ミカ2章
「盗みも悪口も淫らなこともオッケー。仕方がないよ。あなたの生育環境がそうさせたんだから、悪くないよ。そのままでいいよ。神様はあなたのこと愛してるよ。」と言いたいところですが、聖書は何度も罪に対する神の怒りと裁きを伝えています。イエス様が開口1番おっしゃったのは「悔い改めなさい。」です。(マタイ3.2)聖霊は私たちの罪を明らかに教えてくださいます。(ヨハネ16.8)神様は「祝福」か「呪い」を選ぶように伝えています。罪を認めて、やめて、神様に帰ってくる人には祝福、そして罪の中にとどまる人には呪いです。
ところが、僕らは罪の話は聞きたくありません。そんなのはたわごとだ、神様はそのままで受け入れてくださる、神からの辱めとか怒りなんてない、と言います。それこそが戯言だと聖書は言います。
(ミカ書 2章6節)
「戯言を言うな」と彼らは戯言を言う。「そんな戯言を言ってはならない。辱めを受けることはない。」
神様は何度も罪をやめない人を「災いだ」と警告しています。警告する理由は救うためです。
(ミカ書 2章1~3節)
"わざわいだ。不法を謀り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。
彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々を取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。
それゆえ、主はこう言われる。「見よ。わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」"
罪を指摘する預言者ミカのこと、「あいつうるさい、硬いやつ」と嫌います。無視して「みんな大丈夫!酒でも飲んで祝福しよう!」といって、盛り上がろうとします。
(ミカ書 2章11節)
もし人が風の赴くままに歩き回り、『私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を』と偽って言うなら、その者は、この民に戯言を言う者だ。
神様の言葉はうるさい、自分の思い通りにしたい、という高ぶりはいつでも僕らに付きまといます。教会の中でも「自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代」が来ると言われているし(1テモテ4.3-4)「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」とも書かれています。(ユダ1.18)イエス様はおっしゃいます。罪から来る報酬は死です。(ローマ6.3)肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ6.8)
「盗みも悪口も淫らなこともオッケー。神様は祝福してくれるっしょ。」というのはウソです。
本当の希望はコチラです。
罪が示され、悲しみ、心が砕かれた人たちには救いが約束されています。心貧しい人、悲しむ人は幸いです。ですが、聖霊によらなければ神様のことも罪のこともわかりません。でも、砕かれ悔い改めた人たちのことを「残りの者」と言います。神様はそんな彼らをまるで羊飼いが囲いの中で羊を守るように、「ヤコブの人たちを全部集めて、もう一度一つにする」って言ってくだいます。
(ミカ書 2章12節)
"ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。"
罪を示され方向転換をする人はイエス様のところに帰ってきます。イエス様は羊の囲いの門です。その人はどんなに汚れていても赦され、きよめられ、新しくされます。そして本当の祝福に入ることができます。そこにはもう神の怒りも裁きもありません。希望はイエス・キリストの赦しにあります。悔い改める人は幸いです。
神様の厳しい警告を恐れる必要はありません。それは僕らが悔い改めてイエス様に戻るために必要な警告です。イエス様の赦しときよめ完璧です。ハレルヤ!
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