神様がなさることは、僕たちの思いをはるかに超えたものです。
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55.9)
キリスト教の先輩達は聖書の教えを分類し、整理し、まとめてきました。それを「神学」と言います。しかし、神様は神学の中に小さく収まる方ではありません。僕らの限られた頭では理解できないことをなさるのが神様です。
ヨブの友達のビルダデは自分なりの神学を持っていました。彼の考えによると、ヨブの子どもたちが死んだのは、彼らが神様に背き罪を犯したからです。だから子どもたちの分まで熱心に悔い改めて神様に憐れみを求めなさい、そうすれば回復するよ、と教えます。 彼は自分の「神学」の中にヨブの状況を当てはめて理解し、教えます。
(4-7)
もし、あなたの子らが神の前に罪ある者となり、神が彼らをその背きの手に渡されても、もし、あなたが熱心に神に求め、全能者にあわれみを乞うなら、もし、あなたが純粋で真っ直ぐなら、今すぐ神はあなたのために奮い立ち、あなたの義の住まいを回復されるだろう。あなたの始まりは小さくても、あなたの終わりは、きわめて大きなものとなる。
さらにビルダデは自分の教えが正しいことを示すため、先人たちの言葉を引用します。パピルスや葦が枯れてしまうように、神様を忘れる人は枯れてしまうよ、という教えです。
(8)
さあ、先人に尋ねよ。先祖たちの探究したことを確かめよ。
(11-13)
パピルスは沼地がなくても育つだろうか。葦は水がなくても伸びるだろうか。まだ若芽のときに、引き抜かれもしないのに、ほかの草に先立って枯れる。すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消え失せる。
確かに、聖書はそのように教えている面もあります。 しかし、神様のなさることはもっと深く高いものでした。
神様を自分の理解の中に押し込めて上から説教をしていた彼らに神様は怒ります。(ヨブ42.7)神様は神学よりも高いお方です。分からないことがあると認め、 神様のなさる深遠なことをそのまま受け入れていく謙遜さが必要です。神様がなさることは、僕たちの思いをはるかに超えています。ハレルヤ!
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