箴言30章
神様のことばが与えられている僕らは本当に幸せです。背伸びして、無理して何かを言わなくて済むからです。わからないことは「分かりません」で大丈夫です。わからないことは罪でも愚かでもありません。むしろ誠実です。一方、人の知恵を遥かに超えた神様のことばもまたすぐ近くに用意されています。みことば以外の情報を必死になって検索したり集めたりする必要がありません。その日、その日「神様、今日の分を与えてください」と祈って聖書を読むときに、心の目が開かれます。その時必要な言葉が与えられます。それで充分です。わからないことはわからないままで大丈夫です。
(3節から5節)
3,私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も持っていない。
4,だれが天に上り、また降りて来たのか。だれが風を両手のひらに集めたのか。だれが水を衣のうちに包んだのか。だれが地のすべての限界を堅く定めたのか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。
5,神のことばは、すべて精錬されている。神は、ご自分に身を避ける者の盾。
この世界を作り、今日も全てを支配しておられる方が、わかる範囲でことばを与えてくださいます。高ぶってああだこうだと言う必要はないし、ましてコントロールしようとしなくても大丈夫です。
(6節)
神のことばに付け足しをしてはならない。神があなたを責めて、あなたが偽り者とされないために。
僕らを超えた神様の領域があります。「事を隠すのは神の誉れ」です。(箴言25.2)世界は不思議なことだらけです。神様だけが知っておられる領域です。
(18節から19節)
私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。
天にある鷲の道、岩の上にある蛇の道、海の真ん中にある船の道、おとめへの男の道。
僕らに与えられている理解力もお金もちょうど良いものです。ちょっと足りない、と思いますが、それは高ぶらないように、神様に求めるための不足です。
(8節と9節)
8,むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。
9,私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。
今日もわからないことは神様に求めましょう。神のことばは、僕らが身を避ける盾です。(5)自分は神ではないし、わかっていない、と言う立場を確認しましょう。「私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も持っていない。」(3)高ぶって余計なことを言ったりしたりしませんように。
(32)
もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、企んだりしたら、手を口に当てよ。
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