2022年12月23日金曜日

ヨブ19章

友人たちはヨブを責め続けます。 しかしヨブはどんなに攻撃されても天には自分の無罪を保証して下さる方が天にいると言います。


(16:19)今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。


この方はイエス様です。ヨブだけでなく、僕らの保証人ですどんな酷いことをしたとしても、無罪の宣言をして下さる保証人です


(ローマ8:33-34)

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです


ヨブは19章でも同じように確信しています。自分を「贖われる方」が生きていて、この地上に来られることをです


(25)

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。



「贖う」とはもともとの意味は貧乏になってしまって土地を売り払ったり、落ちぶれて奴隷になってしまった時に、身内の者が買い戻すことです。今、ヨブは全てを失い、人々から見捨てられている状況です。それでも、ヨブは買い戻され、全てを回復します。


(13-19)

神は私の兄弟たちを私から遠ざけ、知人たちはすっかり私から離れて行った。親族は見放し、親しい友も私を忘れた。私の家に身を寄せる者や召使いの女たちも、私をよそ者のように見なし、私は彼らの目に他人となった。私がしもべを呼んでも、彼は返事もしない。私は自分の口で彼に懇願しなければならない。私の息は妻にいやがられ、身内の者たちに嫌われる。若輩までが私を蔑み、私が立ち上がると、私に言い逆らう。親しい仲間はみな私を忌み嫌い、私が愛した人たちも私に背を向けた。



彼はお金も家族も立場も失いました。それでも希望があります。もう一度彼の全てを取り戻し、回復して下さる方が生きています。そしてその方はこの地上に来られ、土の上に立つ方ですイエス様は誰からも捨てられ嫌われるちりのような身分にまで降りてきてくださいました。イエス様こそ「贖う方」です最悪の悲しみの中に降りてきてくださいます。それがイエス様です


ヨブは必ず全てを取り戻します。イエス様によってです僕らも必ず全てを取り戻します。今の僕らの生活はイエス様をお会いする時の素晴らしさに比べれば取るに足りないものです


イエス様は全てを回復させてくださいます。ヨブは自分で神様を見る日がきます。そして僕らも直接イエス様とお会いする日がきます。


(27)

この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。

 

ヨブは贖われます。無罪とされ、祝福を回復します。イエス様によって悲惨な死は喜びに変えられます。僕らが恐れるべきは、命をかけて贖って

下さる神様ですイエス様が無罪と言って下さる人を断罪することはできません。

 

(28-29)

あなたがたが、「彼をどのように追いつめようか。事の原因は彼にあるのだから」と言うなら、あなたがたは剣を恐れよ。憤りが剣による刑罰をもたらすからだ。こうして、あなたがたはさばきがあることを知るようになる。

 

人を罪に定めるのは唯一、イエス様だけがなさいます。僕らは他人を裁くことも自分を裁くこともできません。信じる人は必ず贖われます。大丈夫ですイエス様の与え下さる救いは完璧です

 

 

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