2024年6月5日水曜日

ガラテヤ1.11-24

 ガラテヤ1.11-24


自分を支えるために、人が作った肩書とか資格とか組織の権威とかお墨付きをもらいたがるのが人間です。伝道者の中でもありがちで、教団の中の役職とか「○○神学校卒業だから大丈夫」とか言ったりします。でも実際は教団の要職の人でも神学校を卒業した人でも大丈夫じゃない人はたくさんいます。聖書は人間的な肩書きとか経歴に頼ることを徹底的に拒否します。パウロは自分の聖書学者としての経歴を「ちりあくた」「屑」と言います。(ピリピ3.8)そして自分がイエスキリストの使徒となったのは、決して人間から出たことではないと強調します。



(1節)

人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロ



パウロが伝えている福音もその力も人間から受けたものではない、と聖書は繰り返し強調します。



(11節から12節)

11兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。

12私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。



神様から選ばれた時に、パウロは人間的なお墨付きを避けようとして、あえて使徒の先輩に会いに行かず、神様との時間を最優先しました。神様からの福音とその働きに人間的な不純物が入らないようにするためです。パウロが先輩のペテロと初めて会ったのは3年後です。(1.18)他の使徒のヨハネやヤコブたちと会って握手したのはさらにその14年後、パウロが使徒となって17年も経ってからです。(2.1、2.9)



(15節から17節)

16異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、

17私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。



使徒とされたのは人間の権威ではありません。僕らがイエス様を信じるようになったのも牧師や宣教師が召されるのも同じです。「私たちの資格は神からのものです。」(2コリント3.5)全ての権威は神様から来ます。もちろん先輩たちや長老たちを尊敬し従いなさい(1ペテロ5.5)相談して物事を進めなさい(箴言15.22)と聖書は教えますが、先輩たちの知恵や力も神様の恵みと賜物であってその人が偉いのではありません。神様は人を分け隔てしません。



(2章6節)

そして、おもだった人たちからは──彼らがどれほどの者であっても、私にとって問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません──そのおもだった人たちは、私に対して何もつけ加えはしませんでした。



パウロは先輩からのお墨付きをあえて拒否します。神様は人を分け隔てなさいません。だから僕らはまず誰よりも神様の権威を求め、神様に相談し、神様に聞き、従うのが最優先です。



福音は肩書とか、役職とか、そのような人間によるものとは関係ありません。伝道する力も人の力によるものではありません。全ての信仰者は、ただ神様に力と言葉を預けられた人です。その力も確信も祈りの中で育まれます。神様を求めましょう。神様に聞きましょう。そして従いましょう。人のところに行くのではなく、まず神様のところに行きましょう。ハレルヤ!




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