2024年12月13日金曜日

偶像と淫らな性行為 ミカ1.7より

 偶像と淫らな性行為 ミカ1.7より


アイドルって日本語ではスターとかキラキラした憧れの存在のイメージだけど、英語のアイドルは「偶像」です。女性アイドルには男性ファンが燃え上がり、男性アイドルには女性が盛り上がります。

アイドルにささげて幸福感を得ることは、もともと、僕らが神様が意図された幸せと関係があります。本来は神様を愛し愛される具体的なカタチとして結婚相手が与えられ、相手に夢中になり、互いに自分をささげることで幸せになるように造られました。もともと僕らは神様とラブラブです。憧れのアイドル?は神様です。この愛の関係に似せて、夫婦が愛しあって一体となるように造られています。(創世記1章27節、エペソ5章31節から32節)


この愛を捨てて偶像を愛していくと、人間同士の関係も乱れてきます。両者は連動しているからです。特に結婚関係が崩れます。偶像礼拝と淫らな性行為はいつもセットです。ミカ1.7では神様が偶像に対して怒りを示す時、それは性的な罪への裁きもセットです。


(ミカ書 1章7節)

"その刻んだ像はすべて打ち砕かれ、儲けはみな火で焼かれる。わたしはその偶像をすべて荒れすたらせる。それらは遊女の儲けで集められたのだから、遊女の儲けに戻る。」"


偶像礼拝をすると、性欲の獣になっていくことは他の聖書箇所にも出てきます。獣化した性行為は相手への愛や尊敬はなく、逆に相手の尊厳も愛もお金も搾取し人格を辱めるものです。


(ローマ人への手紙 1章23~24節)

"朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。

そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。"


神様との愛の関係が崩れると男女間の信頼や敬意も崩れます。人間の歴史を振り返ると、偶像礼拝と淫らな性行為が結びつくことがよくあるようで、日本でも大きな神社や仏閣の周りには遊郭が集まっているそうです。聖書もこの二つがセットで語られることが多く、イスラエルの民が偶像を拝むときには性的な儀式も伴いました。それによって妊娠し生まれた子どもはさらに火の中にささげるという残酷さです。



(エレミヤ7章31-32節)

また自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェトに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ。(…中略…)ただ虐殺の谷と呼ばれる。人々はトフェトに、隙間がないほどに葬る。



ミカ1章7節によると偶像は「遊女の儲けで集められた」とあります。売春で儲けたお金を偶像にささげる、という悪循環があったようです。今もホスト(偶像)に貢ぐために売春をする女性は多いそうです。偶像礼拝は、生活全体がおかしくなり人間関係や愛のあり方まで狂っていくことを教えています。心と体は深くつながっています。神様をどう思っているか、その心は体の使い方に表れます。心と体は繋がっています。イエス様は心にあることが「内側から出て、人を汚すのです。」とおっしゃいます。(マルコ7.23)パウロは「からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです。」と言います。(1コリント6.13)


聖書は壊れてしまった人を非難するだけじゃなく、むしろ、憐れみと救いと癒しと回復を示しくれています。イエス様は売春婦だった女性を優しく受け入れて、悔い改めに導き、「あなたの罪は赦されています」とおっしゃいます。彼女は溢れる感謝を持ってイエス様にお仕えしました。(ルカ7章36節以降)ここには神様の赦しの力と、福音による回復の希望があります。だから、売春自体は神の意図に反するけど、その背景にある苦しみや貧しさに対する憐れみを持ちながら、神様が用意してくれている回復への道に目を向けることが大事です。


偶像礼拝を認め、罪を認め、方向を変えると必ず聖霊は与えられます。聖霊によらなければ神様との愛の関係はできません。聖霊に満たされると体も整えられて、愛や敬意を持った幸せな男女の関係が生まれます。夫がキリストのように犠牲的に妻を愛し、妻はその愛に応えて尊敬し従う、この神様のデザインはイエス様によって回復します。夫婦関係を始めとする全ての人間関係は神様を愛し、神様にささげ、その愛に夢中になることから始まります。


偶像礼拝と淫らな性行為はセットです。でも、回復と希望があります。大丈夫です。信じましょう。ハレルヤ!




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