マルコ11.1-7
この世の王様は民衆から奪い、金と権力で支配します。ところが、本当の王であるキリストはへりくだり、まるで自分が下であるかのようです。王であるキリストは人から借りた家畜小屋で生まれ、寝かされたベッドは借りたえさ台でした。(ルカ2.7)大人になっても自宅はなく、枕するところもなく(ルカ9.58)、借りた舟で移動し、借りた部屋で過越の食事をしました。この後、人から借りた墓に葬られます。世界の支配者である神の子は、何も持たない貧しい人のように過ごします。キリストが王として正式にエルサレムに入城することは旧約聖書の預言の通りでしたが、この時も人から借りた子ろばでした。
(1-6)
1,さて、一行がエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニアに来たとき、イエスはこう言って二人の弟子を遣わされた。
2,「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。
3,もしだれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しします』と言いなさい。」
4,弟子たちは出かけて行き、表通りにある家の戸口に、子ろばがつながれているのを見つけたので、それをほどいた。
5,すると、そこに立っていた何人かが言った。「子ろばをほどいたりして、どうするのか。」
6,弟子たちが、イエスの言われたとおりに話すと、彼らは許してくれた。
7,それで、子ろばをイエスのところに引いて行き、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
イエス様は、人から子ろばを借りるときに、礼儀正しく誠実に「すぐに、またここにお返しします」と言うように弟子たちに頼み、子ろばを借りています。貸していただく、という下の立場に立っています。へりくだり、ろばに乗ってエルサレムに入城することは本物の王であることのしるしであり、やがて世界を軍事力でなく平和で支配することの預言のしるしです。
(ゼカリヤ 9:9)
シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。
金と力で上から支配するこの世の王とは真逆です。この柔和さとへりくだりが王のしるしでした。イエス様が今まで教えてきた謙遜さの実例です。「偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。(…中略…)あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。(…中略…)人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10.42-25)
イエス様はいつも貧しい人の側に立ってくださいます。そして僕らにも「へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。」と言っておられます。(箴言16.18)主がそのような方だからです。今日もイエス様と一緒に人に仕えましょう。イエス様の御霊が僕らの中に住んでおられます。僕らの心がイエス様の心と一つになりますように。
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