神様は罪とか悪をそのまま許容することはない聖なる神様です。聖書は「罪から来る報酬は死です。」と言い切り、(ローマ6.23)悪を消し去ってしまう方です。罪に対して神様は怒り、罪をするバアシャ一族を完全に殺してしまいました。
(1-4節)
そのとき、ハナニの子エフーに、バアシャに対する次のような主のことばがあった。
「わたしは、あなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。
今、わたしはバアシャとその家を除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。
バアシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」
神様が言われたことは必ず実現します。
バアシャ王一族は戦車隊の隊長ジムリによって皆殺しにされます。殺したり殺されたりすること自体が神様の裁きです。
(10-13節)
ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが入って来てエラを打ち殺し、彼に代わって王となった。
ジムリは王となり王座に就くと、すぐにバアシャの全家を討ち、小童から親類、友人に至るまで、一人も残さなかった。
こうして、ジムリはバアシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーを通してバアシャに言われた主のことばのとおりであった。
これは、バアシャのすべての罪とその子エラの罪のゆえであり、彼らが罪を犯し、また彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。
バアシャ王一族を殺したジムリも同じように神様の目には罪人です。彼もまたオムリという人に包囲されて王宮に自分で放火して自死して行きます。これもまた神様の怒りとさばきです。
(17-19)
オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。
ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、自ら王宮に火を放って死んだ。
これは、彼が罪を犯して主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。
僕らも無関係ではありません。僕らは全員罪人です。神様の目には正しい人はいない、と聖書は言います。(ローマ3.10)
僕らは神様に滅ぼされ、殺されても文句が言えない罪人です。罪がないのはキリストだけです。
罪のないはずのキリストも、罪のために殺されました。それは、僕らのための身代わりになったからです。
(1ペテロ 3:18)
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。
僕らは、「あの人が悪い、この人が悪い」と裁き合いますが、聖書は正しい人はいないと言います。僕らも神様に殺されてもおかしくない罪人です。神様は罪とか悪をそのまま許容することはない聖なる神様です。そんな僕らが赦され、罪なし、と言われるのは、キリストが身代わりに死んでくださったからです。僕らの上にあるのは神様の憐れみと恵だけです。感謝しましょう。
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