こうすればうまくいく、とか、こうすればこうなる、という人間が作った法則を大切にする人は多いようです。 しかし、現実はそんなに単純ではありません。神様に聞き従ってきたはずのヨブは友人達の笑い者になり、反対に、神様に逆らうものが安らいでいる、ということも起こり得ます。
(4)
私は、自分の友の笑いものとなっている。神を呼び求め、神が答えてくださった者なのに。正しく誠実な者が笑いものだ。
(6)
荒らす者の天幕には安らぎがあり、神を怒らせる者は安らかだ。神がご自分の手でそうさせる者は。
神様は、 「こうだからこうなる」という法則には入らない方です。人が思うより、 ずっと上の、僕らにはわからないご計画をなさいます。
(13-16)
知恵と力は神とともにあり、思慮と英知も神のものだ。見よ。神が打ち壊すと、二度と建て直せない。人を閉じ込めると、開けられない。見よ。神が引き止めると水は涸れ、水を送ると地はくつがえる。力と英知は神とともにあり、迷い出る者も、迷わす者も神のものだ。
人間誰もが信頼していた知恵や力が神様によって取り去られることはよくあります。
(17-22)
神は助言者たちを裸足にして連れ去り、さばく者たちを愚弄し、王たちのかせを解き放ち、彼らの腰に帯を巻き付け、祭司たちを裸足にして連れ去り、勢いある者に道を誤らせる。神は、信頼されている者の唇を取り去り、長老たちの良識を取り上げ、君主たちを侮り、力ある者たちの腰帯を解き、闇から深みをあらわにし、暗黒を光に引き出す。
本物の知恵とは「こうすればこうなる」というものではなく、僕らの思いをはるかに超えた神様を恐れることだと聖書は言います。(箴言1:7)神様は僕らの労苦とは関わりなく国を祝福したり、滅ぼしたりなさる方だからです。聖書は「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。」と言います。(箴言10:22)
僕らが取るべき態度は、簡単に「こうすればうまくいく」と物事をコントロールしようとしたり、神様をコントロールしようとしないことです。神様だけが全ての出来事をご支配なさっている王であり支配者です。今日も祈りましょう。「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」と。(マタイ6.10)
(23-25)
神は国々を栄えさせ、また滅ぼす。国々を広げ、また取り去る。地の民のかしらたちから良識を取り去り、彼らを道のない荒れ地の中でさまよわせ、彼らは光のない闇の中を、手探りで進む。神は彼らを酔いどれのようによろけさせる。
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