2025年4月8日火曜日

2コリント5.1-10 武田繁松さん葬儀メッセージ

 2コリント5.1-10 武田繁松さん葬儀メッセージ

武田繁松さんが洗礼を受けたときの証の一番最後のページにこのように書かれています。

「私は元来、お山の大将で我が強くいつも悔い改めることばかりで、とても洗礼なんて受けられないと思っておりました」

またこうも書いています。

「日本には様々な宗教がありますが、人々のために命まで落とされた宗教はない」

「イエス様は、世界の人々が犯した様々な罪を一身に受けて、十字架に磔になり死んで葬られました、と聞き、ますます信じる気持ちになりました」


お山の大将で我が強い、と自分で言っておられますが、私も婿として一緒に過ごし、確かにそういう面はあるなと思います。でも、付き合いが深くなると、それ以上に、おじいちゃんが自分のわがままや気の短さを悲しんで、がっかりし、ため息をついている姿を私は何度も見てきました。


今日お読みした聖書に「幕屋」と書いてありますけど、これはわかりやすく言うと、テントとか仮の住まいのことです。この弱い肉体や地上での性格のことを言っています。


"私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。"

コリント人への手紙 第二 5章2節


他の翻訳では「天からいただくその住まいにぜひ身を置きたいものと願って、この地上の住処でため息をついているのです。」とあります。この弱い体、性格、全部含めてガッカリしてため息をついているのが私たちです。そして天の建物、つまり完全な体と心、欠点も病も苦しみもない完全な体が与えられることを願っています。


おじいちゃんのその願いを特に感じたのは、おばあちゃんが長期入院した時です。

時々家に行ったら決まって言いました。「俺のせいなんだ。俺が悪かった」「俺がお山の大将だったんだ。ひどいことしたんだ。ごめんな」って奥さんの写真を見ながら泣くんです。

僕はおじいちゃんのため息、自分の欠点を悲しんで悔い改めている姿を見ました。「もう一度家に戻って来られますように。もう一度退院できて家に戻ってくるなら今度は大事にします」と祈ってました。


まさに聖書が言う通り、私たちはこの地上でこの弱い肉体、性格、人生の中でため息をつきながら、呻きながら、でも天から与えられる完全な体と心が与えられるのを願っています。イエス様に似た、愛に満ちた人に変えられたいと願っています。4節にこう書かれています


"確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって吞み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。"

コリント人への手紙 第二 5章4節


ある聖書学者は、この箇所を説明して次のように言ってます。

天の国と比べたら、今の暮らしなんて、家具も何にもないボロ小屋で仮住まいしているようなものです。私たちはもう疲れ果てています。でも、それでもこの不便な状況は私たちを落ち込ませたりしません。むしろ、これから与えられる広々とした自由な生活を期待させてくれます。私たちは、まだ目には見てないけどそれを信じて希望を持って前に進んでいます。


イエスはいつもおっしゃいます。悲しむものは幸いです。心の貧しいものは幸いです。なぜなら、その人が神様の国を受け継ぐものです。神様の国で満たされ慰められる人とは、そのように自分の罪や自分の欠点を認めて神様にだけ希望を持つ人です。


おじいちゃんが書いているように、イエス様は私たちのすべての罪を背負って、身代わりに死んでくださいました。神様に裁かれなければならない私たちの罪を全て引き受けてくださり、十字架に磔になりました。そしてイエス様は復活して完全な栄光を持っています。それを記念するのがイースター、復活祭です。最近はスーパーでもイースターとか復活祭というようになりました。イエス様の復活を祝い、同時に私たちも復活して変えられることの希望を祝うのがイースターです。

私たちも一度死んで葬られます。それはこの弱い体、弱い欠点だらけの性格、たくさんの悲しみとはお別れして、まるでボロボロになったテントを畳んで完璧な新築の家に住むかのようです。私たちは明るくて喜びしかない完全な体と心に復活します。そのように聖書が教えてくれています。


"たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。

私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。"

コリント人への手紙 第二 5章1~2節


だから死は悲しいけど希望があります。この福音を信じる人は神様に裁かれることも永遠の地獄に落ちることはありません。先ほど最初に読んでいただいたヨハネの福音書5章24節に書かれています。


"まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。"

ヨハネの福音書 5章24節


武田繁松さんが書いていました。「イエス様の御心に添えるよう努力してまいりたいと思います。」確かに今は弱い性格、弱い体で、自分も周りもがっかりすることたくさんありますけど、それでも神様に喜ばれたいし、神様の御心に添えるようになりたい、と願うお父さんの願いがそこにありました。


"私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。

そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。"

コリント人への手紙 第二 5章8~9節


お父さんの願いは完全に叶えられました。自分の欠点や罪を悲しみながら願ってきたお父さんの願いは叶えられ、新しい完全な心と体が与えられ、神様の御もとで、まるで素晴らしい住まいに住むように迎えられています。

これは人が勝手に思い込んでるのではなく、神様の言葉である聖書が伝えていることです。


悲しいけど、希望を持ちましょう。完全な心と体が用意されています。この希望をぜひ皆さんも受け取ってほしいと思います。地上にあっては苦しみがあります。欠点もあります。でも神様はそのため息をすべての喜びに感謝に祝福に変えてくださいます。

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