2022年12月23日金曜日

ヨブ5章

 罪の基本は「神様のようになれる」というものです。(創世記3章)自分はわかっている、と思い、相手の欠点を見つけ出し、それを教えて直してあげたい傲慢さが僕らにはあります。苦しむヨブを見たときに、友人たちは最初はただ驚き何も言えませんでしたが、やがて「あなたの苦しみはあなたの罪が原因だ。」と非難するようになっていきます。友人のエリファズは言います。


(4章7-9節)

さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。彼らは神の息吹によって滅び、御怒りの息によって消え失せる。


エリファズのヨブへの断罪はエスカレートし、苦しむヨブのことを「愚か者」「浅はかな者」と言い、ヨブは繁栄したけども子どもたちは押しつぶされて死に、救われなかった、非難します。


(5.2-4)

苛立ちは愚か者を殺し、ねたみは浅はかな者を死なせる。

私は愚か者が根を張るのを見て、ただちにその住まいを呪った。

その子たちは安全からはほど遠く、門で押しつぶされても、救い出す者もいない。

 

エリファズは繰り返して「不幸は自然に出たのではなく、あなたに原因がある」と言い続けます。


(6)

まことに、不幸はちりから出て来ることはなく、労苦は土から生え出ることはない。

 

苦しみ悩むヨブの前で、彼は神様の素晴らしさや偉大さ羅列し賛美しますが、そこにも「ヨブは悪賢い者だ、苦しみは神様からの裁きだ」という当てこすりがあります。

 

(9-11)

神は、測り知れない大いなることをなし、数えきれない奇しいみわざを行われる。地の上に雨を降らせ、野の面に水を送られる。神は低い者を高く上げ、嘆き悲しむ者は安全なところに引き上げられる。

 

(12-13)

神は悪賢い者たちの企みを打ち砕かれ、彼らの手は良い成果を得られない。神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえ、彼らのねじれたはかりごとは突然終わる。

 

エリファズの説教や賛美は半分は真実ですですが、全くヨブの出来事を理解していませんでした。彼の気持ちも理解しようともしていません。わかったつもりの上から説教ですヨブの場合は神様の裁きでも懲らしめでもなく、特別なご計画の中でした。(1章)何も知らないエリファズはヨブに「悔い改めれば回復する」と教えてあげます。

 

(17-18)

ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。だから、全能者の訓戒を拒んではならない。神は傷つけるが、その傷を包み、打ち砕くが、御手で癒やしてくださるからだ。

 

本質を知らないままに自分の知恵を振りかざして「神様はこうだ」「あなたはこうだから悪い」と教えるのは傲慢です神様の思いは僕らよりもはるかに高いです。(イザヤ55.8-9)この傲慢さは牧師とか先生と言われる人が陥りがちですエリファズの説教は半分は正論です。でも、それをヨブの状況に当てはめるのは間違いでした。


(1コリント8.1)

知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。


神様の思いは僕らの考えよりもはるかに高く、予想を超えています。簡単に決めつけたりわかったつもりになる傲慢さが砕かれ、いつも主の前にひれ伏して聞いていく者でありますように。 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿