2023年1月11日水曜日

1列王記15.9-24、2歴代誌16.7-13

 八尋牧師が退職されてしばらくして、久しぶりに説教を聞く機会がありました。すると「私は死ぬまで生きていたい」とおっしゃっていました。つまり、死ぬまで、命であり力そのものである神様から死ぬまで離れたくない、という意味です

アサという王様はユダとエルサレムを41年間治めた信仰的な素晴らしい王様です。素晴らしい信仰者なのに、それでも最後に成功や栄光や力を自分に求め、神様から離れて行きました。


●生い立ちによらない信仰と宗教改革


アサが育った家庭環境はかなり悪かったようです

お父さんもおじいちゃんも神様を信仰している、と言いながら実際は偶像礼拝をする人でした。そして、祖父であるレハブアムの妻であるマアカが今だにこの国の権力者であったことがわかります。アサの時代にも皇太后としてかなり権力があり、偶像を作り、その偶像の前で性行為をさせる気持ち悪い宗教を取り入れている女です。そういう劣悪な環境で育ったのがこのアサです

でも、神様は人を変えます。親の世代とは全然違う、新しい人に変えられて信仰が与えられがアサですこれは僕らにも適用できて、イエス様を信じた人は、過去とは全然違う人に変えられます。


(2コリント 5:17)

その人は新しく造られた者です

古いものは過ぎ去って、

見よ、すべてが新しくなりました。


アサはいつも神様の目に良いことは何か、と考える人でした。


(14)

アサの心は生涯、主とともにあり、全きものであった。


「全きもの」とは完全になる、平和である、という意味ですもとの言葉はシャロームと同じ言葉です人間は神様と一緒にいて、神様の心を自分の心としている時に平安でいられます。彼は神様から確信が与えられ、力が与えられ、恐れなくこの国の偶像崇拝を一掃しました


(12-13)

彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。

た、母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロンの谷で焼いた。


権力を持っていた母マアカに対しても恐れなく、追放しました。その憎むべき像を切り倒して燃やしました。「憎むべき像」にはいろんな翻訳があって、身震いする偶像、胸が悪くなる偶像、わいせつな偶像とも訳されています。

彼がいつも神様と共にいることだけを求めていたエピソードが2歴代誌14章に書かれています。南のクシュ人(エチオピア)が攻撃して来ました。クシュ人は100万人で攻めて来て、それに対してアサは58万人の兵士でした。兵力では負けています。それでも彼は知恵と力を尽くして国を守るための準備をし、最も大事な準備は神様を求めることでした。


(2歴代14.10-12)

アサは彼に対して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。

アサは自分の神、主を呼び求めて言った。「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。」

主はアサとユダの前でクシュ人を打たれたので、クシュ人は逃げ去った。


「主はアサとユダの前でクシュ人を打たれた」と書かれています。神様に祈り、信頼し、頼ることは人間の戦いでありながら、同時に主ご自身の戦いでもあります。神様はイスラエル人たちのことを愛する妻のように恋い慕って、愛する子どものように、宝のように思っていることが申命記に書かれています。愛する子どもが攻撃されたら神様は黙っていないです。愛する妻、宝物が攻撃されたら神様は黙っていないです。そのように、敵の攻撃を受ける時もアサは何よりも神様に助けを求めました。そして、神様はご自分のことのように戦ってくださいました。


(申命記7.6-8)

あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。

事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから…


アサの人生のほとんどは神様と心が一つになっていました。


●神様を求めなくなるアサ


ところが、最後になって彼は神様に相談も祈りもしなくなって行きます。

アサは北イスラエル王国からの攻撃を受けていました。北イスラエルはアサの目前、8キロくらいのラマに基地を作り、アサが身動きできないようにしました。


(16-17)

アサとイスラエルの王バアシャの間には、彼らが生きている間、戦いがあった。

イスラエルの王バアシャはユダに上って来て、ラマを築き直し、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにした。


ここに基地を作られると致命的です。もうすぐそこです。そこで、今までのアサなら神様に叫び求め、祈りながら戦いの準備をする場面ですが、ここで、もっと北の、そしてものすごく強い軍事力を持つアラムの王様に助けを求めます。今までだったら神様に叫び求めているようなことを、アラムの王様に求めます。しかも、神様に捧げられた金銀を全部取り出して、アラムの王様に莫大なお金を払って助けを求めました。


(18-19)

アサは、主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉に残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王、ヘズヨンの子タブリンモンの子ベン・ハダドのもとに遣わして言った。

「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間にも盟約を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バアシャとの盟約を破棄して、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」


お金を払って助けを求めたお陰でアラムは軍を出してくれ、アサは助かります。北イスラエルの王バアシャは撤退しました。


(20-21)

ベン・ハダドはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の軍の高官たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、およびキネレテ全域とナフタリの全土を攻撃した。

バアシャはこれを聞くと、ラマを築き直すのを中止して、ティルツァにとどまった。


すべてが上手くいきました。敵は逃げていき、アサは国中に命令して敵のラマの要塞を解体します。しかも、石材や木材という物資も手に入れることができて、さらに、その物資を使って、国境の2つの町を作り、軍備をさらに強くします。


(22)

そこで、アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バアシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパを建てた。


人の目から見ると大成功です。さすがの対応です内閣支持率が上がる場面です

けれども、明らかにこれは神様にとって悲しみであり怒りでありました。外国の助けが悪いといっているのではなく、神様にとっての悲しみは、神様を求めなくなることです


(2歴代誌16.7-8)

そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。


(2歴代16.9)

主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。これから、あなたには数々の戦いが起こるでしょう。」


全く一つになっている、先ほども紹介しましたが、シャロームと同じ言葉です平安とは神様と交わっていることです神様の願いは人が神様と同じ心になって行動することですアサは神様を求めず、自分の外交力だけで危機を乗り越えました。作戦成功にもかかわらず、神様は「愚かなことをした」と言います。愚かなことは、神様を求めないことです


どんな人にも試練はあるし、問題はありますが、でも、苦しみは神様と深く交わるための機会です目に見えない神様よりも、目に見える強くて頼りになる人や便利なことに私たちは流されやすです。神様を後回しにして、そっちばかりを求めるようになります。それを神様は悲しみ、怒っておられます。アサの晩年はほとんど神様に敵対するような人になっていきます。


(2歴代16.12)

アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気になった。それは非常に重かったが、その病気の中でさえ、彼は主を求めず、医者を求めた。


聖書がいう悪とは、神様を無視し神様から独立して歩んでいることです神様は医療も用いてくださるし、必要な時には外国との協力関係も用いられます。医者とか政策がダメということでなく、神様を求めないことが悪であり罪です

悪魔のささやきは最初から決まっています。創世記3章にあるように悪魔は今日も「あなたは目が開かれている」「あなたは神のようになれる」「あなたたの善悪判断は正しい」とささやき、神様に求める必要はない、あなたは神様から独立できるよ、と誘っています。


アサの最後は神様の言葉を伝える預言者を怒り迫害するようにさえなって行きました。


(2歴代誌16.10)

アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼を牢獄につないだ。彼に対して、このことで激しい怒りを抱いたのである。アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。


●人生の価値は人に見える結果ではなく、神様と一緒に行動していたかどうか。


人生の価値は地上の成功や作戦がうまく行くことではありません。地上でうまく行くように見えて、それで神様に求めなくなっているなら大問題です神様に頼り求めなくなれば、神様の圧倒的な力も体験しなくなっていきます。


これは私たちの人生に適用できます。

神様の名だけが聖なるものとされますように、そう祈りなさい、とイエス様はおっしゃいます。

み名とは力、権威、神様の知恵、神様の全てです神様の力や栄光なのに、僕ら人間がそれを他のものに置き換えたり、自分のものにしようとします。み名だけが崇められ、聖なるものとされるように、毎日祈りなさい、というのが主の祈りです


み国が来ますように、この世の全てが神様の支配、神様の国でありますように、と毎日祈りなさい、とおっしゃいます。

攻撃された時こそ、神様のご支配、神様を求めて従う時です


神様への感謝、神様への祈り、そして平安があるかどうかは、僕らのバロメーターです神様への感謝と信頼がなくなるとイライラしたり不安になりすぎたりします。祈りと信頼のなさは、不安や不満を招きます。そして、自分がまるで王様のように人間的な対応ばかりを求めます。


自分は王様ではありません。み国が、神様の王国が来ますように、と毎日祈りましょう。

信仰者アサでさえ、最後には傲慢になり、イライラし、不満と不安を爆発させて、預言者を牢屋に入れ、周りの人たちを虐待しました。


(2歴代16.10)

10,アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼を牢獄につないだ。彼に対して、このことで激しい怒りを抱いたのである。アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。


人間の怒りは神様から離れていることの証しです


(ヤコブ 1:20)

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。


自分に傲慢さがあり、自分の力や知恵ばかり求めることを認めて祈りましょう。聖書の言葉はいつも僕らを矯正してくれます。傲慢さを示してくださり、神様を後回しにしていることを教えてくださいます。アサでさえずれて行くなら、私たちはなおさらです


毎日、み名だけが聖とされますように、御心が天でなるように地でもなるように祈りましょう。イラつき、不満、不安は神様と一つの心になっていなことの印です神様より自分のやり方、自分の知恵を求めいることの印です


求めましょう。神様と一つの心にされますように、自分を明け渡しましょう。自分はキリストとともに死に、キリストがわたしの中に生きていると認めましょう。人生は一時的です。旅人にすぎません。神様と一緒にいることは永遠です

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