神様はなんでも願いを叶えてくれるドラえもんではありません。…が、「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」と言ってくださいます。(ヨハネ15.7)そうすると僕らはお金がほしい、名誉がほしいと、欲望のままに言いそうなものです。でも、イエス様がおっしゃったのは「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」です。(ヨハネ15.7)イエス様にとどまり、くっついているなら、僕らの願いとイエス様の願いがだんだんと同じになってきます。神様は王様に就任したソロモンにも欲しいものを願うように言いました。
(7-10)
その夜、神はソロモンに現れて仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
ソロモンは神に言った。「あなたは、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。そして、父に代わって私を王とされました。
神、主よ、今、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。あなたは、地のちりのように数の多い民の上に、私を王とされたからです。今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
同じ話が1列王記にもあります。そこでは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と書かれています。(1列王記3:9)
知恵も知識も善悪の判断も神様から与えられるものです。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」と聖書は言います。(箴言3.5)もしも、知恵や知識が人間から出たものならば、それは虚しく重く自分を苦しめます。ソロモンは人の知恵の虚しさと苦しみを知っていたようです。
(伝道者1:16-18)
私は自分の心にこう語って言った。「今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。」(…中略…)それもまた風を追うようなものであることを知った。実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。
神様が与えてくださる知恵と知識には喜びと平安があります。神様を恐れ、神様を知ることこそが知恵です。(箴言9.10)イエス様にとどまり、イエス様にくっついていることは、知恵と知識に繋がることです。「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」とあります。(コロサイ2.3)神様を求めることは知恵と知識そのものを求めることです。それは何よりも価値のあることです。
(11-12)
神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、富も、財も、名誉も、あなたを憎む者たちのいのちさえ願わず、また長寿も願わず、むしろ、わたしがあなたをその王として立てたわたしの民をさばくための知恵と知識を願ったので、
その知恵と知識があなたに授けられる。またわたしは、あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れをあなたに与える。」
僕らも求めましょう。まず主を求めましょう。神様を求めることこそ大正解であり、祝福と喜びの道です。知識も知恵も神様のものです。ハレルヤ!
(マタイ 6:33)
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
0 件のコメント:
コメントを投稿