2022年12月23日金曜日

ローマ8.18-30

 僕たちは、イエス様を信じてちょっとだけ変えられれました。ほんの少し、でも大丈夫ですちょっとだけ実をを結ぶことを聖書は「御霊の初穂」と言います。桜の花がちょっと咲くとやがて満開になるように、僕らもやがて完全にイエス様と同じように完璧に作り替えられます。今はそれを願ってうめいています。


23

それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。


桜が満開になるように全てが栄光の姿に変えられます。僕ら人間だけでなく、世界の全てが変えられます。今は自然界が崩れ、汚染され、災害や異常気象で苦しんでいます。それが、将来は栄光に変えられます。カッコの中は解説です


19-22)

被造物(自然界の全て)は切実な思いで、神の子どもたち(イエス様に完全に似るように作り変えられた人々)が現れるのを待ち望んでいます。(…中略…)被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。


今の苦しみは人間も自然も「産みの苦しみ」です産んだ後には喜びが満ちています。今はその陣痛のようだと聖書は言います。作り変えられた後の喜びの世界がどうなるか、イザヤ書やエゼキエル書は預言しています。そこに肉食はなく、自然界全てが調和しています。


(イザヤ 11:6-9 

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。

雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。


(エゼキエル 47:9 

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。


(エゼキエル 47:12

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。


今、不完全な僕たちはお祈りさえもちゃんとできないものですこれも「初穂」のようです僕らは弱くてちょっとしか祈れないのに、御霊が祈ってくださっています。そして、やがて僕らは御霊と同じように完璧に全てを知って祈る人に変えられます。


26-27

同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです


だから今、上手に祈れなくて大丈夫です祈ってくださるのは御霊です。祈れません、わかりません、と言うのは真実な祈りですお祈りが上手いとか下手とかは意味がありません。全員「どう祈ったら良いかわからない」人間です。それでも、御霊が僕らに住んで、祈ってくれます。しかも、その弱さ、苦しみ、全てを良いことに変えてくださいます。


28-30)

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。


今マイナスなこと、うまくいかないこと、苦しいこと、悲しいこと、全てが将来良いことに作り変えられます。むしろ、今の弱さや悲しみや苦しみが用いられて栄光のために働いて益とされます。悲しく苦しいこと全てが将来の栄光のためのイントロに用いられるようです。苦しみは栄光のための通過点です。ならば、全てを感謝しましょう。弱さを喜びましょう。全ては益とされます。神様のご計画はすごすぎます!

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