2025年3月26日水曜日

ルカ16.14-31

 ルカ16.14-31


お金=悪ではないけど、お金で願いが叶ったり、周りからチヤホヤされるようになると神様との関係が遠くなっていく傾向があるようです。傲慢になり、本気で神様にすがり、求め、願うことをしなくなりがちだからです。だからイエス様は「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」とおっしゃいます。(ルカ18.25)聖書は神様を求め従う人に豊かな収穫を与えると教えています。(申命記28章など)…ですが、お金が目的ではありません。多く与えられるているなら、それは神様を愛し、感謝し、神様のために使うためです。贅沢して威張るためのものではありません。

僕らは弱いもので、神様よりもお金、神様よりも賞賛を求めがちです。それは「神の前では忌み嫌われる」とハッキリ言われています。(ルカ16.15)



"金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた。

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。"

ルカの福音書 16章14~15節



富と名声を手に入れて永遠の苦しみに落とされるなら意味がありません。そのような死後の苦しみをイエス様はリアルに教えてくださいました。



"ある金持ちがいた。紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい人が寝ていた。

彼は金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。犬たちもやって来ては、彼のできものをなめていた。

しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。

金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。

金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』

するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。

そればかりか、私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。』"

ルカの福音書 16章19~26節



僕らへの警告です。今預かってるお金は神様を愛し、隣人を愛するためのものです。預かってるものが少なくて飢えていたとしても、それは神様からの報いを信じて忍耐するためのものです。将来、必ず報われます。



"イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。

今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。"

ルカの福音書 6章20~21節



富と名声に満足して神様を忘れるなら、その人はあわれです。



"しかし、富んでいるあなたがたは哀れです。あなたがたは慰めをすでに受けているからです。

今満腹しているあなたがたは哀れです。あなたがたは飢えるようになるからです。今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。

人々がみな、あなたがたをほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの先祖たちも、偽預言者たちに同じことをしたのです。"

ルカの福音書 6章24~26節



この世と神様の両方に仕えるのは無理だとイエス様はおっしゃいます。



"どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」"

ルカの福音書 16章13節



ただ神様だけを求めましょう。地上では忍耐だけだったとしても、必ず大きな報いの日が来ます。この世のもので満腹して神様を忘れることがありませんように。富と名声は全て主のものです。神様に捧げましょう。僕らが思うよりずっと大きな報いと喜びの日が待ってます。もし今貧しくても神様を愛し信頼しているなら絶対に大丈夫です。ハレルヤ!



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