2023年3月23日木曜日

マルコ11.27-33

 マルコ11.27-33


神様はお金で動くことがありません。人が作ったルールとか人から良く思われることなどに縛られることもありません。ところが、イエス様の時代には神殿はお金で動く場所になり、人間が作った権威や組織が支配する場所になっていました。イエス様はそれを怒り、本来の祈りの家としての場所に戻すために、強制的にそれをやめさせました。



(15-17)

15,こうして彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。

16,また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった。

17,そして、人々に教えて言われた。「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」



当時神殿を管理していた人たちは許せません。「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し」ました。(18)彼らはイエスを下に見て「あいつは田舎から出てきたただの自称預言者。学歴もないし権威もない」と思いたかったようです。そんなイエスが今までの神殿のやり方を壊してしまったことは、絶対に許せません。彼らはイエス様に問い詰めます。



(27-28)

27,彼らは再びエルサレムに来た。イエスが宮の中を歩いておられると、祭司長たち、律法学者たち、長老たちがやって来て、

28,こう言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたに、これらのことをする権威を授けたのですか。」



神様の神殿はいつの間にか祭司長たちや律法学者たちのものに変わっていました。人は神様より自分の利益や立場を守ろうとしがちです。口では主よ、主よ、と言っている宗教家が本音では自分の栄光や立場を求めるのは偽善です。イエス様は彼らに答えます。



(29-33)

29,イエスは彼らに言われた。「わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。そうしたら、何の権威によってこれらのことをしているのか、わたしも言いましょう。

30,ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。わたしに答えなさい。」

31,すると、彼らは論じ合った。「もし、天から来たと言えば、それならなぜ、ヨハネを信じなかったのかと言うだろう。

32,だが、人から出たと言えば──。」彼らは群衆を恐れていた。人々がみな、ヨハネは確かに預言者だと思っていたからである。

33,そこで、彼らはイエスに、「分かりません」と答えた。するとイエスは彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」



律法学者、祭司たちはヨハネを認めたくありません。ヨハネから「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。」と言われました。(マタイ3.7)ヨハネを認めてしまうと自分のやってきたことが否定されます。かと言ってヨハネを否定すると民衆から嫌われます。民衆は「ヨハネは確かに預言者だと思って」いたからです。(32)彼らは群衆を恐れていました。


彼らが恐れているのは神様ではなく、人です。そして、欲しいのは神様の栄光とか主権ではなく自分の立場や利益です。

教会も油断するとすぐにこうなりがちです。人間が作った権威やルールやお金で動く場所になったり、人の顔色で意思決定する場所になってしまいます。教会は祈りの家です。教会が求めるのは主の栄光と力です。反対に、罪が求めるのはいつも自己保身、自分の栄光、自分の利益、自分の権威です。今日も人ではなく、自分でもなく、神様を求めましょう。国も力も栄光も永遠に神様のものです。僕らが恐れるべきはただ一人、神様だけです。ハレルヤ!

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