2列王15.1-7、2歴代26.16-23
「成功体験が大事」って人は言います。でも、偉業を成した人が最後まで謙遜さを保つのは大変です。金メダリストが引退後に普通の生活に適応するのは大変だそうです。同じように、神様に従うリーダーが偉業をなし遂げ、人々から誉められ、周りにイエスマンしかいなくなってもなお謙遜に神様に聞き従うのはかなり大変です。
ノアは「正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。」と書かれています。(創世記6.9)でも、洪水から救われた後が大変です。最後には「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」(創世記9.21)とあります。
ソロモン王も最初は立派で、神様を求めて「富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。」(1列王10.23)とあります。でも最後の方は「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、(…中略…)ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。」ともあります。(1列王11.4)
サウル王もそうです。最初は良かったんだけど、最後は孤独になり、霊媒師を探し求めたほどです。(1サムエル28.6-7)
成功体験が大事、って人は言うけど、うまくいくほどに人前でのイメージや地位や業績のほうが神様よりも大事になりがちです。
イエス様は「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」とおっしゃいます。(マタイ23.12)だから「師と呼ばれてはいけません。」と警告してくれています。(マタイ23.10)順調な時こそ神様に感謝しているか、栄光と力を主にささげているか、小さな高ぶりはないか、自分の内側をチェックしてくことが大事です。
アザルヤ王は16歳で王様になりました。お父さんは神様に従う素晴らしい人だったようです。彼はお父さんに習って神様を求めました。
(2-3節)
彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。
彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。
さらに、彼には神様のことばを教えてくれる先生も健在でした。
"神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が主を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。"
歴代誌 第二 26章5節
アザルヤ王は教えられた通りに神様を求め、祈り、神様はそれに答えて祝福を与え、繁栄と成功を与えてくださいました。
でも、やっぱり成功したその後が大変です。年をとり、繁栄を手に入れ、指導してくれる先生がいなくなったときに、彼は高ぶります。
(2歴代26.16)
しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、主の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入ったのである。
彼はやってはいけない一線を超えます。祭司にしか許可されていない神殿の中に入って香をたこうとします。しかも、それを注意された時に「激しく怒った」とあります。彼は神様に打たれ、死ぬまで病気になり、隔離された晩年を迎えます。
"主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。"
列王記 第二 15章5節
あんなに素晴らしかった人がなぜ?と僕らは思います。力を持ち、富を持ち、繁栄した時こそ危険な時です。注意してくれる仲間や先生を失った時こそ危険です。「あの人がうるさい」と思っていること自体が「思い通りになりたい、自分が支配者になりたい」という願望の表れです。最近、周りに助言をしてくれる人や一緒に考えてくれる兄弟姉妹はいるでしょうか。神様は1人で考えてたかぶらないように、思い上がらないように、「知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め」るようにおっしゃいます。(コロサイ3.16)
何よりも神様のことばを聞くことは大事です。忠告してくれる人、反対意見を言ってくれる人は宝です。そのような人たちがいるからこそ、僕らは裸の王様にならずに済みます。思い通りにならない事は宝です。困難があるからこそ、僕らは低くされ、神様に求めつづけることができます。心貧しい者は幸いです。ハレルヤ!
 
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