詩篇73篇
他人の態度や言葉に心がかき乱され、自分を見てもがっかりすることがあります。人を妬ましく思ったり、腹立たしく思ったりもします。1パーセント以下のクリスチャンしかいない日本では、神様を知らない人たちの方が豊かで繁栄しているように見えます。そんな気持ちを詩篇は代弁してくれるかのようです。
"けれどもこの私は足がつまずきそうで私の歩みは滑りかけた。
それは私が悪しき者が栄えるのを見て誇り高ぶる者をねたんだからだ。"
詩篇 73篇2~3節
うまく行っている人から苦しめられることもあります。「どうして…」と言いたくなるような苦しみです。
"実に彼らの死には苦痛がなく彼らのからだは肥えている。
人が苦労するときに彼らはそうではなくほかの人のように打たれることもない。
それゆえ高慢が彼らの首飾りとなり暴虐の衣が彼らをおおっている。
彼らの目は脂肪でふくらみ心の思い描くものがあふれ出る。
彼らは嘲り悪意をもって語り高い所から虐げを言う。
彼らは口を天に据えその舌は地を行き巡る。
それゆえこの民はここに帰り豊かな水は彼らに汲み尽くされる。
そして彼らは言う。「どうして神が知るだろうか。いと高き方に知識があるだろうか。」
見よこれが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで富を増している。"
詩篇 73篇4~12節
聖書は僕らがどんなに苦しみ、心がつき刺されたとしても、神様の愛は変わらず、神様は私たちを離さず、最後には栄光に入れてくれることを明言しています。イエス様もおっしゃいます。「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。」(マタイ5.11)
"しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。
あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。"
詩篇 73篇23~24節
「幸せ」とは神様のそばにいることです。周りがどんなに荒れても、神様の近くには完全な愛と平和があります。「私にとって神のみそばにいることが幸せです。」(28節)
不安や妬みや悲しみを告白するときに、聞いてくださり、「右の手をしっかりとつかんで」「私を諭して」(23-24)神様に目を向けさせてくれるのは神様ご自身です。
"あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。
この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。"
詩篇 73篇25~26節
神様と一緒にいることが幸せです。しかもなくなることのない幸せです。苦しみがあっても孤独になっても、神様だけは見放すことがありません。
家族も友人も神様ではありません。愛し抜いてくださるのは、神様ただお一人です。
聖書はあなた(神様)の他に幸いはないといいます。神様に目を向け、神様に受け入れられ、神様に喜ばれることだけが、僕らの望みです
"しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。"
詩篇 73篇28節
今日も他人の態度や言葉にかき乱されがっかりすることがあるかもしれません。神様に目を向けましょう。今日も僕らを喜び、受け入れ、手を握っていてくださっています。最後には想像を超えた喜びと栄光に招き入れてくださいます。
"しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。
あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。"
詩篇 73篇23~24節
神様の近くにいることだけが幸せです。大丈夫です。希望をもって忍耐するなら、喜ばれています。ハレルヤ!
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