ルカ2.28-35
イエス様の母マリアは祝福された女性だけども、同時に誰よりイエス様と一緒に苦しんだ人でもありました。僕らもマリアほどではないけどイエス様と一緒に嫌われ、苦しめられる時があります。
救いの光は全人類に与えられているけど全員が受け入れるわけではありません。多くの人々が恐れ、嫌い、拒否する理由があります。それはイエス様が心の奥の隠れた醜いところも照らし指摘するからです。人々はイエス様を拒絶しマリアの目の前で殺しました。「それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」(35)
イエス様が人の罪を明るみに出すのは、医師が隠れている患部を見つけ出すのと同じく癒すためです。ところが多くの人たちは、罪が明るみに出されることを恐れ、隠そうとし、イエス様を嫌い憎みます。
"悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。"
ヨハネの福音書 3章20節
マリアにとって息子が嫌われ拒絶され殺されるのは自分が殺されるのと同じレベルの痛みです。イエス様がまだ赤ちゃんの時からこの苦しみはマリアに預言されました。
シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」"
ルカの福音書 2章34~35節
マリアとはレベルが違うけども僕らも傷つけられる時があります。「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」(ピリピ人への手紙 1章29節) これは悲しいし苦しいけど、神様に喜ばれ天での報いは大きいと聖書は言います。僕らがイエス様と繋がっている証拠です。樹と枝のように、頭と器官のようにです。
"むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。"
ペテロの手紙 第一 4章13節
イエス様と同じように拒絶され傷つけられる時、天では喜ばれています。「喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」(マタイ5.12)マリアは祝福された女性だけども、誰より苦しんだ人です。僕らもマリアほどではないけど傷つき、そして祝福されています。希望を持って忍耐しましょう。天においてあなたがたの報いは大きいです。ハレルヤ!
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