出エジプト12.1-14
僕らは他人を見ます。そして自分を見ます。そして、さばきがちです。でも、神様が見るのは僕らの行いではなく、イエス様の十字架で流された血です。
(13)
その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。
神様が僕らを裁かず受け入れてくださる理由は、イエス様が十字架の上で血を流し、それによって赦され怒りを免れたからです。
神様がエジプト中の家に裁きを下した時、その裁きを受けないためには羊を殺し、その血を門柱とかもいに塗りなさい、と言われました。神様の怒りが過ぎ越される唯一の理由は、人を見るのではなく、神様が殺された羊の血を見るからです。「わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。」(13)と言われます。
この子羊は、イエス様のことを表しています。イエス様こそ、僕らの罪を取り除き、神の怒りと災いを過ぎ越してくださるために殺された神の子羊です。(ヨハネ1.29、ローマ5.9など)
お正月には僕らは「今年は~でありますように」とか「今年は~をするぞ」などと心を新たにします。イスラエルでは年の初めに思い出すことが決まっています。それは子羊を殺され、神様の怒りが過ぎ越されたことを思い出し、感謝することです。
(1節から7節)
1,主はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。
2,「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
3,イスラエルの全会衆に次のように告げよ。この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。
4,もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
5,あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
6,あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、
7,その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。
毎年、正月の2週間は可愛い、傷のない一歳の子羊を見守ります。(5-6)そして、14日目に家族の前でそれは殺されます。
血が流されたことによって、家族が神様に赦され、裁かれることがないことの確認は、一年の最初にするべきこととなりました。毎年、正月の14日には羊を殺し、その苦しみを家族で見ることで神様が裁きを免除してくださったこと、これからも神様の怒りは過ぎ越されることが1年間の土台となります。
(12-14)
12,その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは主である。
13,その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。
14,この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。
怒りも裁きも過ぎ越されたことは僕らにとっても大事な土台です。今日もイエス様が命を捨てて、血を流して愛し受け入れてくださっています。裁きは過ぎ越されました。これが土台だし、ここからのスタートです。僕らは他人を見て、自分を見てさばきがちです。でも、神様が見るのは僕らの行いではなく、イエス様の十字架で流された血です。
今日も感謝しましょう。十字架こそ全ての土台、スタート、基本です。赦されています。僕も、あの人も。大丈夫です!
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