2023年1月18日水曜日

1ペテロ2.11-25

 僕らの世界は「やられたらやり返す」「訴えてやる」「負けるな」と教えますが、イエス様を信じ、イエス様のみことばが入ってきた人は新しく変えられます。相手への悪意、仕返し、ののしりから解放されて自由に柔軟に対応できるようになります。


なんと、聖書は意地悪な主人、意地悪な上司、先輩であっても従いなさい、と聖書は教えます。それこそ神様に喜ばれることだからです


(17-19節)

すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。

しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。

もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです


僕が高校生の頃は、先生に逆らうとか、ルールを破ることが「かっこいい!」と思ってました。ところが聖書は、人が作った制度とかルールに従うことが、人々が神様を認め、ほめたたえられることになると教えます。


(12-13節)

異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。


昔は、考えを曲げないで「俺は自由だ!誰にも従わない!」と思っていました。ところが本当の自由人は納得いかないルールとか、意地悪な上司であっても従う人です自分のこだわりからも自由です。変な上司、変なルールと思っても、神様に喜ばれ、神様がほめたたえられるなら喜んで従う柔軟な心が与えられます。ガンコでこだわる人の周りはいつも争いが起こりますが、自由で柔軟に良いことができる人は神様に喜ばれ、まわりに平和をもたらします。


(15-16節)

善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。


イエス様が模範です。イエス様は罪がないのに罵られ、苦しめられ、殺されました。そして、イエス様を信じた人はイエス様と一緒に、イエス様のように罵り返さず、脅さず、神様に任せ、自分の身を任せて神様に喜ばれます。イエス様が僕らの罪を全部引き受けてくださったように、僕らは他人の失敗、不機嫌、悪意を向けられて苦しむこともあります。がっかりはしますが、でも、他人の悪を忍耐することは神様に喜ばれることです


(20-24節)

善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることですこのためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。


僕らは自由になりました。悪や仕返しや復讐心から解放されました。イエス様と一緒に自分を苦しめる人を憐れみ、愛し、「父よ彼らをお赦しください」と祈り、とりなし、忍耐する自由人に変えられました。喜びましょう。天では喜ばれています。忍耐しましょう。悪に対して善で返しましょう。天の報いは大きいです!ハレルヤ!


(ルカ6:22-23)

人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです

その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです


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