2025年3月31日月曜日

ルカ18.35-43

 ルカ18.35-43


「絶対大丈夫!」と信じて疑わない人は強いです。ある盲人はイエス様に「ダビデの子のイエス様、私はあわれんでください!」と叫び続けました。人々が黙らせようとしても関係ありません。絶対にイエス様が癒してくれる、と信じて疑わないからです。これは思い込みではなくて聖書への信頼です。旧約聖書はキリストが来ると「目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる」と書いてあります。(イザヤ35.5)彼は絶対にそうなると信じて叫び求めました。



"イエスがエリコに近づいたとき、一人の目の見えない人が道端に座り、物乞いをしていた。

彼は群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事かと尋ねた。

ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々が知らせると、

彼は大声で、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と言った。

先を行く人たちが、黙らせようとしてたしなめたが、その人はますます激しく「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫んだ。"

ルカの福音書 18章35~39節



イエス様は信じる彼を呼び、「わたしに何をしてほしいのですか。」と聞かれます。答えは明白です。でも、イエス様はちゃんと願いを言う機会を与えてくださいました。そして、願い求めた通りに見えるようにしてくださり「あなたの信仰があなたを救いました」とおっしゃいます。



"イエスは立ち止まって、彼を連れて来るように命じられた。彼が近くに来ると、イエスはお尋ねになった。

「わたしに何をしてほしいのですか。」するとその人は答えた。「主よ、目が見えるようにしてください。」

イエスは彼に言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」

その人はただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て、民はみな神を賛美した。"

ルカの福音書 18章40~43節



信じる人は強いです。絶対にその通りになることを知っているからです。

神様の御言葉への信頼が僕らを救います。僕らが祈り求め続けるのは、根性とか熱心さでなく、神様が必ず言葉通りにしてくれる、という信頼です。イエス様自身が求めなさい、求め続けなさい、そうすれば与えられます、とおっしゃるからです。僕らもちゃんと願いを言い表し、ちゃんと求めるのは大事です。神様はみことばの通り聞き、答えてくださいます。


不正な裁判官でさえ、何度もやって来て願い求めるやもめに対して、「このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果ててしまう。」と言います。(ルカ18.5)まして神様は僕らを放っておくはずがありません。(ルカ18.7)


僕らに必要なのは神様の言葉を信じて、願い求めることです。神様の真実さと確かさに賭けることです。


イエス様から「あなたの信仰があなたを救いました」と言われるためには、聖書のことばを信じていることが前提です。だから毎日神様のことばを読み、聞き、信じて受け止めることが土台です。この土台を放棄したり、いい加減にしているならグラついて祈る気持ちも起きません。みことばによって「絶対大丈夫!」と思う人は強いです。イエス様は「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」とおっしゃいます。(ルカ18.17)聖書を議論のネタにしたりこねくり回したりしないで、神様の息のかかった言葉そのままとして信じて求めるのが子どもです。みことばを疑う人は、求めることも願うこともしません。


今日も信じて求め続けましょう。神様を必ず聞いてくださいます。みことばは必ず実現します。

今日も子どもみたいに信じて祈り、求め、信じましょう!ハレルヤ!

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