2024年4月14日日曜日

ヨシュア4章メッセージ  「今までも、これからも主に従うことが勝利」

 ヨシュア4章メッセージ  「今までも、これからも主に従うことが勝利」  

4/14 50周年記念礼拝

イエス様は「わたしの教会を建てます」おっしゃいました。誰のものでもありません。牧師のものでもなく、先輩たちのものでもなく、イエス様の教会です。東栄福音キリスト教会は最初からイエス様がお作りになり、50年間イエス様が導いてこられました。100%神様の主権、神様の栄光です。そして、神様の憐れみです。滅んで当然、裁かれて当然の僕らが神様に赦され、集められて、50年も愛されて来ました。当たり前ですが、改めて、自分達の考えとか手柄とか、頑張ったとか、そのようなものを全てイエス様にお返しして、もう一度、栄光と感謝と賛美をささげます。


●全てが神様の恵みと栄光


私たちのものでなく、全てが神様の恵みであること、全てが神様の力であったことを言葉にすることは、僕らを高ぶりから守ります。そして、反対に僕らを絶望や落ち込みから守ります。

良くしてくださったことも、苦しかったことも、全部が神様が与えてくださったものです。私たちから出たものはありません。


今でこそOMFのビルは立派ですけど、最初は古い木造一軒家のOMF事務所でした。そこでやっている英語クラスに通っていた美保さんが信仰を持って洗礼を受けました。その後は宣教師の自宅のアパートで礼拝をしていたそうです。


すべての主権と栄光は神様のものですが、先輩たちが神様に用いられたのも事実です。何も日本語がわかんないまま日本に来て、あいうえおから練習して片言の日本語で、イエス様の福音を伝えてくださった先輩たちに私はもう一度敬意を示したいと思います。


想像してください。皆さんがこれから、習ったことのない言葉を練習して、見たこともないような国に行ってイエス様を伝えることを想像してください。インターネットも携帯もない世界で、Google翻訳のない時代、手紙を書いて出しても何ヶ月もかかる世界を想像してください。しかも、日本語はかなり難しいと言われているし、もっとしんどいのは、日本人がイエス様を信じることはかなり難しいと言われています。当時も今も日本は宣教師の墓場だと言われているそうです。張り切って日本に行っても、何年も関係作りをしても誰もイエス様を信じない、そのような国です。そこに教会ができたのは奇跡です。


神様が行けと言わなければ絶対に行かないと思います。行けと言われても躊躇するし、わからないことが多すぎます。不安要素が多すぎます。不安を解消する情報はありません。頼るものはありません。ただ、頼るのは神様のことばだけです。50年前60年前の先輩たちはそうやって日本に来てくださいました。


人生をささげて、全部を手放してただ神様だけを頼って来てくださった先輩たちを本当に尊敬します。当時の先生たちは90代になり、召された方々も多くおられます。最初の頃、45年前に始まって間もない東栄教会を牧会してくださった90代のトレボ先生ご夫妻のメッセージを最初に紹介します。


※ビデオ


東区にはすでに栄福音キリスト教会があるから、そこと合併してください、東栄教会はいらない、新道東の近くに教会は必要ないという話が何度もあったそうです。それでも、神様の計画は人の思いと違ったようです。


この先輩たちが関わってくださり教会を建て今に至りますが、すべてが神様の力と恵みを表すものです。人間の力ではなかったことは明らかです。


今日、2024年にこのように集まって神様を賛美していることが神様の奇跡です。

20代の人が多いのも奇跡です。先月サムライプロジェクトという教会インターン制度を応援するプロジェクトでお話しする機会があって、東栄教会の歴史を簡単に振り返る機会がありました。そしたら、いわゆるフルタイムの献身者と言われる人が50年で東栄教会から20人起こされ用いられていることがわかりました。これも神様の奇跡です。


いい面だけではなく、暗く悲しいこともたくさんありました。高ぶりの罪、性的な罪、裁きあい、攻撃しあうような交わりになってしまった時期もありました。それでも50年間続いて来たのはただ、イエス様が憐れみ、赦し続け、見放さず、見捨てずに、天でとりなし、十字架を通して赦し続けてくださったからです。今日も僕らが集まっているのは神様の赦しと憐れみです。偉くなったのではありません。100パーセント神様の憐れみです。僕らには何も誇りはありません。今日の礼拝が、全て神様にだけ感謝と栄光を捧げる日になりますように。そして、その憐れみと恵はこれからも続きます。主の恵はとこしえまでです。私たちに手柄はありません。忍耐して赦し続けてくださった神様の恵です。


神様の願いはこれからも実現します。神様の願いは、聖書に書かれています。全てが神様の力です。


●聞いた通りに行うことが勝利


神様は言葉だけで世界を作り、今も言葉だけで支配しておられます。光、あれ、とおっしゃると光ができます。神様は全人類の中からイスラエル民族というのを作りました。しかも、ことばだけで作りました。同じように、先祖アブラハムにあなたの子孫は星の数のように増える、とおっしゃったことばで、神様のことばだけで生まれたのが、イスラエルという国です。土地を持たないイスラエルに神様はカナンの土地を与えるとおっしゃいました。ことごとく、神様のことばはその通りになります。


今日読んだのは4章です。そしてこのヨシュア記の最初、1章にこのように書かれています。


(1章2節-3節)

今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。 

わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。 


神様が言った事はその通りになります。まだ与えられていないけど「すでにあなたがたに与えている。」と言われます。僕らは目先の問題を見るけど、神様は時間を超えて神様はもう完成を見ています。神様の言われたことはもう完成しています。後は僕らがそれを信じて言われた通りに従っていくだけです。


人間側に求められているのは神様の言葉に対する信頼です。神様には全く問題がないです。問題が起こる原因は人間側にあります。祝福のために言われた言葉、それが実現する言葉にあえて従わないことは、自分から祝福を手放しているのと同じです。


ヨシュアの時代、イスラエルはまだ土地を与えられていませんでした。でも、神様はすでにあなたがたに与えている。 とおっしゃいます。でも、目の前にはヨルダン川があって渡れません。しかも、この時期ヨルダン川は溢れかえっていて、流れが早くて、すぐに深くなることがわかっています。


まずはヨルダン川を何百万人もの人が渡らなければなりませんでした。神様は言われます。


(3章13節) 

全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。 


祭司たちは、信じて、川の中の水の中に行かなければなりません。その時に神様は水は堰き止められる、とおっしゃいました。彼らは神の言葉を信じて踏み出したんです。


(3章15-16節) 

箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、 

川上から流れ下る水が立ち止まった。(…中略…)


神様はこの川の流れが止まるから、一方踏み出せと言ったんです。そして、その通りにすると水が止まり、道ができました。これは私たちにも適用できます。道ができてから行くのではなくて、みことばを信じて、1歩踏み出したときに道ができます。神様の言葉に従うことが力です


(3章17節) 

主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。 


50年前の宣教師たちには何の力も保証はなかったけど、でも、神様が日本に行け、と言われ、言われた通りにした時に道ができました。同じように、僕らに与えられた保証は、神様の言葉です。みことばは保証だし真実です。信じて言われた通りに踏み出す時に、神様のご計画は進みます。


私たちの苦しみとか試練は、多くの場合はテストです。神様のみことばを聞いて、従って行動するためのテストです。言われたその通りにした時に問題は乗り越えられます。踏み出すまでは問題は大きく見えるし、ムリと思って他の方法を考えます。最初の一歩を踏み出した直後も、まだ何も起こらないかもしれないし、逆に状況は悪くなるかもしれません。それでも、神様を信じて従うことです


この土地に、当時何もなかったモエレのはずれに7000万円もかけて土地をかけて建物を建てることは、しかも少ない人数でそんなことをするのは人間的には無謀に見えます。それでも、ただ神様の導きに従って一歩踏み出した時に、それは実現したし、僕が牧師になった時には借金は全て返し終わって、借金が一円もありませんでした。


ヨルダン川を渡る道ができたのは、みことばに従って、信じて踏み出した時です。


ヨルダン川とは、何千年も前にイスラエルで起こったことだけではなくて、私たちにとっても乗り越えなければならない困難であり、ただ神様によってだけ乗り越えることができる体験です。

神様の御言葉の通りにすることで乗り越えることができる体験です。それがヨルダン川です。


赦しなさい、と聞いたなら、神様を無視しないで、赦すことです。赦します、と祈ることです。どうせ無理、と思って何もしないなら何も起こりません。和解しなさい、と言われたら神様を無視しないで、ちゃんと行動することです。盗みをやめなさいと言われたら謝って返金することです。

礼拝しなさい、と言われたら言い訳しないで、仕事をずらして礼拝することです。集まりなさい、と言われたら集まることです。


理由を探して何もしないなら、道はできません。真理の言葉を曲げて、霊感された言葉を歪めて、多少は従わなくても大丈夫、と言うのなら、そこに道は現れません。捧げなさい、と言われたら捧げることです。手放しなさい、と言われたら手放すこと。へりくだりなさいと言われたら謙ることです。


イエス様は言われます。


(マタイ 7:24-25)

ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。


聞いて行う人こそ、どんな試練の中でも勝利する人です。

反対に聞いても動かない人は悲惨だとイエス様が言われます。


(マタイ 7:26-27)

また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」


信じて言われた通りに川の中に、水の中に足を入れる時に私たちは神様を体験します

無計画に無謀に川の中に行ったのではなくて、神様の言葉に従ったんです。


ヤコブの手紙で行いのない信仰は死んだものだと言っています。

私は信じています。と言いながら決して踏み出さず、川に足を踏み入れない人の信仰は死んでいるといい、意味がないといいます。その倒れ方はひどいものだ、とイエス様がおっしゃいます。


問題の渦中にある人は、まず、神様がなんておっしゃってるかを聞きましょう。そして、自分が神様の言葉を聞いているかどうか、自分は聞いて従っているか、まず自分を調べてみましょう。


先日リバーワーシップスクールの卒業式で田中みちや先生が言いました。みことばを調べるのではなく、みことばで自分を調べることが大事です、と。


私たちにとって乗り越えられないヨルダン川は人間関係の問題かもしれません。家族の危機、夫婦の危機、親子関係の危機かもしれません。経済的な問題かもしれないし、健康の問題かもしれません。自分の高ぶり、やめられない罪の問題かもしれません。調べるべきは、自分が神様の御言葉を聞いて、それに従って一歩踏み出しているかどうかです。従う時に神様の道は現れます。


(3章17節) 

主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。 


イスラエルは神様のことばに従ってヨルダン川を越えました。

自分の努力でも工夫でも知恵でもありません。ただ神様の御言葉を信じて、その通りに行うことが勝利です。


●神様の力を忘れず、伝えるために


この勝利、神様のことばの力を一生忘れないために、神様は石を積み重ねなさいと、言われます。


(5)ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたの神、主の箱の前、ヨルダン川の真ん中へ渡って行き、イスラエルの子らの部族の数に合わせて各自が石を一つ、その肩に担ぎなさい。 


何のために川底の石を取ってきて積み上げるのか、目的が6-7節に書いてあります。


(6) 

それがあなたがたの中で、しるしとなるようにするためだ。後になって、あなたがたの子どもたちが『この石はどういうものなのですか』と尋ねたとき、 

(7)あなたがたは彼らにこう言いなさい。『ヨルダン川の水が主の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。』」 


困難を乗り越えた時に、神様の力の確かさを思い出すために、私たちはそれを忘れないようにする必要があります。100パーセント神様です。憐れみです。恵です。神様のしてくださったこと思い出すようにしないと、いつの間にか自分の手柄のように思うか、反対に神様の力をすぐに忘れてしまいます。


神様の栄光と力を思い出し、感謝と賛美を絶やさないようにするため、そして、次の世代に伝えるためです。高慢にならないため、神様を忘れてしまわないためです。だから、神様は絶対に入れない川底にあったはずの石を積みなさい、とおっしゃいました。22節でも神様は繰り返します。


(22)あなたがたは子どもたちに『イスラエルは乾いた地面の上を歩いて、このヨルダン川を渡ったのだ』と知らせなさい。 

(23)あなたがたの神、主が、あなたがたが渡り終えるまで、あなたがたのためにヨルダン川の水を涸らしてくださったからだ。このことは、あなたがたの神、主が葦の海になさったこと、すなわち、私たちが渡り終えるまで、私たちのためにその海を涸らしてくださったのと同じである。 


大事なのは24節です。


(24)それは、地のあらゆる民が主の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」


「あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」僕らは問題を見て恐れます。でも、恐れるべき方はただ一人、神様だけを恐れることです。神様だけに力があり、神様だけに解決があります。

反対に、いつも僕らは昂りやすいものです。自分で何かを成し遂げようとします。

100パーセント神様です。主の手によって、そのことばによってだけ人生の祝福が、永遠の祝福があります。主を第一とするために、主がしてくださったことを思い出すために、この石を積み上げます。


越えられない川を渡って終了ではありません。神様のプランはもっと大きくその先があって、あの土地を全部あなたがたに与える、という大きなご計画がありました。そして、これからも乗り越えられないような試練がたくさんあります。足がすくんでしまう恐怖に襲われることもあります。


その時に、積んである石を見るんです。あの時は神様の言葉に従うことによって乗り越えることができた、という体験を忘れないための石です。それは彼らにとって力になります。


川を渡って石を積み上げたギルガルは本拠地、基地のような場所になります。毎回、戦いの後にはそこに帰ってきて休息し、回復します。その場所に積まれた石があることが大事です。今まで神様がよくしてくださったことを想い起こす事は力になります。


帰って来て集まって、神様の力と愛を確認し、神様のことばを確認し、讃え、信仰と力を得る場所。川を越えさせてくださった時と同じく、次も神様が勝利を与えてくださることを確認する場所です。みことばに従うことが次の試練を乗り越えることだ、と毎回教えてくれるのがこの石です。


僕らもみことばによって強められ、力を与えられる必要があります。問題や人を恐れるのではなく、神様を恐れるんです。自分の知恵と力で歩むのではないことを確認します。神様の言われたことがその通りになったし、これからもなることを教えてくれる場所が必要です。互いに教える場所は、私たちにとっては教会です。


みことばの約束を聞きもせず、そのままにしておくと目先の問題ばかりが大きく見えて不安になります。足がすくみ、勇気が出ません。自分でなんとかしようと思います。


神様の約束、その力、みことば、そして、主が実際に自分にしてくださったことを思い出して感謝すると私たちには力が与えられます。自分の力によらず、知恵によらず、ただ神様のことばによる勝利です。

クリスチャンにとっての成功体験とは、神様の言葉を信じて一歩踏み出したら、道ができて、乗り越えることができた体験です。


神様が水をせき止めて渡らせてくださった事は神様の愛と力のメッセージでした。次の困難も戦いも神様が道を作ってくれることをあらかじめ知るためです。


地のあらゆる民が、神様の力を知るためです。他の人にも伝えるためです。神様の力によって道が開かれ勝利させてくださったことを他の人に伝えるための方法です。


主を恐れる事は、神様の権威を覚え、平伏して礼拝することです。そのために神様がなさったことをいつも思い出し、ほめたたえることが大切です。


御言葉を思い出すとか、みことばを覚えることは知識ではありません。その通りになる神様の力そのものです。主が言われたことはそのようになること体験すると、僕らは恐れなくなります。次の困難も乗り越えることができる行動と力を与えられます。そして、僕らを高ぶりからも守ります。いつも、聖書を読みましょう、従いましょう、という理由はこれです。その通りになるからです。


そして、それを伝えるように、次の世代に伝えるようにと、神様は言われます。

このことは6節でも、21-22節でも繰り返されます。


神様の力を体験してそれを伝えるのは、全ての人ができることです。特に親が子どもに対してすべきこと、と聖書がいます。それぞれの家庭で子どもたちに伝えていきます。この教会は子どもをお世話してくれる、とか、伝道してくれる、と人任せにしないで、あなたが子どもたちに言いなさい、教えなさい、伝えなさい、と言います。そのための記念碑があるのだといいます。


ギリシャ語学んだ人だけが伝えることができるなんて大間違いです。神学校に行かないと神様の素晴らしさを伝えられないなんて大間違いです。あなたが、あなたに与えられた沢山の恵を、救いの恵、よくしてくださった一つ一つを忘れず、言葉にして、周りの子供たちに、友人に家族に伝えなさい、と聖書は言います。


●まとめ


聞いて、一歩踏み出しましょう。従おう。そして、その体験を忘れないようにしましょう。

神様の恵を語り合い、伝えよう。いつも思い出し、次も神様のことばは必ず実現することを信じて、また一歩踏み出しましょう!次も乗り越えることができます!


50年、神様は良くしてくださいました。100パーセント神様の恵、神様の力です。僕らの誇りはありません。栄光は主のものです。所有権は主のものです。人生も教会も主のものです。そして、次の50年も神様がよくしてくださいます。


もっと大きな神様のプランがあります。全ての人が真理を知って救われることは神様の願いです。神様の言葉に足したり引いたりせずに、そのまま聞いて、信じて、そして、単純に従う時に神様のご計画は実現していきます。子どものようになりましょう。理屈をこねくり回さず、愛して、信じて、従いましょう。神様のご計画は災いでなく、祝福のご計画です。その恵みは永遠に続きます!これからも大丈夫です。ハレルヤ!







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