2025年8月19日火曜日

2列王15.23-30

 2列王15.23-30


先生とか親とか上司とか、とにかく目上の人が気に入らないのはよくある話です。あの人のせいで不幸だ、あの人さえいなくなれば…と思い、力のある人は相手を追い出したりします。

イスラエルの歴史はその繰り返しです。王様は嫌われ、妬まれ、命を狙われます。家来が謀反を起こして王様を殺し、殺した家来は王様になり、その王様もやがて次の家来に殺されることが何度も書かれています。



"ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。

彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。

彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。"

列王記 第二 15章23~25節



ペカという家来は王様と側近2人を殺して王様になりました。

ところが、彼もまた同じように家来に殺されます。まるでブーメランのようです。政権を取った時はヒーローだったかもしれないけど、結末は謀反で殺されるか、敵国に殺されるかです。ペカは王を殺して王様になりましたが、同じように謀反で殺されました。



"そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。"

列王記 第二 15章30節



イスラエルの王権の歴史はこの繰り返しですが、イエス様はそのように剣で権力を奪うことを次のようにおっしゃっています。



"剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。"

マタイの福音書 26章52節



権威や権力を欲しがり自分の欲望ために行動する人の結末を聖書は次のようにも書いています。



"思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り…

ガラテヤ人への手紙 6章7節



肉のために蒔くとは、憎しみや妬みやプライドや肉欲のために動くことです。それとは正反対に神様のための行動を「御霊に蒔く」と言います。聖書はその時にも報いがあり、神様が素晴らしい結果を与えてくださると言っています。



"御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。"

ガラテヤ人への手紙 6章8-9節



大事なことは、悪に対して善で返すことです。聖書は「意地悪な主人にも従いなさい。」「不当な苦しみを受けながら、(…中略…)神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。」と言います。



"すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。

しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。

もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。"

ペテロの手紙 第一 2章17~19節



これが御霊のために動くことです。損だとわかっても忍耐し、赦し、祈り、良いことをすることです。意地悪な主人に従ったり、赦したり、愛したりするなら、神様は喜んで祝福して下さいます。また相手の不正や悪は神様がちゃんと裁き、復讐をしてくれます。



"愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。

次のようにも書かれています。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」

悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。"

ローマ人への手紙 12章19~21節



最高のお手本はイエス様です。イエス様はこの世界を作り、一瞬で敵を消し去ることができる力がある神様の子です。だのに、その権力を捨て、小さな弱い人の側に来てくださり、悪くないのに悪者にされ、有罪とされ、神にも人にも捨てられ、さばれる側になってくださいました。



"キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、

自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。"

ピリピ人への手紙 2章6~8節



十字架は有罪判決のしるしです。イエス様が裁かれる側に来てくださり、有罪とされ、殺されました。このイエス様の姿は僕らのお手本です。低くなって罪人にさえ自分を明け渡したイエス様に、神様は最高の栄誉を与えてくださいました。



"それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。"

ピリピ人への手紙 2章9節



あなたが今やっつけてやりたい相手は誰でしょう。神様はそんな僕らに言われます。



"主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。

怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

悪を行う者は断ち切られ主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。"

詩篇 37篇7~9節



自力でやっつける道か、善で返す道か、「あなたはどちらを選びますか?」と問いかけているようです。大丈夫です。悪に対して善で返しましょう。御霊がそれをさせてくださいます。その先には大きな報いと栄光が待ってます。ハレルヤ!



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