2022年12月30日金曜日

ホセア6.6

僕らはすぐ愛の心を忘れてしまいます。うわべだけの行動になりがちです。神様が願っておられるは僕らが心から神様を愛し愛される関係ですそして人と人が愛し合う関係です表面だけの良い行いやルールを守ることよりも、神様が願っておられるのは真実の愛です


(3)

私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。


「主を知る」とは神様と親しく心から交わることです


(6)

わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。


イエス様もホセア6章6節を何度も引用されています。イエス様が願ったのは罪人が神様と交わりを回復することですルールを重んじることで「私は正しい」と思う人たちは罪人と交わるイエス様を非難しました。でも、イエス様はホセア書の言葉を引用して答えます。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは正し い人を招くためではなく、罪人を招くためです。」 (マタイ9.13)イエス様の願いはルールを守ってカタチを整えることではなく罪人が神様と交わり、人々が真実に愛し合うことでした。神様は今日も僕らが心から神様と交わることと、人と人が心から愛し合うことを願っておられます。


僕ら人間はいつも見える形にとらわれ人をさばきます。弟子たちが安息日に麦畑の穂を摘んで食べていた時も律法学者はさばきました。ルール違反だ、と。その時にもイエス様はホセア6章6節を引用されます。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』ということがどうい う意味かを知っていたら、あなたがたは、咎のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。」(マタイ12.7)ここでもルールを重んじることよりも神様が愛とあわれみを喜んでくださることを説明しておられます。イエス様はおっしゃいました。『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽 くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物 よりも、ずっとすぐれています。」(マルコ12.32-33)ここでもホセア6章6節のことを言っています。


僕らはすぐ愛を忘れてうわべだけ良く見える行動になりがちです真実の愛こそ神様が願っておられることですカタチではありません。僕らの全ての行動が今日も神様が与えてくださる真実の愛によりますように。


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