神様は僕の味方です。そしてあなたの味方です。イエス様が死ぬことよりも、僕らが大事なのです。信じられない、言葉にできない愛です。だから、誰も僕たちに敵対することはできないし、誰も僕らをこの愛から離せません。
(31節から32節)
では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
この世は僕たちを攻撃します。僕たちが価値のない人間のように言い続け、失敗や欠点を責め続け訴えます。けれども、誰がなんと言おうとも僕たちは無罪です。神様は今日も無罪宣言をし、イエス様もまた、今日も僕たちのためにそれを祈り続けてくれてくださり、イエス様の祈りは聞かれます。僕らは今日も赦され、無罪だと言われています。
(33節から34節)
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
どんな苦しみも、この世のどんな大きな権力もこの神様の愛から僕たちを引き離すことができません。イエス様よりも僕たちを選んでくださった神様です。この愛より大きなものは何もありません。この世で苦しめられ殺されることがあったとしても大丈夫です。僕らは神様から栄光を受け、圧倒的な勝利者となります。
(35節から39節)
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(…中略…)しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
神様は今日も僕の味方です。そしてあなたの味方です。イエス様が死ぬことよりも、僕らが大事なのです。感謝しかありません。ハレルヤ!
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