ルカ2.1-20
イエス様はこの世界を作り、この世界を支配する神であり、王であり、全ての富と賞賛と栄光を持っている方です。イエス様は自分でどこで生まれるか、どんな生活をするか、どんな人と交わり友達になるか選ぶことができる方です。そのイエス様があえて選んだのが、産まれた時から歓迎されず居場所がない赤ちゃんとして、自分から家畜の餌入れに寝かされることでした。
"ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。"
ルカの福音書 2章6~7節
この生活は生涯続きます。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」(ルカの福音書 9章58節)この救い主が産まれたことを一番最初に知らされたのは、同じように寝る場所がない人たちでした。当時の羊飼いたちは人口にも数えられないような扱いをされていた人たちです。彼らは羊たちと一緒に野宿をしていました。イエス様は最初から彼らと近くあることを選びました。
"さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」"
ルカの福音書 2章8~12節
どんなに貧しくのけ者にされていてもイエス様は味方です。イエス様は弱く小さい人、権利のない人、人から無視される人の側に来てくださいました。最後は神様に捨てられる罪人側の代表として、神様に呪われ裁かれ、十字架の上で恥辱を受け殺されました。イエス様は弱く汚れた側に来てくださった救い主です。イエス様の願いは全ての人が恐れではなく安心と喜びの中に生きることです。天の御使いたちは地上での平和を願い、歌いました。
"すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」"
ルカの福音書 2章13-14節
イエス様は今日も弱い人や虐げられている人の味方です。汚れた罪人を憐れみ見捨てない方です。この救いは力のある人、お金のある人、家のある人だけのものではありません。心貧しい人は幸いです。罪を悲しむ人は幸いです。イエス様は自分から罪人や収税人と交わり、ツアラアトの病の人に触れ、男に依存し渇いているサマリヤ人の女性に福音を示し、盲人を癒し、子どもたちを愛し迎え喜び祝福する方です。イエス様が来てくださったのは、「この民全体に与えられる、大きな喜び」です。(10)産まれた時から歓迎されない赤ちゃんは今も大勢います。居場所がない人もたくさんいます。イエス様は彼らの味方です。「飼葉桶に寝ているみどりご」これがしるしです。ハレルヤ!
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