2列王12章
教えてくれる先生や大事にしてくれる仲間がいるのは宝だし大事なことです。…ですが、もっと大切なのは神様のみことばを自分で聞き従うことです。7歳で王様になったヨアシュには教えてくれる素晴らしい祭司エホヤダがいました。ヨアシュ王にとってはお父さんでもあり先生でもありました。彼はエホヤダが教えてくれる間は神様に従うことができました。
"ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。"
列王記 第二 12章2節
祭司エホヤダは誠実で、しかも国の中でも力があったようです。一方、7歳で王になったヨアシュは大人になってもあまり力がなかったようです。彼が神殿の破損修理をしよう、と言っても周りは動きません。「ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。」(6)ところが祭司エホヤダが命令するとすぐに国は動き、監督も大工も動き、神殿の修理は進んでいきます。
(11-15)
彼らは、それを主の宮を造る木工と建築する者たち、
石工、石切り工に支払い、また、主の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、金は神殿修理のための出費のすべてに充てられた。…工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
祭司エホヤダは素晴らしい先生だし、かつ、国の中心人物でした。でも、そこに問題がありました。神様のみことばはいつもエホヤダをを通して教えられていました。ヨアシュが自分で神様のみことばを求めて聞く訓練は受けていなかったようです。いつも「先生がこう言ったから…」でした。それで、先生の死後、国は急に弱くなってしまいます。王はエホヤダに聞く代わりに、自分によくしてくれる首長たちを聞き入れます。その結果、国はおかしくなっていきます。
"エホヤダの死後、ユダの首長たちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。
彼らは父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えた。彼らのこの罪過のゆえに、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。
彼らを主に立ち返らせるため、預言者たちが彼らの中に遣わされた。預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。"
歴代誌 第二 24章17~19節
先生に依存したままの最後は悲惨です。国は偶像に冒され、アラムにも攻撃され、そしてヨアシュも謀反で殺されます。理由は「人々が、その父祖の神、主を捨てたから」です。
"アラムの軍勢は少数で来たが、主が非常に大きな軍勢を彼らの手に渡されたのであった。それは、人々が、その父祖の神、主を捨てたからである。こうして、ヨアシュにさばきが下された。"
歴代誌 第二 24章24節
〇〇先生の指導のもと、とか、〇〇牧師が言ったから、それは恵みだけど不十分です。大事なのは自分で神様のみことばを求め、聞き、従うことです。教育とは魚を与えられることではなく、釣り方を学ぶことです。
僕らが人に依存せず、直接神様を求め、聖書のみことばを求め、聞き、判断し、従うことができるようになりますように。神様、どうぞ憐れんでください
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