ルカ17.5-19
「薄い氷の上で強い信仰」を持つよりも、「分厚い氷の上で小さな信仰」を持つほうが安全です。ぐらつく足元で「信じよう、信じよう」とがんばるより、大きな神様の愛と保護の中で安心している小さな信仰の方が健全です。信仰とは神様への信頼です。信仰とは神様への安心感です。信仰とはパパ大好きな子がパパの近くで安心しているかのようです。パパは絶対に信頼を裏切らないし、絶対に悪い事はしません。しかも、パパが言ったことは必ずその通りになります。その子は喜んでパパに従います。パパのことばはその通りになるし良いことが起こるからです。その子は自分の願いと違っても、人から失敗だとかダメだったとか言われても安心しています。パパの計画はもっとすごいと知ってるからです。信仰者とは、そんな子どものような人です。その子の力は関係なありません。ただパパを喜び、信頼し愛し、喜んで従っているだけです。
ある時、ツァラアトに冒された10人が、イエス様に癒しを求めました。イエス様は癒された自分の体を祭司に見せなさい、とおっしゃいました。まだ癒されていないのに、イエス様はもう癒されたかのように祭司のところに出かけなさい、とおっしゃいました。当時、祭司は「あなたは癒された。あなたはきよい。」と宣言してくれる役目でした。
彼らは病気のまま祭司のところに出かけます。イエス様がおっしゃった通りになると信じたからです。そして言われた通りに途中できよめられました。信仰とは信じて動くことです。信仰は神様の安心感の中で行動させてくれます。
"さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた。
ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。彼らは遠く離れたところに立ち、
声を張り上げて、「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と言った。
イエスはこれを見て彼らに言われた。「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中できよめられた。"
ルカの福音書 17章11~14節
「きっとうまくいく」と思う人は、信仰がある人です。神様がおっしゃったことは実現するからです。自分の思い通りじゃなくても、神様は最善をしてくださいます。神様を信じる人は恐れることがありません。自分の力ではないからです。逆に「きっと失敗する」と思って足がすくむ人は悪い将来を信じ、また自分の力で対処しようとする人です。イエス様は癒された病人に「あなたの信仰があなたを救ったのです。」とおっしゃいます(19)信じた人は信じた通りに救われました。10人の病人はイエス様を信じて行動し、その通りに癒されました。
信仰は熱心さとか量ではありません。神様を信じるか、それ以外の情報を信じるかの2択です。小さなからし種のような信仰であっても、信じる1択であれば、それは大きく動きます。そして神様のおっしゃった通りになります。
"使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。"
ルカの福音書 17章5~6節
疑うか疑わないかです。疑わないのが信仰です。疑わない小さな信仰で十分です。僕らが神様から選ばれたのは、信仰によって神様を体験し、ますます信頼し、愛し、ほめたたえるためです。癒されるのが目的ではありません。10人の病人は癒されましたが、感謝してイエス様のところに戻った人は1人だけでした。
"そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人であった。
すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。
この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」
それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」"
ルカの福音書 17章15~19節
今日も神様を信じましょう。祈る時は信じて祈りましょう。求める時は信じて求めましょう。ビクビクしないで、信じて踏み出ましょう。それは賛美と感謝を生み出します。小さな信仰で大丈夫です。絶対に神様は悪いことはしません。ハレルヤ!
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