どんなに世界が暗くなっても、僕らには希望があります。イエス様はもう一度この世界に来られ、僕らは天に挙げられて永遠に主と共にいることになります。先に死んでも大丈夫です。僕らは復活して主と永遠に一緒にいることになります。
(4章16-18節)
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。
イエス様が来られるのは今日かもしれないし、明日かもしれないです。「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24.36)信じない人にとっては神の怒りの日であり破滅の日です。が、イエス様を信じる僕らにとっては主とお会いする喜びの日です。
(1-4)
兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
(9-10)
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。
迷ったり、悩んだり、悲観的になったりすることはあります。そんな僕らには励ましが必要です。最後は救いと栄光が決定しています。そう言って希望と与えてくれる信仰の友が必要です。聖書はいつも互いに励まし合い、愛し合い、互いを建て上げなさい、と教えます。孤独には作られていません。兄弟姉妹と一緒に愛し合い、希望を与え合うように作られています。
(8)
信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。
(11)
ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。
どんなに世界が暗くなっても、僕らには希望があります。僕らがお互いに信仰と希望で満たす仲間でありますように。
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