあたえられているものです高ぶらず感謝しましょう。罪ゆえにわざわざ傷つく必要はありません。今日も主を求め、主により頼みましょう。国と力と栄えはとこしえに主のものだからです。アーメン!