出エジプト12.15-20
クリスチャンなら神様に感動した体験はあったはずです。涙を流して感謝し賛美した日もあったはずです。ところがいつの間にか感動も感謝も薄れ、自分で稼いで、自分の力で生きてるかのように誤解し始めます。快適さや楽しさを追求することが第一となり、神様への感謝も愛も消えていくのはありがちな話です。
イスラエルは430年間虐待され、そこから救われました。隷属から自由、闇から光、死から命です。彼らはありえない体験をし、感動し賛美します。それでも新しい、ラクな生活に慣れてくると、神様がしてくださった救いの喜びも体験も忘れてしまいます。人間が忘れやすいことをご存じの神様は、エジプトを脱出する前から、決してこの日を忘れないように念をおして命令しています。忘れないように、そして次の世代にも伝え続けるように、です。
神様はエジプトの全ての長子を殺した時、イスラエルだけは裁きに会わずにそこから脱出しました。食べ物の準備などないまま、パンを発酵させる余裕などないまま、その夜はただ急いで脱出しました。
(33節から34節)
エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。
それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。
(39節)
彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。
この日の感動を忘れることがないように、これを毎年思い出すために、年に1週間はパン種を入れない生活をするようにと命令されています。
(14節から20節)
14,この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。
15,七日間、種なしパンを食べなければならない。その最初の日に、あなたがたの家からパン種を取り除かなければならない。最初の日から七日目までの間に、種入りのパンを食べる者は、みなイスラエルから断ち切られるからである。
16,また最初の日に聖なる会合を開き、七日目にも聖なる会合を開く。この期間中は、いかなる仕事もしてはならない。ただし、皆が食べる必要のあるものだけは作ることができる。
17,あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。
18,最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種なしパンを食べる。
19,七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。すべてパン種の入ったものを食べる者は、寄留者でも、この国に生まれた者でも、イスラエルの会衆から断ち切られる。
20,あなたがたは、パン種の入ったものは、いっさい食べてはならない。どこでも、あなたがたが住む所では、種なしパンを食べなければならない。」
1週間、仕事は禁止です。(16)自分の力で稼いでいるのではなく、全てが神様から与えられたものであることを肝に銘じるためです。自分の稼ぎではなく、神様の恵み、神様からの力で生活していることをもう一度思い出すためです。
そして1週間は膨らんだパンは禁止です。調理の時間などなく、奴隷生活からギリギリで脱出できたことを思い出すためです。当たり前の生活を手放して不便さに身を置く事は、今の生活は神様の愛と恵みであることを再確認させてくれます。僕らはパンだけで生きてるのではなく、神様のことばで生きています。(マタイ4.4)
お金に直結する仕事をストップすると、自分の生活が全て神様に与えられているものであることを再確認させられます。仕事のことであれこれ心配していたことが些細なことに見えてきます。断食して二日もすると、自分のいのちは食べ物に依存しておらず、ただ神様に生かされていることがわかります。味の好みは遠のき、ただ食べ物が与えられ生かされる感謝が新たにされます。
私たちはすぐに感動を忘れ、神様を忘れ、自分の力により頼み、自分の快適さや楽しさを中心に考えがちです。神様は週に一度の安息日を命令し、年に一週間の種なしパンの生活を命令されました。それは神様の愛と神様のいのちの中だけで生きていることを確認する日です。あえて苦行する必要は無いけども、けれども、自分の生活を見回してみると、いかに不必要なものを求め、神様以外に頼っているかわかります。一度手放してみましょう。不要なものは捨ててみましょう。神様の愛といのちがはっきりと見えてきます。
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