ルカ1.67-80
神様はアブラハムに対して「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。」とおっしゃいました。(創世記 12章3節)
この約束は今も有効です。しかも、クリスチャンに対しても同じです。(ガラテヤ3章9節)
アブラハムの子孫であるイスラエルの味方は神様の味方、そして僕らクリスチャンを祝福する人は神様に祝福されます。逆に彼らや僕らを呪う人は呪われます。イスラエルが、そして僕らが攻撃され、死の不安に怯えて生きる事は神様の御心ではありません。
イエス様を妊娠したときのマリアも、そして預言者ヨハネが生まれたときのお父さん、ザカリヤもまずはこれを思い出して感謝しています。マリアは次のように賛美します。
"主はあわれみを忘れずに、そのをしもべイスラエルを助けてくださいました。
私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」"
ルカの福音書 1章54~55節
ザカリヤは次のように賛美します
"主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。
私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく。"
ルカの福音書 1章72~75節
それでもイスラエルはいつも敵に囲まれてきたし、クリスチャンも苦しみます。なぜ祝福されるはずの神様の子供たちが苦しみ、不安の中にいるのか?それは、彼らが神様以外を選び、神様に聞き従わないことで自分から祝福を手放しているからです。
"見よ、私は今日、あなたがたの前に祝福とのろいを置く。
祝福とは、私が今日あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従った場合であり、
のろいとは、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が今日あなたがたに命じる道から外れて、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行った場合である。"
申命記 11章26~28節
それでも神様の愛や憐れみはなくなることがありません。預言者ヨハネは人々の罪が赦されるために、悔い改めるように教えた人です。救いと罪の赦しはセットです。そして、赦しと悔い改めはセットです。その人は必ず祝福されます。
"幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。
これは私たちの神の深いあわれみによる。
ルカの福音書 1章76~78節
ヨハネが大人になってからのメッセージはかなり厳しいものです「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。」(3章8節)
アブラハムの子孫だからといって自動的に祝福されるのではなくて、罪を認めて悔い改めることが大事です。この一見厳しいメッセージは愛であり恵みであり憐れみです。
イスラエルが、そして信仰者たちが攻撃され不安に怯えて生きる事は神様の御心ではありません。
"これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」"
ルカの福音書 1章78~79節
神様のイスラエルと教会に対する祝福の約束と誓いは無くなっていません。ザカリヤもマリアもこれを思い出して感謝しています。
今日も僕らはこの祝福の中にいます。この光の中を歩みましょう。この平安と喜びの中を歩みましょう。そして、いつも罪を捨てていきましょう。この祝福される約束は無くなっていません。大丈夫です。ハレルヤ!
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